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ヘルマン・ゲーリング

へるまんげーりんぐ

ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring)はナチス・ドイツの軍人。ドイツ軍の最高位「帝国元帥」で、ナチス政権のナンバー2を務めた人物である。
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概要

ナチス・ドイツの政府・軍隊の中で、総統ヒトラーに次ぐ№2的位置に存在した人物。政治家としては国会議長、プロイセン州首相。軍人としては航空相、ドイツ空軍総司令官という空軍の長。

経歴

1893年ドイツ・バイエルン生まれ。ゲーリングの父ハインリヒは高位の外交官だったが、自由主義的な思想が煙たがられて早めの退官を強いられ酒びたりとなり、プロイセンの裕福な大地主エーペンシュタインに育てられる。エーペンシュタインは中世の貴族に憧れており、中世風の城で多くの使用人を従えて暮らしていた。ゲーリングはこのエーペンシュタインを父代わりとして尊敬し、彼の貴族趣味と騎士道趣味を受け継いだ。

優秀な成績で士官学校を卒業し、第一次世界大戦から軍人として活躍。エースパイロットとして有名なイケメンだった。
第一次世界大戦では、一般部隊でエースパイロットとして頭角を現し、18機撃墜スコアによりドイツの勲章プール・ル・メリット勲章を授与されるなど、エースパイロットとしての名声を高めた後、かの有名なマンフレート・フォン・リヒトホーフェン(赤い彗星の元ネタ)が率いたエース部隊、リヒトホーフェン大隊の隊長に就任する。
このときはマンフレートが戦死し、次の隊長も事故死していたのだが、大隊にはゲーリング以上のスコアを持つパイロットたちがいたにもかかわらず、別部隊から抜擢された。このため、戦闘では隊長ゲーリング自ら率先して突撃し、四散させたところを他のエースパイロットに仕留めさせてスコアを譲ったことで人望を得、最終的には初代隊長以上の信頼を得た。(おかげで本人の最終スコアは22機にとどまってしまったが)

戦後にナチスと出会い、入党。そこで「有名な軍人が入ってきた」と憧れと希望の羨望をうけまくるものの、1923年にヒトラーが起こしたミュンヘン一揆という暴動未遂で負傷してしまい、治療時に注射された麻酔のモルヒネのせいで中毒症状を起こし、最終的にデブになってしまう。
一応その後、何度かダイエットに挑戦はしているのだが、美食家だったために全て失敗に終わっている。

それでも軍事・政治能力は下がることなくナチスが政権を掌握するとプロイセンの統治者になって、第二次世界大戦が始まると空軍の航空戦闘力を上手く操って「帝国元帥」とドイツ最高の軍事指導者になる。
しかし、1940年から始まったイギリスへの空軍による侵攻は何度も失敗。挽回の為に挑んだというソ連スターリングラードの戦いも上手くいかず、徐々に彼の権威は失墜していく。

ついに、敗北寸前の1945年にヒトラーの下から逃亡。連合国に投降し、戦犯としてニュルンベルク裁判を受ける。無罪を勝ち取ろうと検事たちと丁々発止の論戦を繰り広げるも結果、1946年に死刑の判決が下る。
しかし、執行前に秘かに隠し持っていた青酸カリで服毒自殺を遂げてしまう。
遺書によれば「銃殺刑なら甘んじて受ける覚悟はあったが、絞首刑にされるのは我慢ならなかった」との理由であった。(一般的に銃殺刑は軍人の処刑方法であり、絞首刑に比べて軍人としての名誉が保たれるため)
この自殺はニュルンベルク裁判と連合国に大打撃を与え、当時の新聞各紙はゲーリングが連合国に一杯くわせたと報じている。

逸話

ルネサンス時代の貴族に憧れ大変に華美な生活を送っていた。好きだったのは豪華な衣装、贅沢な料理、宝石ベンツやホルヒの高級車鉄道の模型、そしてモルヒネ。
衣装や装身具にもこだわりがあり、本人がデザインしたと噂された純白に金モールをちりばめた軍服をまとい、銀飾りをちりばめたピストルや何種類もの毛皮のコートを身に着けていた。これらは成金的なものではなく大時代な貴族趣味と受け止められ、大衆からはむしろ「憎めない人物」として人気があったという。
美術品好きもよく知られた趣味で、古典美術だけでなく現代美術にも理解を示し、ナチスが「退廃美術」扱いした作品も密かに私物化することで保護した。

狩猟も趣味だったが、あまり動物を殺すことは無く、動物・自然保護を行なったという。

・ナチスドイツの悪名を高めたゲシュタポは、ヒムラーハイドリヒの指揮が有名だが、創設者はゲーリングである。

・戦友への情に厚く、第一次世界大戦で共に戦ったパイロットたちをナチス時代に積極的に登用したほか、リヒトホーフェン大隊時代の部下の一人がユダヤ人だったため、彼をゲシュタポから守った。

・空軍のトップではあるが、その配下には「ヘルマンゲーリング師団」という陸上の機甲部隊も有していた。
「何故空軍が機甲部隊持ってるんだ!?」というツッコミに対してだが、理由は簡単で「んなもん俺が欲しいからに決まってんだろ!!」であった。(一応ゲーリング本人は陸軍出身である)

・優美なルックスと凝ったメカニズムで有名なルガーP08をいたく気に入っていた。どれくらい気に入っていたかというと、性能と使い勝手に優れる後継のワルサーP38が陸海軍で制式採用された後も、空軍には終戦までルガーを使わせていたくらい気に入っていた(一応、ゲーリングが製造メーカーのクリークホフ社の大株主であったことも関係している。要は癒着である)。
クリークホフ社から贈られた象牙とエングレーブでギンギラギンに装飾された二丁のルガー(通称:ゲーリング・ルガー)は、ゲーリングお気に入りの「おもちゃ」の一つでもあった。

・第二次世界大戦後、連合国に逮捕されたことでモルヒネ中毒から脱すると、皮肉にもその指導力とカリスマ性は戦中よりも高まり、ニュルンベルク裁判では他の被告達と組んで堂々と弁論を戦わせた。その内容は判事たちはもちろん、対立していたアルベルト・シュペーアもいい演説だと賞賛した。さらにシュペーアは「元帥の時にこの精神力があれば」と言ったという。

・ニュルンベルク裁判中は冷静な態度を崩さなかったゲーリングだったが、弁護人に「なんであんな服装してたの?」と貴族趣味について問われた時だけは不機嫌になり、やや半ギレ気味に「俺が自分ちでどんな格好してようと勝手だろ!」と答えたそうな。

・ナチスを象徴する「ハーケンクロイツ」(鉤十字)だが、これは元々は北欧でのお守り「ハカリスティ」であり、スウェーデンを訪問した彼がナチスの宣伝として使ったのがきっかけであった。


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あの画像
もるひねしゃんぱーん☆


Hermann Wilhelm Göring
(寝取られ注意)すわさま罰当たり3P抱かれ抱き枕



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