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概要編集

智利軍に青年将校文化はありしや/爽やかすぎるピノチェト

チリを支配していた独裁者。

フルネームはアウグスト・ホセ・ラモン・ピノチェト・ウガルテ。

1915年11月25日パルパライソ生まれ。

支持派から我が将軍と呼ばれ、反体派からはピノチェトとピノキオをかけてピノチョと呼ばれていた


政治史編集

当時の大統領サルバドール・アジェンデは「反帝国主義・平和革命」を掲げて世界的な注目を集め、民衆の支持を得ていたが、その改革政策は国内の保守層・多国籍企業、そしてアメリカ政府との間に激しい軋轢を生み、やがて民衆の生活は困窮。チリの社会・経済は混乱に至った。


1973年にCIAの支援を受けクーデターを起こし指導者に君臨(チリ・クーデター)。


アジェンデ政権から180度の転換を図り、公営企業体の民営化、森林・漁業資源の私有化、さらに社会保障の民営化、外国資本の直接投資の促進などを推進した。


一方で親ナチス派であるピノチェトはナチス残党と共謀。囚人や民間人をヘリから高所へ叩き落とす死のキャラバンと呼ばれるヘリを使った処刑部隊を組織した。


1983年以降は全国ストライキを筆頭に独裁反対運動が激化。1984年に戒厳令を発令するなど徹底抗戦。しかし、1988年の国民投票でピノチェトの任期延長が否決。1990年に民政移管が実現、16年半にわたる長き軍事独裁政治が終わった。


晩年編集

2006年に91歳で死去、ピノチェトの掲げた「新自由主義」については右派に支持層が多く、彼が率いた政党はいまでも単独最大政党


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関連タグ編集

世界史 チリ共和国  独裁者  ネオナチ  新自由主義

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