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ナチス

なちす

国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei 、略称: NSDAP)の一般的な呼称。ナチ党とも。アドルフ・ヒトラーが指導者として率い、1933年ドイツにて政権を掌握後、独裁政権を築いたが、1945年のドイツ敗戦により解党した。
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1933年から1945年までの第三帝国時代のナチスドイツに関連するイラストに付けられるタグ。

呼称

正式名称「国家社会主義ドイツ労働者党」。前身はドイツ労働者党。
ナチ」および「ナチス」「ナチ党」の呼び名は、本来、反対勢力がつけた蔑称であり、映画などでナチ党員が自党を指して「ナチス」と言うのは、本来は誤りである。ナチ党自身による正式な略称はNSDAP(エンエスデーアーペー)であり、ドイツでは現在もNS(エンエス)またはNSDAPの呼称が使われることがある。しかし、これについては日本では同盟国であった当時から周知が進んでおらず、報道などにおいても「ナチス」「ナチ黨」の表記が一般的であった。

1933年から1945年にかけてドイツの第一党の地位にあり(党首ヒトラーは総統)、他党の影響を排した独裁政治を行っていた。
彼らの主導でドイツは他のヨーロッパ各国に宣戦布告したことで第二次世界大戦が勃発した。このため第二次大戦中にドイツが犯した戦争・虐殺行為などの責任が語られる際には必ずと言っていいほどナチスが引き合いに出される。
1871年にドイツの統一を達成し、第一次世界大戦での敗北によって帝政は崩壊したものの共和制によって続いてきた祖国を一時的とは言え、地上から消してしまう結果にしたのも彼らである。
よって、第二次世界大戦という戦争を理解する上では避けて通れない存在であるとも言える。

欧米でも悪役として大人気であるが、特に日本では悪役以外にも味方いい人などにナチスをモチーフにしたキャラが出てくる事があり、輸出時に問題になったりする。

シンボルマーク

ナチスは19世紀より民族主義の象徴とされてきたハーケンクロイツ(=スワスティカ/鉤十字)を党のシンボルとして様々な場面で使用した。
また政権獲得後は党旗をそのままドイツ国の正式な国旗に制定した。

ハーケンクロイツ


  • ちなみに、寺院の地図記号に用いられている『(まんじ)』とは線の曲がる方向が逆であり、まったく別の紋章である。しかし海外ではあらぬ誤解を受けるためか、デザインとして過剰に忌避されるケースも見受けられる。
  • 今なおナチスは欧州で忌避されているのも事実であり、特にドイツにおいては未だにドイツ刑法においてナチス賛美は処罰の対象である。冗談でも海外(とりわけ欧州とイスラエル)ではナチス賛美などしないように。
    • ただしイギリスは別。直接侵攻を受けなかったこともあってか寛容的どころか日本より気合の入ったナチオタがいる。武装SSの格好をしてロンドンを行進しビッグベンの正面で記念撮影をした勇者がいる。あと連合国ではアメリカ合衆国、それに直接侵攻を受けたはずのロシアも割りと寛容(ソ連が崩壊した影響もあるとされる)。
    ドイツ国防軍では、海軍においてハーケンクロイツ入りの軍艦旗が採用され、対空識別として国旗に準じた赤帯に白い丸の中にハーケンクロイツを描きこんだものを除けば、軍用機や戦車に描きこむ国籍標章は鉄十字のみ、もしくは鉄十字をメインとしてハーケンクロイツを合わせて描きこむ形だった。

主な党歌


「旗を高く揚げよ(ホルスト・ヴェッセルの歌)」

党組織

全国指導者(ライヒスライター)

総統を補佐する党の全国指導部を形成するメンバーの階級。
担当分野において全権を任されており、総統にのみ責任を負った。
ゲーリングを除いて、全員が任された担当分野の党内組織の長である。

全国指導者(ライヒスフューラー)

全国指導部のメンバーではない党内組織の長。
ただし1934年以降の親衛隊全国指導者、青少年全国指導者、労働全国指導者はライヒスライターを兼任していたため、全国指導部のメンバーであった。

大管区指導者

ナチ党の地区区分である大管区の指導者。
1934年に国家の行政区分である州の機能が一時停止されたことで、事実上の地方行政の最高権力者となった。(形式的な最高権力者は州首相のまま)

管区指導者

地区指導者

Ober-Dienstleiter



党下部組織

ナチスの下部組織は政治・経済・軍事・教育と行政全般に渡って設けられたが、ここではpixiv内にイラストが存在する組織を挙げる。

親衛隊(SS)

元は総統アドルフ・ヒトラーを護衛する党内組織の親衛隊として1925年に創設された。その後、ハインリヒ・ヒムラーの指揮のもとで勢力を拡大し、国内外の敵性分子を諜報・摘発・隔離・収容・看視する準軍事組織として発展する。

