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ナチス

なちす

国民社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei 、略称: NSDAP)の一般的な呼称。ナチ党とも。アドルフ・ヒトラーが指導者として率い、1933年ドイツにて政権を掌握後、独裁政権を築いたが、1945年のドイツ敗戦により解党した。
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1933年から1945年までの第三帝国時代のナチスドイツに関連するイラストに付けられるタグ。

概要

1932年から1945年にかけてドイツ国会で第一党の地位にあり、1933年に政権を獲得してからは他党の影響を排した独裁政治を行っていた。

1939年9月1日、彼らの主導でドイツがポーランドに侵攻したことで第二次世界大戦が勃発した。このため、第二次世界大戦中にドイツが犯した戦争・虐殺行為などの責任が語られる際には必ずと言っていいほどナチスが引き合いに出される。第二次世界大戦という戦争を理解する上では避けて通れない存在であるとも言える。

1871年から政体が変わりながらも(帝制→共和制)続いてきた祖国を、他国による占領・東西分裂という悲惨な結果に導いたのも彼らである。

ユダヤ人など特定の民族を異常なまでに憎み、本来なら前線に配するべき軍の一部を割いてまでユダヤ人狩りに当てるなどの政策は、同じ枢軸国の日本イタリアですら懐疑的になるほど、極端なものであった。ちなみに彼らの悪意は民族のみならず、自民族内の障害者や同性愛者にも向けられ、彼ら向けの安楽死政策が実行されていた。

欧米でも悪役として大人気であるが、特に日本では悪役以外にも味方いい人などにナチスをモチーフにしたキャラが出てくる事があり、輸出時に問題になったりする。近年ではそうした事情が知られるようになったこともあり、そういったキャラをそもそも出さない傾向にある。

呼称

正式名称は"Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei"。前身のDeutsche Arbeiterpartei(ドイツ労働者党)から改名したものである。日本語訳では国家社会主義ドイツ労働者党と訳されることが多いが、国家よりも国民を重視したナチズムの思想的特徴から国民社会主義ドイツ労働者党という訳称の方が適切である。同じく国家社会主義と訳されるが全くの別物の思想である"Staatssozialismus"と区別する意味でも、日本語では「国民社会主義」と呼ぶのが望ましい。

党内部および学術や中立的な立場における正式な略称はNSDAP(エンエスデーアーペー)で、ドイツでは現在もNS(エンエス)またはNSDAPの呼称が使われることがある。

ナチ(Nazi)」、複数形の「ナチス(Nazis)」及び「ナチ党」の呼び名は、反対勢力がつけた蔑称である。
もともと、ナチスは敵対する社会民主党ドイツ(Sozialdemokratische Partei Deutschlands)や、社会主義者への蔑称として、党名を縮めた「ゾチ(Sozi)」を用いていた。社民党などもこれに対抗して、党名を縮めた「ナチ」「ナチス」を蔑称に使うようになった。

従って、映画などでナチ党員が自党を指して「ナチス」と言うのは、本来は誤りである。しかし、これについては日本では同盟国であった当時から周知が進んでおらず、報道などにおいても「ナチス」、「ナチ黨」の表記が一般的であった。当時は「國粹社会黨」「國民社会黨」などの意訳も使われたが、第二次世界大戦後はほとんど使われなくなった。

一見左翼的な名称が並ぶ党名であり、また一時社会主義的な主張をしていたことから左派政党呼ばわりする論者もいる(主にスターリン主義とナチズムの共通性を強調する反共主義者の視点)が、ナチスは当時から右翼政党とみなされていたし、ナチ党自体も右翼を自認していた。「国民社会主義」という名称はドイツ語において"Nationalsozialismus"であり、日本語的に「国民+社会主義」と切り離せるようなものではなく"Sozialismus"とは全く異なる思想であることに留意されたい。

ヒトラー及び党幹部はこれを「民族共同体主義」的なものと位置付けており、党名の後半に来る「労働者」は、この民族共同体の繁栄に奉仕する尊い仕事をする人々であるとした。そして、彼らをマルクス思想から解放してあるべき姿へ導くことを党の重要な使命であると認識しているなど、社会主義とは異なる労働者観を有していた。

