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アドルフ・ヒトラー

あどるふひとらー

ナチス政権の最高指導者(総統)。独裁者の代名詞としてその悪名は知れ渡っている。
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概要

ドイツナチス・ドイツ時代)の政治家。フルネームはアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)。1889年のオーストリア生まれ。

日本語では「ヒットラー」とも。当時はヒットレルとも表記されていた。

独ソ戦で激突したスターリンとともに20世紀最凶最悪な独裁者として、その悪名は時代・世代・国境を越えて世界中に広く知られている。

生涯

1889年4月20日、オーストリアとドイツとの国境にある都市ブラウナウで、アロイスと3番目の妻クララの間に生まれる。異母兄弟と実の兄弟を含めて8人いて6番目。母とは相性が良かったが、父とは仲が悪かった。
父からは度々虐待を受けており、その影響から成人後も奇妙な寝言を発したり夜中にうなされることがあったという。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインと同い年で、幼少時は同じ学校に通っていた。
会ったかどうかは不明。

地元の実業学校を中退して(そのため、ヒトラーの最終学歴は父と同じく小学校卒業である)画家(途中から建築家)を志し、ウィーンに遊学し、水彩画を多く描くかたわらワーグナーとドイツ民族主義思想に熱狂するその日暮らしのニート生活を送る。父アロイスは、小学校卒業が最終学歴だったが、靴職人から税関の上級職員にまで上り詰めるという、当時のドイツでは異例な出世を遂げた努力家であり、遺産は相当なものであったため、このような生活が可能であった。ただ、その遺産も、さすがに一生遊んで暮らせるほどの額ではなかったので、母クララは息子が進学も就労もしない事に悩んでいたようである。なお、全く働かなかったわけではなく、絵葉書などを売って生活費の足しにはしていた。ただ、ヒトラー本人は、職人のような仕事は軽蔑しており、そういった労働につく気はなかった。

勉強家であり、しばしば図書館に通いつめていた。ただ、読む本は自分の好みに合った物が中心であり、体系だった学問ではなかった。反ユダヤ主義や疑似科学などの怪しげな本を乱読し、のちのナチズムにつながる思想が形成された。そんなある日オーストリア政府から召集令状が届くが、大ドイツ主義者のヒトラーは多民族国家オーストリアの兵士になる事を忌避しドイツ・ミュンヘンに逃亡してしまう。
ミュンヘンでは絵を定期的に買ってくれる画商を獲得するなど画家としての生活を確立しつつあったが、第一次世界大戦が起こると志願して1914年にドイツ軍に入隊。戦場では伝令兵として勇敢に働いて不死身の男と呼ばれ、六回も受勲した。彼が受勲した一級鉄十字章は本来ヒトラーの階級では貰えない異例のものであり、終生これを誇りとして身に付けていた。
ただし、当時の上官によれば「強兵ではあるが統率力はない」と見られており、兵長までしか昇進していない。
1918年にイープル戦で毒ガスにより目をやられ、野戦病院で敗戦を迎えた。なお、ヒトラー自身は、この治療中に自分の使命が「ドイツを救うこと」にあると確信したと話している。
敗戦後も軍に残って、しばらく軍務を続けた。ドイツでは苦しい状況から革命が起き、各地で共産主義を標榜する地方政権が生まれていた。
その時に、軍人カール・マイヤーによってスパイとしてスカウトされ、ヒトラーは革命政権を支持する兵士達や、新興政党の調査を行うこととなった。この一環として「ドイツ労働者党」の調査をしていたが、党の反ユダヤ主義、反資本主義に魅せられ、逆に党へと加わった。
ちなみに、ヒトラーはマイヤーに許可を得てから入党している。マイヤーは、初めは「ドイツ労働者党」に好意的であったが、後に批判者となり、ヒトラーの政権獲得後は強制収容所に送られて、イギリス空軍の空爆に巻き込まれて死亡している。

その後、ヒトラーは政治家としての才能を発揮し、演説の才能をもって党の顔となり、さらには党の実権を掌握、《国家社会主義ドイツ労働者党(通称ナチス)》に改称し、民族主義と反ユダヤ主義を掲げた。

当時のドイツは、敗戦後の莫大な賠償金が課せられたことで、国内の経済が混乱していた。
これに乗じて、ヒトラーたちは革命・ミュンヘン一揆を起こしたが、失敗し投獄される。しかし当時、経済同様に混乱していたドイツ政界、特に法曹界は保守的な風潮が強かったこともあってヒトラーを強く抑えることが出来ず、結局は釈放した。ヒトラーは、釈放後に政治活動を再開すると同時に、失敗を反省して、あくまで選挙という合法的手段による政権獲得を目指すようになる。