特別行動隊その2


一般親衛隊(Allgemein-SS)

武装親衛隊が発足した事で、その他の警察行政関連の任務に当たる親衛隊を区別するために生まれた呼称。

武装親衛隊(Waffen-SS)

親衛隊が拡大する中で、LAH,SS-VT,SS-TVといった火器で武装した戦闘部隊は武装親衛隊へと発展・重武装化し、第2次世界大戦では陸海空軍に次ぐドイツ4番目の軍隊として大いに活躍した。
なお、黒服は一般親衛隊だけの制服ではなく、親衛隊全体の制服であり武装親衛隊においても着用される。

部活中
ドイツ歩兵



ヒトラーユーゲント(HJ)

ナチスの青少年教化組織。ドイツの10歳から18歳の青少年は全員加入が義務づけられた。
年齢・性別により組織は最終的に以下に細分化された。

リン&レン(ヒトラーユーゲント制服)
デュオ


ドイチェユングフォルク(DJ)

愛連合理事長へ!ヒトラーユーゲント


男性 10~14歳

ヒトラーユーゲント(HJ)

男性 14~18歳

少女団(JM)

女性 10~14歳

ドイツ女子同盟(BDM)

女性 14~17歳

信念と美(Glaude und Schünheit)

女性 18~21歳

国家社会主義航空軍団(NSFK)

ヴェルサイユ条約で空軍の保有を禁止されていたドイツにおいて、団員にグライダーや飛行機の操縦の訓練を行い、再軍備後すぐに空軍を設立する目的で作られた準軍事組織。

NSFKのクワトロ



国家社会主義自動車軍団(NSKK)

当時貴重であった車やオートバイなどの運転技術・メンテナンス技術の指導のために作られた組織。自動車運転者の援助や、交通整理なども担当した。後に兵站部隊に配属され、当時まだ馬に頼っていた物資輸送の自動車化に従事する。

私たちと一緒にモーターボートの操舵訓練をしましょう
NSKK隊員



国家労働奉仕団(RAD)

もともとは失業者対策として公共工事を行う目的で作られた組織を前身としている。アウトバーン建設を行い、戦争勃発後は軍用道路、飛行場、鉄道の建設、保守などが様々な市民サービス、軍事建設、農業計画に従事した。

国家労働奉仕団(RAD)第九労働大官区指導者



突撃隊(SA)

エルンスト・レームを中心に1921年に結成された準軍事組織。1919年にナチス関連施設の警備の為に結成された組織を前身とする。政敵との抗争やヒトラーの護衛などに従事し、初期のナチスを支えた。ナチス内では強大な権力を持ち、親衛隊、国家社会主義航空軍団、国家社会主義自動車軍団、ヒトラーユーゲントなどは全て突撃隊の下部組織だった。しかし、規模が大きくなりすぎたことで統制が困難になったことや、突撃隊とヒトラーの路線が対立したことなどから、レームを始め多くの幹部が親衛隊に粛清される。この事件で規模や権限が大幅に縮小され、下部組織が次々と独立。その後は青年に対する軍事訓練が主要任務となった。

ホッホラントSA



国民突撃隊(Deutscher Volksstur)

大戦末期の1944年、兵力不足の解消と本土防衛のために結成された民間軍事組織。16歳から60歳の一般市民で構成され、指揮官にはナチスへの忠誠心が高い者が選出された。しかし訓練、武器、弾薬、物資、士気全ての面で大幅に不足していた。組織名は「ドイツ民族の嵐」と訳される。