ただし、ナチ党でもヒトラー独裁が確立していない時期にはオットー・シュトラッサーやヨーゼフ・ゲッベルスなど、社会主義寄りな思想を持つ党員(ナチス左派、ナチス反主流派)も一部にいた。彼らは党内でヒトラー独裁(指導者原理)体制が確立されていく過程で影響力を減らしていった。ゲッベルスはヒトラーに懐柔されて主流派に取り込まれ、1930年にシュトラッサーが党から排除され、さらにナチスの政権掌握後の「長いナイフの夜」事件で突撃隊幹部らが粛清・排除されたことにより、ナチ党内のヒトラー独裁体制が完成することになる。

シンボルマーク

ナチスは19世紀より民族主義の象徴とされてきたハーケンクロイツ(=スワスティカ/鉤十字)を党のシンボルとして採用し、様々な場面で使用した。
また政権獲得後は党旗をそのままドイツ国の正式な国旗に制定した。

ハーケンクロイツ


  • ちなみに、寺院の地図記号に用いられている『(まんじ)』とは線の曲がる方向が逆であり、基本的に別の紋章である。しかし海外ではあらぬ誤解を受けるためか、デザインとして忌避されるケースも見受けられる。
  • 欧州諸国ではよく知られたタブーの一つ。冗談でもナチス賛美などしないように。ドイツにおいては未だにドイツ刑法においてナチス賛美は処罰の対象である。
    • ただし英国は比較的緩い。武装SSの格好をしてロンドンを行進しビッグベンの正面で記念撮影をした勇者がいる。ヘンリー王子が仮装パーティーでナチに扮したことも(後でパパラッチされ大騒動になったが)。あと連合国ではアメリカ合衆国、それに直接侵攻を受けたはずのロシアウクライナバルト三国以外の旧ソ連諸国)も割りと寛容。
  • ドイツ国防軍では、海軍においてハーケンクロイツ入りの軍艦旗が採用され、対空識別として国旗に準じた赤帯に白い丸の中にハーケンクロイツを描きこんだものを除けば、軍用機や戦車に描きこむ国籍標章は鉄十字のみ、もしくは鉄十字をメインとしてハーケンクロイツを合わせて描きこむ形だった。

党歌

「旗を高く揚げよ(別名:ホルスト・ヴェッセルの歌)」

党組織

党本部

指導者

ナチスの前身であるドイツ労働者党においては『第一議長』と呼ばれていたが、ヒトラーが第一議長に就任後、党内の支持者から『指導者(総統)』と呼ばれるようになり、やがて公的にもそのように呼ばれるようになった。法律よりも、指導者の命令が優先される「指導者原理」という制度を確立した。

全国指導者

  • ライヒスライター

総統を補佐する党の全国指導部を形成するメンバーの階級。
担当分野において全権を任されており、総統にのみ責任を負った。
ゲーリングを除いて、全員が任された担当分野の党内組織の長である。

  • ライヒスフューラー
全国指導部のメンバーではない党内組織の長。
ただし1934年以降の親衛隊全国指導者、青少年全国指導者、労働全国指導者はライヒスライターを兼任していたため、全国指導部のメンバーであった。

地方組織

ナチスでは、党を運営するにあたって規模の段階に応じて組織を置き、それぞれに指導者を任命した。

  • 大管区指導者
ナチ党の地区区分である大管区の指導者。
1934年に国家の行政区分である州の機能が一時停止されたことで、事実上の地方行政の最高権力者になった。(形式的な最高権力者は州首相のまま)
また、併合、占領によって獲得した領土には『帝国大管区』が置かれ、帝国大管区指導者が任命されるようになった。
  • 管区指導者
  • 地区指導者
  • 細胞指導者
  • 街区指導者
  • 班指導者

Ober-Dienstleiter



党下部組織

ナチスの下部組織は党の運営に必要なもの他、政治・経済・軍事・教育と行政全般に渡って設けられたが、ここではpixiv内にイラストが存在する組織を挙げる。

親衛隊(SS)

元は総統アドルフ・ヒトラーを護衛する党内組織の親衛隊として1925年に創設された。
その後、ハインリヒ・ヒムラーの指揮のもとで勢力を拡大し、国内外の敵性分子を諜報・摘発・隔離・収容・看視する準軍事組織として発展する。

