データ
首都 | サンティアゴ |
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面積 | 75万6102平方キロメートル |
人口 | 1757万4003人(2017年4月) |
建国 | 1818年2月12日(スペインより独立) |
国花 | コピウエ |
通貨 | ペソ |
公用語 | スペイン語 |
国家元首(職) | 大統領 |
政体 | 大統領制 共和国 |
概要
チリ共和国(チリきょうわこく、スペイン語:''República de Chile''、読み:レプブリカ・デ・チレ)は、南アメリカ南西部に位置する共和国。南北に極端に細長い独特の国土が特徴である。東西はアンデス山脈と太平洋に挟まれており、南北にしか領地を拡大できなかった為にこの地形になってしまった。
1818年2月までスペインに統治され、その後も内戦・周辺国との紛争が長く続いた。社会主義政権・軍事政権を経由し、1990年3月に文民政権が発足した。この国の主要産業は銅を初めとした鉱業・農業である。
ナスカプレートが国土の沖合から160キロメートル付近にあり、その為大規模な地震被害が多い。1960年5月には日本の東北地方太平洋沖地震の約5倍のエネルギーであるマグニチュード9.5という人類史上最大の地震が発生した。その津波は約1日かけて日本にまで到達し、甚大な被害を出している。
国土
その極端に細長い国土の形状から「小さい国」と誤解されがちだが、同じく南北に細長い日本と比べても東西の幅はそれほど大差は無い。国土はイースター島とサラ・イ・ゴメス島を含めて75万6102平方キロメートルもあり、日本(37万7976平方キロメートル)の2倍以上を誇る。ちなみにアフリカに位置するザンビア(75万2618平方キロメートル)はこの国と面積が近い。
歴史
スペイン統治時代
1540年12月にスペインの征服者であるペドロ・デ・バルディビアがチリに入り、1541年2月に現在の首都であるサンティアゴ市を設立した。1553年12月のトゥカペルの戦いで、ペドロ・デ・バルディビアはマプチェ族の戦士に殺害された。
1598年12月のクララバの戦いによってチリの征服は終了し、1818年2月に独立するまでスペインの統治に服した。
独立後
1879年4月に開始された太平洋戦争(硝石戦争)でペルー・ボリビアと交戦し、1883年10月にアンコン条約を締結してペルーと講和した。1884年4月に休戦条約(パルパライソ条約)が締結されて戦争は終結し、1904年10月にボリビアと平和友好条約を締結して正式に講和した。
ボリビアはパルパライソ条約によって領土が縮小し、今のような内陸国となった。
国際関係
日本
1897年9月に外交関係を樹立し、この時に修好通商航海条約が締結された。1945年4月にチリは日本に対して宣戦布告して交戦国同士となったが、1952年10月に回復した。それ以降両国には友好的な外交関係が保たれている。
スペイン
1844年4月に外交関係を樹立し、この時に平和友好条約が締結された。1866年3月にスペインは自らの船舶がチリの港に停泊する事を拒否され、その報復としてチリのバルパライソ港を砲撃した。
1939年4月にフランシスコ・フランコ政権を承認し、サルバドール・アジェンデ政権とは友好関係にあった。1975年11月にフランコが死去した時、アヴグスト・ピノチェト大統領は彼の葬式に出席した唯一の外国元首であった。
ピノチェトのナチス残党と共謀した独裁政権は混乱を極め、チリの暗黒時代を築いた。
1990年10月にスペイン国王フアン・カルロス1世が初めてチリを公式訪問し、その後国王は何度かチリを訪問した。
チリ出身の有名人・キャラクター
- ブラーボ⋯チリ代表GK。
- アウグスト・ピノチェト
〇キャラクター