1933年、ドイツ首相に就任し、翌34年には大統領と首相を兼務した《総統》に就任。ナチス政権下ドイツを神聖ローマドイツ帝国に次ぐ、《ドイツ第三帝国》と称した。
もちろんナチスの選挙における勝利も要因の1つだが、総統にまで就けたのは議会を軽視し閣僚を自分の好みや側近の薦めだけで選んでいたヒンデンブルク大統領の助力によるところが大きい。全権委任法などに代表される独裁政治の確立には、選挙の勝利、ナチスの巧みな議会工作・暴力など様々な要因が絡んでおり、「ナチスは煽動により民衆からの圧倒的支持を得て選挙に大勝、それによりヒトラーは総統の地位を得た」などと単純化して考えない方がよい。

ナチスは極端なインフレデフレを繰り返していたドイツ経済の混乱を止めるため物価統制や世襲農場法(一種の農地改革)、大規模な公共事業、貯蓄奨励などを行い、これらの政策が功を奏して、ドイツの経済基盤は一応の安定を見る(しかし食糧不足・資源不足は最後まで解決されなかった)。
アウトバーンの建設や軍備拡張で重工業部門での雇用が増加し、徴兵制が再開されたことで、失業問題が解決した。ただしこれらの政策はヒトラーの発案によるものではなく、経済政策に全権を任せられたヒャルマル・シャハトらの貢献によるものである。
また、戦争ありきな経済体制であったため、閣僚が「戦争をしなくても、崩壊する」と思ったほどの財政赤字を抱えており、その債務履行期限は1939年だった。

ヒトラーは民族の再興のための東方への生存圏拡大(=東欧への侵略)を信念としていたため、オーストリア・ドイツ国境付近のズデーテン地方割譲やオーストリア併合、チェコスロバキア併合、枢軸同盟を経て、1939年にソ連と共謀してポーランドへ侵攻。
の対独宣戦布告で第二次世界大戦の勃発となった。

フランスベネルクス三国を占領し、イタリア北欧バルカン諸国、東欧各国を枢軸同盟国とし、快進撃を続けてソヴィエトを含むヨーロッパの大部分を支配したが、イングランドスイススウェーデンスペインポルトガルアイルランドアイスランドトルコの8ヵ国には結局侵略しなかった(できなかった)。
(※ただし、ナチスは陸続きでないイングランドには空爆で序盤は激しく攻め立てたが、イングランドは対空無線などでドイツ飛行隊の位置を事前に把握できるようになってからは、逆にイングランド空軍に迎撃されるようになり甚大な被害を被り、イングランド侵略を断念せざるを得なくなった。同じく陸続きでないアイルランドとアイスランドには全く攻撃対象としなかった。陸続きのスペインにも1937年ゲルニカで世界初となる空爆を「スペイン内戦」の混乱に乗じて遂行しただけで、陸軍を用いて全く侵略しなかった。同じく陸続きのスイス・スウェーデン・ポルトガル・トルコにも全く攻撃対象としなかった)
そして、支配・侵略の過程でユダヤ人へのホロコーストを終戦まで絶え間なく続けた。
しかし、独ソ戦でスターリングラードの戦いで敗北し、連合軍のノルマンディー上陸作戦で戦況が逆転し戦局はさらに悪化。
連合軍が東西挟み打ちで迫り、ベルリンの総統官邸地下壕に留まっていたヒトラーは、1945年4月30日15時半頃、結婚を交わしたエーファ・ブラウンと共に自殺。56歳没。遺体はソ連軍に回収されマグデブルクで一度埋葬され1970年4月4日に発掘、完全に焼却されエルベ川に散骨された。

ソ連による情報統制がしかれたため生存説などがしばしばささやかれるが、ソ連の崩壊後ヒトラーの遺体に関する公文書が開示されたこと、近年でも改めて法医学者による残された遺体の検査で歯形や頭蓋骨の形から、ヒトラーが1945年にベルリンで死亡したことは明らかである。

人物像

体格

身長は1914年時点で約175cm。体重は1944年時点で約104kg。よく《チビのチョビ髭》と言われるように、ちょび髭は見た目で一番の特徴だが、身長は当時のドイツ人としては比較的長身である。
ちょび髭は労働者党の初期の幹部の一人ゴットフリート・フェーダーからまねたもの。奇しくもこの特徴はヒトラーと同い年のコメディアンチャップリンと同じ(ただしチャップリンのものは付け髭)で、後に映画『独裁者』で揶揄されることになった。