生きては帰れぬ国民突撃隊



沿革

党の結成から政権与党になるまで

1918年3月7日 - ミュンヘンにて「ドイツ労働者の平和に関する自由委員会」として結成。
1919年1月5日 - 党首を第一議長と称する「ドイツ労働者党」に組織変更。
1919年9月 - アドルフ・ヒトラーが入党。
1919年11月 - 演説会等における他党からの妨害を排除する組織として、党内に「整理隊」を設置。
1920年2月 - 党の名称を「国家社会主義ドイツ労働者党」に改称。
1921年7月29日 - アドルフ・ヒトラーが「国家社会主義ドイツ労働者党」の第一議長になり、ほどなくしてFührer(指導者)の称号を名乗るようになる。
1921年8月3日 - 党内組織の「整理隊」を「体育およびスポーツ隊」に改称。
1921年9月10日 - 党内組織の「体育およびスポーツ隊」を「突撃隊」に改称。
1923年11月8日 - クーデター未遂事件であるミュンヘン一揆が発生。ヒトラーを含む首謀者が逮捕され、党の活動が政府によって禁止される。
1924年5月4日 - 党が活動禁止のため、ドイツ民族自由党と連携して「国家社会主義自由運動」と称する党派を結成。この日に投票が行われた国会選挙で472議席中32議席を獲得する。
1924年12月7日 - この日に投票が行われた国会選挙で「国家社会主義自由運動」が493議席中14議席に後退する。
1925年2月16日 - 政府によって、ミュンヘン一揆に伴う党の活動禁止が解除される。
1925年2月27日 - 活動禁止の解除に伴う再結成党大会を開催。「突撃隊」もこの時に復活した。
1925年3月29日 - 大統領第一次選挙に党員のルーデンドルフが出馬。得票率は1%未満で敗れた。
1925年7月18日 - ヒトラー、「我が闘争」を出版する。
1925年9月21日 - 党内組織の「突撃隊」の下部組織として「親衛隊」を設置。
1928年5月20日 - 初めて党単独で候補者を出した国会選挙の投票が行われた日。491議席中12議席を獲得する。
1930年9月14日 - この日に投票が行われた国会選挙において577議席中107議席を獲得。第二党になる。
1932年4月 - 大統領選挙にヒトラーが出馬。約30%の得票率であったものの現職に敗れる。
1932年7月1日 - この日に投票が行われた国会選挙において608議席中230議席を獲得。第一党になる。
1932年11月6日 - この日に投票が行われた国会選挙において584議席中196議席を獲得。第一党を維持する。
1933年1月30日 - 当時の大統領がヒトラーを首相に指名、ヒトラー内閣が発足する。「国家社会主義ドイツ労働者党」が政権与党になる。

ドイツ国会の完全制覇と独裁成立の達成、第二次世界大戦の開戦まで

1933年2月4日 - 大統領令「ドイツ民族保護のための大統領令」が発せられ、集会・デモ行進・機関紙が政府の命令で禁止できるようになった。ヒトラー内閣による強制的同一化政策の始まり。
1933年2月27日 - 国会議事堂放火事件。翌日に大統領令「民族と国家防衛のための大統領緊急令」及び「ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令」が発せられて国会議員を含むドイツ共産党員、ドイツ社会民主党員が多数逮捕される。
1933年3月5日 - この日に投票が行われた国会選挙において647議席中288議席を獲得。第一党を維持し、国家人民党と連立することで過半数を達成する。
1933年3月9日 - 国会におけるドイツ共産党の81議席が議席もろとも抹消される。議席の総数が減ったことによって党による単独過半数が達成される。
1933年3月23日 - 国会において全権委任法が可決される。ヒトラー内閣による独裁の始まり。
1933年3月31日 - 全権委任法に基づき、国会と地方議会の議席の配分を同一の割合にすることを基本とする「ラントとライヒの均制化に関する暫定法律」が政府によって制定され、同日施行された。また、ドイツ共産党が政府から活動禁止命令を受けた。
1933年4月26日 - プロイセン州の政治警察部門が秘密国家警察局「ゲシュタポ」に改称。
1933年6月22日 - 当時の国会における第二党のドイツ社会民主党が政府から活動禁止命令を受ける。
1933年6月27日 - 当時のドイツにおける主要政党であるドイツ国家人民党が解散する。
1933年7月3日 - 当時のドイツにおける主要政党であるカトリック中央党が解散する。
1933年7月14日 - 全権委任法に基づき、新たな政党の結成を禁止する「政党新設禁止法」が政府によって制定され、同日施行される。この法律の施行までに「国家社会主義ドイツ労働者党」を除くすべての政党が政府の命令によって活動禁止、もしくは自主的に解散してしまっていたため、合法な政党は「国家社会主義ドイツ労働者党」のみとなった。
1933年11月22日 - この日に投票が行われた国会選挙において661議席中661議席を獲得。この国会選挙をもって党による国会の完全制覇が達成された。
1933年12月1日 - 全権委任法に基づき、党と国家の一体化を基本とする「党と国家の統一を保障するための法律」が政府によって制定され、同日施行される。
1934年1月30日 - 全権委任法に基づき、各州の主権がドイツ国に移譲されて州議会は解散、すべての州公務員が国家の支配を受けることを基本とする「ドイツ国再建に関する法」、ならびに当時のドイツにおける上院にあたる参議院を廃止することを盛り込んだ「ライヒ新構成法」が政府によって制定され、同日施行される。
1934年2月14日 - 先に制定、施行された「ライヒ新構成法」によって参議院が廃止される。
1934年6月30日 - 長いナイフの夜事件。党内組織である突撃隊の幹部が粛清される。その後、それまで突撃隊の下部組織とされていた親衛隊等の組織が切り離されて独立した党内組織になる。
1934年8月1日 - 全権委任法に基づき、大統領が空位になった後の扱いに関する「国家元首に関する法律」が閣議決定によって制定され、同日施行される。
1934年8月2日 - 大統領が死去したため、「国家元首に関する法律」により、大統領と首相の権限が統合される。この日をもってヒトラーは当時のドイツにおける最高指導者になった。
1935年3月16日 - ヴェルサイユ条約の軍備制限条項を破棄する内容の再軍備宣言を行う。
1935年4月1日 - ドイツにおける司法組織全体の政府への取り込みを完了。
1935年9月15日 - 全権委任法に基づき、党の旗であるハーケンクロイツ旗を新たなドイツ国旗とする法律が制定、施行され、国旗も「ドイツ国=国家社会主義ドイツ労働者党」になった。その他にも、同日に開催された国会において、国籍所有者を政治等に参加できる者とそうでない者に切り分ける「帝国市民法」、ならびにドイツ国内におけるユダヤ人の認定を受けた者とドイツ人ないし同種の血を持つ国籍所有者と認定された者による婚姻等を禁じた「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」が可決される。
1936年3月7日 - ラインラント進駐。
1936年3月29日 - この日に投票が行われた国会選挙で741議席中741議席を獲得。
1936年8月1日 - ベルリンオリンピック開幕。
1938年3月13日 - オーストリアを併合。
1938年3月29日 - ミュンヘン会談の結果に基づき、チェコスロバキアのズデーテン地方を併合。
1938年4月10日 - この日に投票が行われた国会選挙で813議席中813議席を獲得。
1938年11月9日 - 水晶の夜事件。
1939年3月15日 - チェコスロバキアのボヘミア・モラビアをベーメン・メーレン保護領として保護領とする。
1939年3月22日 - リトアニアのメーメルを住民投票で併合。
1939年8月23日 - 独ソ不可侵条約が締結される。
1939年9月1日 - ポーランド侵攻。翌々日にポーランドとの相互援助条約を個別に締結していたイギリスとフランスがドイツに宣戦布告。第二次世界大戦の始まり。