特別行動隊その2


  • 一般親衛隊(Allgemein-SS)
武装親衛隊が発足した事で、その他の警察行政関連の任務に当たる親衛隊を区別するために生まれた呼称。
親衛隊が拡大する中で、LAH、SS-VT、SS-TVといった火器で武装した戦闘部隊は武装親衛隊へと発展・重武装化し、第2次世界大戦では陸海空軍に次ぐドイツ4番目の軍隊として大いに活躍した。
なお、黒服は一般親衛隊だけの制服ではなく、親衛隊全体の制服であり武装親衛隊においても着用される。

部活中
ドイツ歩兵


ヒトラーユーゲント(HJ)

ナチスの青少年教化組織。ドイツの10歳から18歳の青少年は全員加入が義務づけられた。
年齢・性別により組織は最終的に以下のように細分化された。

リン&レン(ヒトラーユーゲント制服)
デュオ


  • ドイチェユングフォルク(DJ) - 男性 10~14歳

愛連合理事長へ!ヒトラーユーゲント


  • ヒトラーユーゲント(HJ) - 男性 14~18歳
  • 少女団(JM) - 女性 10~14歳
  • ドイツ女子同盟(BDM) - 女性 14~17歳
  • 信念と美(Glaude und Schünheit) - 女性 18~21歳

突撃隊(SA)

エルンスト・レームを中心に1921年に結成された準軍事組織。
1919年にナチスが主催する演説会における他党からの妨害行為を排除するために結成された組織を前身とし、政敵との抗争やヒトラーの護衛などに従事し、初期のナチスを支えた(なお、当時のドイツでは、様々な政党が類似の組織を持っており、そこまで奇異なものではない)。
やがて、単なる護衛組織を徐々に飛び越え、ナチス内では強大な権力を持つようになり、親衛隊、ヒトラーユーゲント、国民社会主義航空軍団、国民社会主義自動車軍団などは全て突撃隊の下部組織だった。
しかし、規模が大きくなりすぎたことで統制が困難になったことや、突撃隊とヒトラーの路線が対立したことなどから、レームを始め多くの幹部が親衛隊に粛清される。
この事件で規模や権限が大幅に縮小され、下部組織が次々と独立して党直轄の下部組織に昇格。その後は青年に対する軍事訓練が主要任務となった。そのため、不幸中の幸いか戦後は具体的な戦争犯罪に問われることはなかった。

ホッホラントSA


国民社会主義航空軍団(NSFK)

ヴェルサイユ条約で空軍の保有を禁止されていたドイツにおいて、団員にグライダーや飛行機の操縦の訓練を行い、再軍備後すぐに空軍を設立する目的で作られた準軍事組織。

NSFKのクワトロ


国民社会主義自動車軍団(NSKK)

当時貴重であった車やオートバイなどの運転技術・メンテナンス技術の指導のために作られた組織。
自動車運転者の援助や、交通整理なども担当した。後に兵站部隊に配属され、当時まだ馬に頼っていた物資輸送の自動車化に従事していた。

私たちと一緒にモーターボートの操舵訓練をしましょう
NSKK隊員


国家労働奉仕団(RAD)

もともとは失業者対策として公共工事を行う目的で作られた組織を前身としている。
アウトバーンの建設を行い、戦争勃発後は軍用道路、飛行場、鉄道の建設、保守などが様々な市民サービス、軍事建設、農業計画に従事した。

国家労働奉仕団(RAD)第九労働大官区指導者


国民突撃隊(Deutscher Volksstur)

大戦末期の1944年、兵力不足の解消と本土防衛のために結成された民間軍事組織。
16歳から60歳の一般市民で構成され、指揮官にはナチスへの忠誠心が高い者が選出された。しかし訓練、武器、弾薬、物資、士気全ての面で大幅に不足していた。組織名は「ドイツ民族の嵐」と訳される。

生きては帰れぬ国民突撃隊



沿革

国家社会主義ドイツ労働者党の項を参照。

著名なナチス関係者

第三帝国の項を参照。

ナチスをモチーフとしたキャラクター

特撮

漫画

ゲーム

その他


キャラクターのモチーフとしての扱い

海外展開では高確率で怒られ、そして差し替えられる。

関連タグ

第二次世界大戦
軍服
ナチ ナチス風
ディストピア

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