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エルンスト・レーム

えるんすとれーむ

ナチスの私兵組織であり突撃隊の創設者兼指導者。 長いナイフの夜事件の際に国家反逆罪の名目で粛清された。
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概要

ナチス初期の幹部で、突撃隊(通称SA)参謀長。意志の勝利で有名な第6回全国党大会前に歴史から退場したので知名度はあまり高くはないが、幹部の中で唯一ヒトラーに対して「お前(Du)」と呼び合い、タメ口で話し合える親友のような関係だった。長いナイフの夜の時に反乱の罪を着せられて処刑される。

軍歴

歩兵連隊から士官学校を卒業した秀才で、軍編成や兵站といった組織能力に長けていた。
第一次世界大戦では少尉として参戦。激戦で何度も重傷を負った結果、鼻と頬は銃撃で大きくえぐれ、その笑顔に凄みを持たせていた。大尉として終戦を迎えると、その後も内乱鎮圧のため義勇軍を率いて軍功を重ねる。しかし、平定後は義勇軍の解散に反対して様々な私兵団に義勇軍の人員を斡旋して実質的に義勇軍を存続させようと試みた。そうした私兵団のひとつに後の突撃隊があった。
もとよりレームは極右系の人物であったが、党首ヒトラーとは軍人だった頃からよく知った仲であったこともあって特にナチスに共鳴することとなり、入党後は突撃隊におおくの人員を融通してヒトラーの懐刀として辣腕を振るった。そしてミュンヘン一揆を前にして軍を退役し、名実ともにナチス党の軍事ナンバーワンとなる。
ミュンヘン一揆が失敗した後のレームは偽装を凝らして突撃隊を存続させたが、出獄後のヒトラーと路線対立により党から追放されて二年間ほどナチスから離れている。しかし突撃隊はヒトラーの指導に従わないこともおおく、一度は党から冷遇されていると不満を抱いた突撃隊の一部部隊が党指導部に対して叛乱を起こしたこともあって、ヒトラーは突撃隊を抑えられる人物としてレームを呼び戻して再入党させ、突撃隊幕僚長に任じた。
上下関係をハッキリさせるためにヒトラーは自身が突撃隊司令官を兼任することにしたが、こうした突撃隊の独立性は党内から危険視されることにもなった。

粛正

ナチスが政権を掌握すると、レームは突撃隊を国家の正規軍に昇格することを望んだが、ヒトラーは国防軍の地位を安堵する方針だったので、対立が生じた。
幾度か話し合いの機会が設けられたが、レームはヒトラーとの友情から国防軍の連中に脅されて言いたくもないことを言わされている勘違いしてしまい、ヒトラーを救い出すために慎重に振る舞うことに留まった。
しかし突撃隊の指導者原理より社会主義を優先する傾向が政界保守層から警戒され、ヒンデンブルク大統領および国防軍重鎮から「突撃隊問題を処理しなければヒトラーを首相から解任する」と宣言されたヒトラーはかなり悩んだものの、ゲーリングヒムラーハイドリヒから提出されていた突撃隊粛正計画を実行する決断をし、レームは休暇中で休んでいたところをヒトラー率いる部隊によって逮捕された。

処刑

ヒトラーは突撃隊幹部の粛清を認めつつも、レームの処刑のみは認めておらず、いままでの功績を鑑みて許してやるつもりであり、他の突撃隊幹部が処刑されていても最初の内は拘束されただけで済んでいた。
しかし指導者原理に服さない危険な存在だから処刑すべきという幹部の声に抗いきれず、最終的に認めてしまう。
収容所の独房に閉じ込められていたレームに自決用の拳銃が与えられたが、レームは自決せず、所長のテオドール・アイケによって銃殺される。
最期のレームの言葉は「我が指導者(マイン・フューラー)」であったと伝えられる。

因みにヒトラーはレームの死後、暫く体調不良に襲われた。

余談

レームは自他ともに認める両性愛者であったがヒトラーからは苦言を言われるだけで事実上黙認されていた。
またその愛人関係はかなり組織的なものであったらしく、自分の愛人を突撃隊の空いたポストに捻じ込んで支配力を強化しており、さらにレームの愛を裏切ろうものなら即座に制裁が加えられるというシステムが構築されていたという。

ヒトラーがレームを逮捕すべく旅館に乗り込んだ時も、愛人と気持ちよくアッー!なことをしている状況で微妙な空気が流れたという説がある。
もし史実なら、親友を裏切る覚悟で乗り込んだのにそんな光景を見せられたヒトラーはなんと思ったことやら……

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