碧眼で幼少期は金髪だったが、成人後は黒髪に変化(金髪が黒髪に変わるのは、欧米人にはよくあることである)。遺伝的に薄毛で、晩年は生え際が後退している。


好きなもの

家で知られ、第一次大戦の戦場でテリア犬のフクスルを拾い、総統になってからはジャーマンシェパードブロンディを飼っていた。

実はディズニーファンでもあり、後に対抗意識が芽生えて、国営アニメスタジオを立ち上げた。

自動車や飛行機などの乗り物好き。本人は自動車を運転しなかったが、ポルシェを愛好した(社長であるポルシェ博士とも懇意にしており、兵器製造でポルシェ博士は度々ヒトラーに便宜を図ってもらっていた)。

音楽ではリヒャルト・ワーグナーを特に好み、マニアックな知識を披露して周囲を驚かせたこともあり、一族が主催するバイロイト音楽祭はナチス時代は国家的行事であった。
ワーグナーはとっくに死去していたため当然面識はないが、ワーグナーの妻のコジマ(リストの娘でもある)と面会したことはある。
ちなみにワーグナーも反ユダヤ主義だったため、イスラエルでは現在でも二重の意味でワーグナーは禁忌である。

終生自分を芸術家であると自負していた。主に風景画を描き、建物の描写を得意としたが、人物絵がほとんど描けなかったようだ。
権力を握った後は、自分の好みに合う芸術は進んで保護したが、一方で自分の好みに合わない芸術は徹底的に弾圧した。

女性には子供とともに親切に接したが恋愛、交際は下手だった。
この辺りは、父のアロイスが、結婚している身でありながら、他の女性に手を出しまくるなど奔放な性生活を送っていたのとは対象的である。
姪のゲリ・ラウバルには愛情を注いだが、彼女の自殺に大きなショックを受けた。
専属写真家の助手だったエーファとは、女性層の支持を気にして1930年代前半から死の直前まで結婚せず愛人関係のままだった。

それなりに恩義には報いる性格であり、母クララの癌を診ていた医師エドゥアルド・ブロッホはユダヤ人であったが、ヒトラーは彼に対しては弾圧をせず、アメリカへの亡命をも許可している。

食生活

食生活に関しては中年になってからは気合の入った菜食中心で、独裁者とは思えないほど節制していた。溺愛する姪ゲリの自殺に痛嘆して《死体を食べるようなものだ》とハムを拒否したのが始まりとされている。
当初はソーセージレバーまでは禁じておらず、総じて世間の肉嫌いと大差ない程度であったが、最晩年には完全な菜食に移行していたようで、遺歯からは肉の痕跡が全く見つからなかった(参照)。

また、母の嗜好や、父の死(煙草の過剰摂取による脳卒中)の影響から酒を控えており、煙草には殆ど手を出さなかった。煙草に関しては、周囲に吸う人がいれば度々止めるように勧めており、禁煙を含めた健康政策を進めていた。

酒は断っていたというわけではなく、ビールワイン程度なら時々飲んでいたのだが、上記の宣伝のために、どうも周囲には《飲めない》と思われていたようだ。
第二次大戦末期、ある作戦の初期戦況が良好だったため前祝いでワインを口にし、側近が素で驚愕したというエピソードがある。

ともあれ、上記のような潔癖ぶりはゲッベルスの宣伝によって美化され、清廉な禁欲主義者というイメージが形作られていった。

健康面

母がガンで亡くなった事などから健康に不安を抱いていたが、それが昂じて不安障害を抱えており、1920~30年代に精神科で治療を試みたがうまくいかなかった。
政権獲得後のストレスと疲労で健康状態が悪化し、テオドール・モレル医師を紹介されたが、彼は安易に劇薬を処方する面があり、次第に体は蝕まれていった。
戦争後半に別の侍医がモレルの処方を疑い、モレルがヒトラーに処方した薬を試しに飲むと、日ごろヒトラーが訴える症状が出たというエピソードもある。
また、1941年ごろからパーキンソン病を発していた(またはモレルの処方する劇薬による薬剤性パーキンソニズム)と言われており、戦争後半の無理な作戦指導の一因となったと言われる。


資産

ヒトラーは贅沢な生活にはあまり興味がなかったが、いわゆる銭ゲバだった。任期中党のスポークスマンは「無給で働き、口座もない」と喧伝していたが実際は受け取っていたし、口座もあった。その上税金の滞納は常態化しており税務署から何度も催促されても無視、しまいには「総統は免税対象である」と脱税を正当化してしまった。
この他にも新婚家庭に半強制的に購入させていた我が闘争の印税、切手や写真の肖像権、基金や囚人から押収した財産を横領するなどして莫大な資産を築き、一説には4000億円もの資産を有していたという。これらは主に党幹部や社会の支配層を繋ぎ止めるために使われていた模様。
遺書において、ヒトラーは自分の兄妹とその家族に「中産階級の生活が送れる程度の」遺産を贈与するとしている。おい、4000億円はどこへいった。