第二次世界大戦の敗北とドイツの滅亡まで

1940年4月9日 - ノルウェー、デンマークへ侵攻を開始。
1940年5月10日 - フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクへ侵攻を開始。
1940年9月2日 - 日独伊三国軍事同盟を締結。
1940年4月10日 - ギリシャ・イタリア戦争にイタリア側として介入。
1940年6月22日 - バルバロッサ作戦を発動、ソビエト連邦に侵攻を開始。
1941年12月11日 - 12月7日(日本時間:12月8日)に日本が真珠湾攻撃を行い、アメリカ・イギリスに宣戦布告したことを受け、ドイツ・イタリアもアメリカに宣戦布告。
1943年1月25日 - 国会選挙の延期を決定。予定日は1947年1月30日だった。
1944年6月6日 - 連合軍がノルマンディ上陸作戦を実施。
1944年7月20日 - ヒトラー暗殺未遂事件。
1944年8月25日 - 連合軍によるパリ解放。
1944年9月 - 西部戦線の連合軍がドイツ国境を突破。
1945年4月30日 - ヒトラーが自殺。自殺に際し、後継として、大統領にカール・デーニッツ、首相にヨーゼフ・ゲッペルスを指名した。
1945年5月1日 - 首相に指名されたゲッペルスが自殺。大統領のデーニッツ自らが政府の指揮を執ることになった。
1945年5月7日 - アルフレート・ヨードル大将がランスにおいて連合国への降伏文書に署名。
1945年5月8日 - ヴィルヘルム・カイテル元帥がベルリンのカルルスホルストにおいて、降伏文書の批准を行う。
1945年5月23日 - デーニッツをはじめとするヒトラー内閣の後継政権の政府閣僚が逮捕される。
1945年6月5日 - この日に発表された事実上のドイツ抹殺宣言であるベルリン宣言によってドイツには合法な政府が存在しないことが宣言され、1871年1月18日の統一達成以来続いてきたドイツ国は滅亡、連合国による軍政府を主権政府とする占領地域となって地上から抹消された。なお、ドイツにおいて現在に続く合法的な政府は、それまでのドイツ国とは切り離された形で1949年5月23日に発足したドイツ連邦共和国臨時政府(旧西ドイツ)とドイツ民主共和国政府(旧東ドイツ)であり、その後1955年に主権を回復したドイツ連邦共和国へドイツ民主共和国に属していた領域が1990年に州に分割されて連邦へ加盟したものである。

著名なナチス関係者

第三帝国の項を参照。

ナチスをモチーフとしたキャラクター

特撮

漫画

アニメ

その他


キャラクターのモチーフとしての扱い

海外展開では高確率で怒られ、そして差し替えられる。

関連タグ

WW2
軍服
ナチ ナチス風
ルフトヴァッフェ

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