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民社党

みんしゃとう

1960年に日本社会党右派議員が社会党を脱党して結成した中道政党。1994年解党。
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民社党(民主社会党)〈Democratic Socialist Party〉とは

日本の民主社会主義政党。「左右の全体主義との対決」を掲げ、共産主義に反対し、労働者の権利擁護、福祉増進を目指した。反共産主義の労働組合である「全労会議」(のち「同盟」に改組)を支持母体とし、防衛力強化や原発推進に熱心であった。

1960年初頭の安保闘争デモを主導していた日本社会党の闘争目標をめぐり社会党右派(再軍備容認派〈現実路線・社会民主主義〉)と、左派(親ソ連派〈急進革命・ソ連型社会主義〉)および中間派(平和主義〈長期的革命・改良主義〉)の抗争が激しくなり、右派所属の西尾末広、片山哲、水谷長三郎らが1960年に社会党を脱党して結成した。これ以降の日本社会党は左派・中間派が主導権を握ることになり、平和主義・親ソ連色が強くなった。結党時は「民主社会党」だったが、1969年に「民社党」へ改称。

出自は左派政党なのだが、そのタカ派的姿勢から自由民主党右派と歩調を合わせることが多かった。中国やソ連、北朝鮮など左派全体主義への厳しい姿勢の割に右派全体主義への態度は甘く、強権で知られた韓国の朴正煕政権や台湾の蒋介石政権を支持。チリの独裁者ピノチェトによるクーデターを絶賛したことがある(このため他国の社会党からファシスト政党ではないかという疑念を持たれ、距離を置かれることになった)。

特に共産党スパイリンチ事件を国会で取り上げ追及するなど反共姿勢を明確にした春日一幸委員長時代は右派傾倒が進んだ。春日は国会での韻を踏んだ名調子の演説でも知られ、その演説は「春日節」とまで言われ国会の名物男として名を馳せた。春日はその後の佐々木・塚本両委員長時代も事実上の院政を敷いた。佐々木とは党内でのライバル関係であったが、これを抑え込み、20年近くに渡って民社党を支配したが、腹心の塚本の失脚と自身の死去で春日時代は終焉を迎え、その後自民党離党組を巻き込んだ野党再編へと舵を切ることとなる。

急進的な姿勢から〈右翼政党〉とする非難も多かったが、最後まで名目上はあくまでも社会主義政党であり、国政では公明党とともに中道勢力として扱われた。

1994年に小沢一郎細川護熙率いる日本新党に協力するために民社党は解党し合流した。一方でこの合流に反対する勢力は自民党維新政党・新風に流れている。

その後旧民社党系の緩やかな連合体としての民社協会が設立され、民主党時代の河村たかし率いる減税日本との分裂を経て現在では国民民主党にその多くが所属している。



党綱(編集)

  • 左右と全体主義と対決(共産主義とファシズムに反対)
  • 議会主義による合法的社会主義
  • 福祉国家の建設
  • 護憲だが改憲・軍備を否定しない。
  • 国旗・国歌の明文化
  • 再軍備による積極的な国際貢献
  • 徴兵制禁止
  • 首相権限強化
  • 改憲要件の緩和


関連項目

日本の政党 政党
三島由紀夫・・・小説家「楯の会とともに行動をともにできるのは民社党だけだ」と公言していた。
国民民主党減税日本 ‐ 事実上の後継政党

外部リンク

大阪民社協会

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