『我が闘争』

『我が闘争』(Mein Kmpf)はヒトラーが1923年ミュンヘン一揆の失敗後、獄中で口述筆記を始めた著書。

この中でヒトラーは自らの理念と指針、民族復活の計画をまとめ、非科学的根拠の元に《民族の人種的優越、東方への生存圏獲得》を説いている。
この中で、東洋人である日本人に対して「文化追従種」「二等種」など蔑視的記述も見られ、戦前戦中はそれらの部分をのぞいた翻訳本が日本で出回っていた。
東洋人蔑視の一方で「黄禍論はユダヤの扇動」と語って東洋との友好を説くなど、歪な対外観が伺える。

ヒトラー死後はバイエルン州が著作権を持っており、ドイツでは事実上の出版禁止となっていた。
ドイツやオーストリア以外の国では、書店において翻訳版が出版、発売されており、誰でも普通に読むことができる。
しかし、原書のドイツ語版は出版されておらず、古書としてしか読むことができなかったのだが、インターネットで簡単に読むことができることから、2016年2月、ドイツ・バイエルン州で学術書として出版、比較的高額であり、ナチスの政策に批判的な注釈をつけているとはいえ、ヒトラー信奉者はその部分を飛ばして読むのではないかとの懸念・批判が、現在起こっている。

軍事面

ヒトラーは軍事面を極めて重要視し、軍事こそ国家の礎と見なしていた。
政権掌握直後から軍部を掌握し、戦時指揮も直接行うほど熱がこもっていた。
兵器では通常兵器に重点を置きながら、一年以内に配備可能な新兵器の開発に力を注いでいた。機甲部隊の設立を許可したのは彼であるが電撃戦理論には否定的であり予算もまわさなかった。
側近から原子力開発(=原爆開発)を度々提案されたが、ヒトラーは否定的だった。
完成には一年以上もの長期的時間を要したため後回しにされ、さらに原子力の基礎理論である相対性理論がユダヤ人のアインシュタインによるものだったため、原子力をユダヤ的と見なして反ユダヤ主義のヒトラーは受け入れるはずがなかった。

反ユダヤ主義

ヒトラーが反ユダヤ主義であった事は疑いのない事実であるが、その反ユダヤの意識が、彼の生い立ちの中、どのような過程で育まれたのかについては数々の研究にもかかわらず未だ決定的な理由は見つかっていない。
少なくとも、幼少期には極端な反ユダヤの行動は見られておらず、青年になってからもユダヤ人との付き合いが確認されている。
ただ、政治家としての道を歩み始めた30歳頃には、演説で《ユダヤ人は寄生動物》と堂々と発言しており、この頃には徹底した反ユダヤ主義を持っていたと推察されている。

そして、これは彼個人の狂気ではなく、多くのドイツ人支持者は、そのような演説を聞いても選挙においてヒトラーとナチスに投票していた。
ヒトラーは「総統」の地位につくまでに、数々の非合法スレスレな手段も使っているが、その前提となる《国会議員》の資格をヒトラーに与えたのは、紛れもなくドイツ人の支持があったからである。
ホロコーストについても、ヒトラー個人だけでは絶対に不可能な規模であり、ユダヤ人虐殺を積極的に支持するドイツ人を筆頭とするヨーロッパ人がいて、初めて可能となった。ドイツが進駐したヨーロッパ各国では、ホロコーストを積極的に手助けした多くの地元民が確認されており、その圏外でも、逃げてきたユダヤ人をドイツへ追い返した例は枚挙に暇がない。
このように、反ユダヤ主義は当時のヨーロッパで決して珍しいものではなく、ヒトラーのそれも取り立てて特別視するほど強いものでもなかった。しかし、それを法的に正当化し、ユダヤ人という特定な民族を絶滅対象とする考えを政策として実行した点で、ヒトラーが後世に与えた歴史的影響は果てしなく大きい。

対日観

当初のヒトラーの対日観は上述の『我が闘争』でも書くほど否定的だったが、同盟関係が結ばれて以降は肯定的な発言を増やしていった。その根拠としてもユダヤ人はしばしば引用され、「ユダヤ菌に汚染されていない日本は好ましい」という極めて差別的な言葉遣いで日本を称賛している。

人種の優劣を説き世界征服を目指すヒトラーにとって、建前とは言え植民地解放と大東亜共栄圏を目指す日本は脅威でしかなく、日独関係は日英同盟のように一時的に共通の敵に対抗するものでいずれは解消されるとしていた。さらに将来的にドイツは日本と対立し、敵国として対決すると口にしていた。接見した満州重工業の総裁に対して、皇室の伝統を称賛しながらも「日本は絶対に機械作りで我が国に勝てないだろう」と軽蔑的な心境を吐露している。

