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突撃隊

とつげきたい

突撃を行う部隊のこと。ここではナチスの準軍組織「突撃隊(SA)」について解説する。
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起源編集

ワイマール共和国では、敵対する政治家の演説を妨害する目的で私兵部隊を送り込むということが日常的に行われており、先例に倣う形でナチスも「整理隊」を結成し、「整理隊」は「体育およびスポーツ隊」に改称され、1921年11月4日の党集会を襲撃してきた社民党員800人(数には諸説あるが数百人単位)をわずか50足らずの隊員が撃退したことを契機に「突撃隊」の名称が正式に与えられた。


初期の突撃隊の幹部は義勇軍出身の者が多く、何人かは義勇軍と掛け持ちで活動していたりとかなり独立的な組織であり、ヒトラーが「党の規則に従わなければならない」と言われても気にも止めない者が多かった。しかし突撃隊に流れてきた者たちはヒトラーとの間でそれほど政治的意見に相違はなかったのであまり問題視されることはなかった。


長いナイフの夜編集

しかし全権委任法が可決され、ヒトラーの独裁体制が確立されてくると、ナチスと突撃隊の対立が生じるようになってきた。

ヒトラーは保守層との協力関係を重視し、国防軍の拡張を考えていたが、突撃隊は基本として革命を望む勢力であり、自分たちが国防軍に変わる存在となるべきだとしていた。

ハインリヒ・ヒムラーは突撃隊が謀反を企んでいるのではないかと疑い、ゲシュタポに調べさせたが、そういう計画はなにひとつ見つからなかった。というのも突撃隊の不満は総統が自分たちに正当な評価をしてくれない苛立ちのようなものであって、ナチスの指導者原理を信奉していたのである。

だが、結局のところ、ナチス幹部や親衛隊にとって突撃隊は邪魔な存在となっていたのでラインハルト・ハイドリヒヘルマン・ゲーリングらも加わって突撃隊の謀反をでっち上げて粛清する計画をヒトラーに上奏したが、保留された。

だが、あまりに突撃隊が自重しないので、大統領や軍部から突撃隊問題を処理しないなら解任すると脅されたヒトラーは苦悩の末、突撃隊粛清を決意し、長いナイフの夜と呼ばれる粛清事件が発生した。


その後編集

粛清の結果、突撃隊の下部組織であった親衛隊ヒトラーユーゲントが次々と独立を果たし、さらに突撃隊は武器の保持すら禁止されて軍事訓練に従事する組織と定義された。

私兵部隊としては完全に親衛隊の後塵を拝することになったため、突撃隊幹部は親衛隊に激しい敵意を持つことになり、幾度となく親衛隊と衝突した。

また戦時中も、占領地域の統治者たちが親衛隊に奪われた警察権力を取り戻すべく突撃隊をぶつけさせようとする事例が多かった。


不幸中の幸いとして第三帝国開闢初期に権勢を失ったため、ニュルンベルク裁判では犯罪組織のひとつとして提訴されながらも、証拠不十分で犯罪組織認定を受けなかった。


主な人物編集

エルンスト・レーム編集

突撃隊幕僚長。ヒトラーの親友でバイセクシャル。長いナイフの夜で処刑される。


ヴィクトール・ルッツェ編集

レーム死後の幕僚長。親衛隊に対するヘイトスピーチを繰り返した。1943年に事故死。


ホルスト・ヴェッセル編集

党歌旗を高く掲げよの歌詞を作詞した人物。共産党員に銃撃されて死亡。

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