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概要

チリに誕生した独裁者。

国民からは「ピノキオ」というあだ名を付けられた。

智利軍に青年将校文化はありしや/爽やかすぎるピノチェト

大統領サルバドール・アジェンデは「反帝国主義・平和革命」を掲げて世界的な注目を集め、民衆の支持を得ていたが、その改革政策は国内の保守層・多国籍企業、そしてアメリカ政府との間に激しい軋轢を生んだ。やがて民衆の生活は困窮。チリの社会・経済は混乱に至った。


1973年、CIAの支援を受け、前大統領アジェンデにクーデターを起こし指導者に君臨(チリ・クーデター)。


アジェンデ政権から180度の転換を図り、公営企業体の民営化、森林・漁業資源の私有化、さらに社会保障の民営化、外国資本の直接投資の促進などを推進した。


一方で親ナチス派であるピノチェトはナチス残党と共謀。囚人や民間人をヘリから高所へ叩き落とす死のキャラバンと呼ばれるヘリを使った処刑部隊を組織した。


1983年以降は全国ストライキを初め、独裁反対運動が激化。1984年には戒厳令が発令。1988年の大統領選挙でピノチェトは民主政党連合の候補者に敗れ、ようやく1990年に民政移管が実現、16年半にわたる長き軍事独裁政治が終わった。

2006年死亡。91歳没。


ピノチェトの掲げた「新自由主義」について、今でもチリで支持している層がいる。


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世界史 チリ共和国  独裁者  ネオナチ  新自由主義

ピノキオ

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