しかし同盟関係が深化するにつれてこのような蔑視は減り、国民に和食の普及や日本語教育を試みるなど、日本文化に傾倒。日本軍が真珠湾攻撃に成功した知らせを聞いた時にヒトラーは、「われらは戦争には絶対に負けようがない! 今われらには三千年の間、征服されたことのない同盟国があるのだから」と勝利の確信を叫んでいる。
神風特攻隊についても、ナチスや報道局は「英雄」(ヘルト)と誉め讃えつつ戦果を強調した。カミカゼの影響は大きく、ヒトラーやハヨ・ヘルマンなどの幹部たちが、ドイツも「自己犠牲攻撃」を行う必要があると考えて「エルベ特攻隊」(ゾンダーコマンド・エルベ)を設立し、パイロットたちを敵軍に体当たりさせたほどだった。

戦局悪化と共にヒトラーの考え方は悲観的になっていき、敗戦直前の遺書では「我々にとって日本は如何なる時でも友人であり、この戦争の中で我々は彼らを益々尊敬することを学んだ。ドイツと日本は一緒に勝つか、それとも、共に亡ぶかである。」と滅びの美学的な賛辞を送っている。その後の日独が一緒に敗戦したにもかかわらず、両国とも亡びなかった結果を鑑みると、皮肉な賛辞だった。

家族

母クララや姪のゲリ・ラウバルなど、親しい親族もいたが、父アロイスとは折り合いが悪く、男の兄弟は早逝している。父アロイスは性に奔放であり、浮気性でもあったため、異母兄弟が多くいた。
このような複雑な家族構成だったためか、アドルフ・ヒトラーは《一族》という概念自体を嫌っていたとされ、有名になってからも家族や親戚のことを探られるのを極端に嫌った。
独裁者になると、要職を親族間で分け合って、国家の財産を独占することも珍しくないが、ヒトラーはこの例に当てはまらなかった。親族はほとんど遠ざけて、マスコミからも隠すようにしていた。
私は自分の一族の歴史について何も知らない。私ほど知らない人間はいない。親戚がいることすら知らなかった
と、ヒトラー自身が語っているほど、ヒトラーは親族について探られるを嫌った。
このため、ドイツ史上、最高の権力を手にした独裁者が親戚でありながら、ヒトラーの親族は、ほとんどその恩恵に預かれず、せいぜいが閑職を世話されるくらいが関の山であった。
しかし、戦後はヒトラーの一族というだけで迫害され、投獄されたり殺されたりした者もいるなど、悲劇に見舞われた。

なお、アドルフ・ヒトラーには子供はいなかったとされている。
ただ、1972年にジャン・マリー・ロレットなるフランス人が「自分はヒトラーの息子だ」と名乗り出たことがある。ジャンによれば、母シャーロット・ロブジエが1918年(第一次世界大戦中)、当時はまだ単なる兵士だったヒトラーと情を交わし、ジャンが誕生したという。
ごく僅かながら、彼の話を支持する歴史家も現れたが、具体的な証拠がないため、作り話とされる事が大半である。

ヒトラーの親族の中で、変わり種といえば、ウィリアム・パトリック・ヒトラーが挙げられる。ヒトラーの腹違いの兄弟の息子、つまりは甥に当たる。アイルランド人との混血として、イギリスに生まれる。1930年代にドイツを訪問し、当時はすでに政治家として頭角を現していた叔父アドルフに、半ば脅迫まじりに仕事を世話するように要求。閑職を世話されるも、それに満足しないと、アメリカに渡って、アメリカ軍に入隊したという、かなり変わった経歴を持つ。なお、当初、アメリカ軍は彼の背後にヒトラーがいるのではないかと疑い、入隊を許可しなかった。入隊ができたのは、1944年と遅く、このため彼は前線には配されなかった。ただし、負傷はしており、そのために勲章をもらっている。

ウィリアムが、叔父ヒトラーをどう考えていたのかについて、残された資料はない。ただ、ウィリアムは戦後、姓をスチュアート=ヒューストンに改めている。ヒトラーとの決別かとも思われるが、一方で、この姓は、小説家ヒューストン・ステュアート・チェンバレンから取ったのではないかとの説がある。チェンバレンは、強い反ユダヤ主義の持ち主であり、ヒトラーに様々な影響を与えたとされる。このような姓を選んだウィリアムの本心は、今でも謎のままである。

メディア

ヒトラーは様々なメディアを駆使して人心を掌握していった。彼の部下であるゲッベルスは、国家戦略的なプロパガンダの先駆者として名高い。

愛しい貴方の生まれた月


ヒトラーとナチズムを風刺したチャップリン映画『独裁者』をヒトラー本人が二度鑑賞した記録があるが、感想は残っていない。

発言例

ヒトラーは象徴的・神話宗教的な表現を多用しており、その発言には《》等がよく登場する。
ヒトラーの思想によればアーリア人種(ドイツ人種)は《天才》《神的》《神人》で、全ての人類文化はアーリア人種起源であり、一方ユダヤ人は《吸血鬼》《細菌》《大衆》《半獣》である。

  • 『わが闘争』上巻(角川文庫)
    • 「この遊星はすでに幾百万年も、エーテルの中を人間なしで動いていた」(375ページ)
    • 「われわれが今日、この地上で賞賛しているすべてのもの ―― 科学芸術発明 ―― はただ少数の民族、おそらく元来は《唯一》の人種の独創力の産物であるにすぎない」(375ページ)
    • 文化の創始者としてのアーリア人種」(377ページ)
    • 「アーリア人種だけがそもそもより高度の人間性の創始者であり、それゆえ、われわれが「人間」という言葉で理解しているものの原型をつくり出した」(377ページ)
    • 「アーリア人種は、その輝くからは、いかなる時代にもつねに天才的ひらめきがとび出し、そしてまた認識として、沈黙する神秘をともし、人間にこの地上の他の生物支配者となる道を登らせたところのあのをつねに新たに燃え立たせた人類プロメテウスである」(377ページ)
    • 「すべての人間の創造物の基礎周壁はかれら[アーリア人種]によって作られており、ただ外面的なだけが、個々の民族のその時々にもつ特徴によって、決定されているにすぎない。…日本は多くの人々がそう思っているように、自分の文化ヨーロッパ技術をつけ加えたのではなく、ヨーロッパの科学と技術が日本の特性によって装飾されたのだ」(377-378ページ)
    • 「実際生活の基礎は、たとえ、日本文化が ―― 内面的な区別なのだから外観ではよけいにヨーロッパ人の目にはいってくるから ―― 生活の色彩を限定しているにしても、もはや特に日本的な文化ではないのであって、それはヨーロッパアメリカの、したがってアーリア民族の強力な科学技術的労作なのである」(378ページ)
    • 「人類の文化発展のにない手だったし、今でもそうである《唯一の》人種 ―― アーリア人種」(382ページ)
    • 「アーリア人種はこの内面的な志操によってこの世界におけるかれらの地位をえたのであり、世界に人間が存在しているのもその志操のお陰である」(388ページ)
  • 『ヒトラー語録』(原書房)
    • 稲妻が起すといっても間違いではないであろう」(23ページ)
    • 「この永遠であることを信ずる」(24ページ)
    • 「ある民族が徳性を持つか持たないかの判断は人間にできるものではなく、の御手にゆだねられるべきものであろう」(36ページ)
    • 吸血鬼ユダヤ人を根絶しなければならない」(86ページ)
    • ドイツを非難した文章の出版先はみなユダヤ人である」(86ページ)
  • 『現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇』
    • 「人間は、生物学的に見るならば、明らかに岐路に立っている。新しい種類の人類はいまその輪郭を示し始めている。完全に自然科学的な意味における《突然変異》によってである。 … 創造力は、すべて新しい種類の人間に集中することになろう。この二種類の人間は、急速に、相互に逆の方向へ発展している。一方は、人間の限界の下へ没落していき、他方は、今日の人間のはるか上まで上昇する。両者を《神人》および《大衆》と呼ぶことにしたい。 … 《人間とは生成途上のである》。人間は、自己の限界を乗り超えるべく、永遠に努力しなければならない。立ちどまり閉じこもれば、衰退して、人間の限界下に落ちてしまう。半獣となる。《神々と獣たち》。世界の前途は今日、そのようなものとしてわれわれの行く手にあるのだ。こう考えれば、すべては、なんと《根源的で単純》になることか」(102ページ。初出は『永遠なるヒトラー』296~297ページ)
  • 『ヒトラー(上):1889-1936 傲慢』(白水社)
    • 「世界市場へののかたちをしている」(336ページ)
  • 『ヒトラー(下):1936-1945 天罰』(白水社)
    • はもはや人間ではない。連中はだ」(432ページ)
    • 「戦後に全面的な解決策を見出さねばならないのは明らかだ…それは、キリスト教的な世界観ゲルマン英雄的な世界観の間の解決不能な対立なのだ」(480ページ)
    • 「もしユダヤ人が思うままに振る舞ったら、彼らは彼らの計画を実行するだろう。それは人類にとってペストの発生源となる…なぜなら、ある国家がたった一つのユダヤ人家族の存在を国内で認めただけで、それが新たな解体を引き起こす細菌の発生源となるからだ」(500ページ)
    • 「思うに、法律家というのは皆、生まれつき欠陥があるか、それともやがてそうなるかのどちらかに違いない」(535ページ)
    • [松岡洋右外相について]「米国聖書宣教師偽善と、日本的、アジア人的な狡猾さを併せもつ」(398ページ)
    • 大日本帝国真珠湾攻撃について]「われらは戦争には絶対に負けようがない! …今われらには三千年の間、征服されたことのない同盟国があるのだから」(473ページ)

注意

規制の現状

ドイツ国内では、ナチスやヒトラーを賞賛したりするのは法律で禁じられており、ネオナチが度々処罰対象となっている。
正確には《民衆扇動罪》であるが、ドイツでは反ナチ法の基本にもなっている。また、オーストリアやフランスなどでも法的に禁止されている。

冗談でもドイツ人やユダヤ人の前でナチス式敬礼を行ったり、ドイツをナチスの聖地巡礼として訪れたり、ナチス軍服コスプレと称して着て街中を歩くことをしてはならない。不謹慎を通り越して身柄を拘束される恐れがある。
ただし鉤十字さえ外せば個人でやるぶんには問題なく、今のドイツでも当時のドイツ軍の愛好家・コスプレイヤーは居る。第三帝国期に製造された鉄道車両を博物館等で保存する場合も、紋章などから鍵十字を外せば完成当時の姿で陳列が可能である。大戦中に鉄十字勲章などを授与された軍人は西ドイツでは戦後も佩用を認められたが、その時は中央の鍵十字を無くしたデザインの「戦後型」を使う必要があった。

ヒトラーを連想される行動やパフォーマンス、髭もNG。また、ハイル・ヒトラーのイニシャル《HH》や、Hがアルファベット順で8番目に位置することから《88》という数字も嫌われる。
また、《アドルフ(Adolf)》の《A》やアルファベット順《1》、《ヒトラー(Hitler)》の《H》や《8》、ナチスが良く使った《ジークハイル(Sieg Heil)》の《S》や《19》も嫌われており、オーストリアではこれらの数字が自動車のナンバーに使われることが禁止されるほどである。

前述のヒトラーを扱った映画『最期の12日間』も2004年にしてドイツ初の試みであったほど、EU各国やイスラエルではナチスとヒトラーはタブー視されている。
ただし、連合国でもナチスの占領を受けなかったイギリスアメリカ合衆国、それに当時の政体が否定されているロシアは、比較的寛容である。
イギリス人やアメリカ人は、ナチよりソ連嫌いの方が多く(これはドイツを資本主義国として組み込むことに成功した事も関係している)、ビッグ・ベンの目の前で武装SSのコスプレをして記念撮影したり、IV号戦車の1/1モデルを製作したりと、他の地域では考えられないほど気合の入ったナチ趣味人がいる。
ロシアやウクライナに至っては、趣味を通り越して本気でヒトラーを崇拝するマジモノのネオナチが存在する。該当地域には独ソ戦犠牲者の遺族も多いため、その軋轢は甚大である。本来ナチズムはロシアやウクライナ等のスラブ民族を劣等種と見做しているが、近年のネオナチはスラブ民族を「アーリア人」という大きな括りで同化する動きがあり、単なる白人至上主義への変質が指摘されている。

ナチスの逆鉤十字マークハーケンクロイツ(Hakenkreuz)・卐」が、日本の地図でお寺を示す記号「まんじ・」を逆にした形と似ており、これも扱う際は注意が必要である(事情を知らない外国人がよく誤解する)。

なお、鉤十字(swastika)は、古くから洋の東西問わず幸運の意味で使われ、インディアンにも似た模様があり、フィンランド軍も、第二次世界大戦中にナチとは無関係で使用している。
大戦後は元々の経緯を問わず、ナチスのイメージと結びつけて認識・規制されるようになった。

また、前述の通り、ヒトラーの名前である「アドルフ」を避けるようになっている。元々アドルフとはドイツ語で「高貴な狼」という意味で、北ヨーロッパを中心に欧米で一般的な名前であった。しかし、戦後は一転して、まともな親は付けることがなくなった。同名の者が改名した例も枚挙に暇がなく、オーストリアの俳優、アドルフ・ウォールブルックがアントンに改名したエピソードが有名。
ただし、ドイツと関わりが薄かったスペイン語圏では、今もごく一般的な名前である。

アジアにおいて

ドイツと地理的に遠く忌避感の少ないアジア諸国では、割と遠慮なくイジられる傾向にあり、台湾韓国でも、都市部の看板にナチスをもじった意匠が散見される。アイドル歌手がナチスを連想させるパフォーマンスを行った事もあるが、大きな問題にはなっていない。
むろん元同盟国でサブカルチャー大国たる日本でも割と遠慮無くイジられており、総じてヨーロッパに比べればそこまで極端にタブー視されているわけではない。

しかし、例えアジアであっても、ナチス信奉者と認められれば、ドイツやイスラエルなどに入国禁止になる可能性はある。また日本でも、一歩間違えば大問題になる可能性には留意すべきである。例を挙げると…

2013年麻生太郎副総理(当時)が「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」等と発言し、国内外で物議を醸すこととなった(ちなみに、麻生氏は勘違いしていたようだが、ワイマール憲法は全権委任法で無効化されたのであり、ナチス憲法なるものは存在しない)。
また、2014年12月31日に行われたサザンオールスターズの年越しライブで、桑田佳祐がチョビ髭をつけてパフォーマンスをしたところ、「ヒトラーに扮したのではないか」という苦情が殺到し(そう思われたのは、この時桑田が歌唱していたのが政治的な意味合いの強い楽曲であったためであり、さらに紅白歌合戦の特別コーナーとして全国のお茶の間に放送されてしまったことも問題を大きくしてしまうことになった)、後日桑田が謝罪する事態にまで発展したことがあった。
2016年11月には欅坂46がナチスを連想させる衣装を着てライブイベントを行ったとして、ユダヤ人団体が抗議し、謝罪している。

創作の中のヒトラー

ニコニコ動画において
映画『ヒトラー~最期の12日間~』の映像にデタラメな字幕をつけたMADが《総統閣下シリーズ》としてニコニコ動画で一部のオタクに人気になった。

ペルソナ2罪』において
ATLUSRPG・『ペルソナ2罪』に、まんまの名前と見た目でボス敵として登場。
親衛隊も普通の敵として登場〈ペルソナ封じなどの嫌らしい攻撃をしてくる〉。
PSPリメイク版では、別の名前〈フューラー〉に差し替えられていて見た目もサングラス付きのものに描き直されている
当然アドルフ・ヒトラー本人ではなく、ある登場人物の化身のひとつに過ぎない。

スプリガン』において
ネオナチの手でクローンと聖杯に封じられている魂を用いて復活した。
多重人格者であり、優しい人格が本来のもので、周囲重圧と国民の期待に耐え切れず独裁者の人格を生み出してしまった。
いつしか別の人格が肉体を支配し、歴史に語られるような惨状を招いたことから本来の人格が表に出た際に自殺している。
生前から魔術を扱うことが出来、様々な収集物を魔術を用いて洞窟に封じている。
復活後は触れただけで怪我を治療する、銃弾を受けても治癒の力により死ぬことは無い、オーパーツヴァジュラを扱う力を得るが、力が強すぎることでヴァジュラは暴走、様々な遺物と共にヴァジュラの爆発でこの世を去った。

D-LIVE!!』において
《ブラジルから来た少年》《Uボート》《レリック》にて遺産のありかを示す絵を残した人物として登場。
1945年にドイツを脱出しており、U-112で日本に辿り着き一枚の絵を描いて息子と共に信用できる友人に預けている。
また、遺産である中東の地下資源データは物語終盤で重要な役割を果たす。

孔雀王』において
八葉の老師の化身であるハウツホッファーの手によって脳だけが機械の体に移植され、ジークフリード総統として復活した。このほか本人そっくりの容姿のクローンも登場している。

ムダヅモ無き改革』において
総統地下壕で死んだのは影武者という設定。配下ともども科学力で若さを維持したまま生存しており、月面に第四帝国を築いている。本気を出すとスーパーアーリア人となり、金髪に変化する。

関連動画

ヒトラーの有名な演説の一部


関連タグ

独裁者 ナチス 第三帝国 ファシズム ヒトラー~最後の12日間~ ブルーノ・ガンツ 総統閣下シリーズ アドルフに告ぐ 閣下これくしょん 劇画ヒットラー 帰ってきたヒトラー 第二次世界大戦 WW2

関連人物(最高幹部・A級戦犯者)

ゲッベルス ゲーリング ヘス ヒムラー デーニッツ シュペーア ボルマン メンゲレ アイヒマン リッベントロップ ロベルト・ライ ロンメル アウグスト・クビツェク

ヒトラーをモデルとした創作キャラ

ギレン・ザビ ヒトデヒットラー ひっとらぁ伯父サン

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学術研究情報


一般情報


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