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ホロコースト

ほろこーすと

ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺。
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概要

アルファベットで"Holocaust"と書き、ギリシャ語で「焼かれた生贄」という意味とされる。元々はユダヤ教の儀礼で、などを焼いてに捧げる宗教的な儀式であった。

しかし、第二次世界大戦期にナチス・ドイツユダヤ人大量虐殺した絶滅計画が起こってからは、この虐殺を「ホロコースト」と呼ぶようになった。

ただ、元々は宗教における神聖な儀式の名であることから、虐殺行為を「ホロコースト」を呼ぶことに批判的な意見もある。その立場の人々は、ヘブライ語で「惨劇」を意味する「ショア」(ショアー、あるいはショーアとも)を使用することもある。

歴史

アドルフ・ヒトラー率いるナチスは単一民族国家の標榜の元、反ユダヤ方針を掲げ続け、政権掌握後は勢力拡大とともに法的・組織的に国家規模でユダヤ人迫害を強めた。ユダヤ人から次々に権利をなくし、移動を制限し、居住区「ゲットー」に集団移住や強制労働をさせた。当初、ナチス政権はユダヤ人をドイツ国内から消し去るために、虐殺ではなく、(財産を没収した上での)東方への追放という手段を画策していた。しかし、ソ連との戦争に苦戦する中で、その方法は難しくなった。マダガスカルや中東への追放も計画されたが、ドイツの苦戦が続く中で、その実行は難しくなっていった。

そして、やがてはアウシュビッツ収容所といった強制収容所に収容し、そこでユダヤ人を様々な方法で殺戮するに至った。また、アインザッツグルッペン(日本語に直訳すると特別行動部隊)という専門部隊が編成され、彼らは戦争に従軍しながら、戦地や占領地でユダヤ人や適性分子を見つけ次第に虐殺した。

その犠牲者は最低600万人、最大1100万人とされている。また、ロマといったジプシー、肉体的・精神的障害者同性愛者、浮浪者などへの迫害や虐殺も含まれることもある。

ユダヤ人への迫害は、それなりに長い期間を書けて徐々に進められたこともあり、逃げる余裕のあった富裕層のユダヤ人は、本格的な虐殺が起こる前にアメリカ合衆国亡命したことで被害を免れたとされ、被害を受けたほとんどは貧困層とされる。ドイツは一時期、イギリスを除く全ヨーロッパを影響下に置いたため、亡命先で捕まって殺されるユダヤ人もいた。

ドイツは同盟国の日本にもアジア方面に逃れたユダヤ難民を迫害するよう求めたが、日本は協力しなかった。杉原千畝リトアニアでユダヤ人に出国手続きをさせて多くを国外に亡命させた。

生き残ったユダヤ人はヨーロッパを離れ中東のパレスチナに逃れ、イスラエルを建国した。

なお、「ホロコースト」は、ナチス・ドイツが中心になって行われたが、元々ヨーロッパにはユダヤ人に対する反感が根強く存在した。この事から、ナチス・ドイツに占領された地域では、当のナチス政権が困惑するほどの熱心さを持って、現地人がユダヤ人を手当たり次第に虐殺する事態も発生した。バチカンがドイツの同盟国イタリアにあったことから、カトリック教会も、ドイツの蛮行を見過ごすことも多かったという。ただし、イタリアの独裁者ムッソリーニは、ホロコーストを積極的に批判することはなかったが、個人的に嫌悪感を持っていたとされ、イタリアとして協力する事もしなかった。

現在では、ホロコーストは世界史に残る蛮行として認知され、当のドイツではホロコーストを公に否定するだけでも犯罪行為になりうるほどとなっている。

イスラエルにおいて

ユダヤ人たちが建国したイスラエルでは、当然、ホロコーストは悲劇の物語として語り継がれている。イスラエルではホロコーストに関連した催しが良く開かれており、悲劇を忘れないという意識が醸成されている。しかし、中には歴史的な意義よりも、愛国主義を煽るようなイベントもあり、ホロコーストを利用していると批判される事もある。

また、イスラエルが建国されたパレスチナの地は、もともと無人ではなくアラブ人が住んでいた。イスラエルは、建国以来、彼らパレスチナの先住民も「国民」として受け入れている。しかし、ユダヤ人たちの一部は、先住民のパレスチナ市民に対して、ナチスじみた弾圧を繰り返しており、「ユダヤ人がヒトラーを真似ている」という批判がある。実際に、イスラエルの極右・民族団体の中には、イスラエル国内のアラブ人やイスラム教徒を「毒ガスで殺せ」と扇動する団体すら存在している。イスラエルの第三党の議席を持つ右派政党「イスラエル我が家」では、イスラエルに忠誠を誓わないアラブ人の市民権剥奪を主張しており、アラブ系のイスラエル国会議員を「恥を知れ」と糾弾するテレビCMを放映している。

ユダヤ人を救った人々

しかし、数は少ないものの世界の中にはこれに異議を唱えて、杉原氏の他にもユダヤ人の脱出や保護を手伝っていた人間もいた。

アリスティデス・デ・ソウザ・メンデスポルトガルの外交官。ドイツ駐在中に約1万2千人のユダヤ人を脱出させた。
イレーナ・センドラーユダヤ人救済委員会「ジェゴタ」の代表。ポーランドで2500人もの児童を救出。
ヴィルム・ホーゼンフェルトドイツ軍人にも関わらず、ユダヤ人を保護した。その中には戦場のピアニストで有名なウワディスワフ・シュピルマンも含まれていた。
エリザベート・ド・バヴィエールベルギー王妃。強制収容所送りになりかけていた100人の子供たちを救出。数は少ないものの、ドイツと直接交渉に近い形で救出した例は唯一。
オスカー・シンドラーシンドラーのリストで世界的に有名な実業家。雇用の名目で1200名を救出した。
ニコラス・ウィントン株式仲買店員であったが、知人からの応援要請をきっかけにチェコで699人の児童を救出。
ヒュー・オフラハーティカトリック教会司祭。4000人以上を匿った。この計画には欧州の貴族や政治家、ローマ教皇も後押ししていた。
フレデリック・フィリップスオランダの電器メーカ、フィリップスの元代表。自身の経営する工場に雇用の名目で382人を匿った。
ブラザー・ロジェテゼ共同体の創設者。1940年から2年間、マジノ線にテゼが近かったため、ユダヤ人の亡命を手伝っていた。
何鳳山(Ho Feng-Shan)中国の外交官。ウィーンに駐在中、3000人以上を救った。
ラウル・ワレンバーグスウェーデンの外交官。ハンガリー駐在中に10万人ものユダヤ人を脱出させた。
近衛秀麿日本の指揮者にして、戦後A級戦犯認定を受けた近衛文麿元首相の異母弟。 ユダヤ人音楽家達を音楽鑑賞を目的とした歓迎会という名目でドイツ圏から日本へ脱出させた。

異議を唱えたドイツ軍人

ドイツ軍人の中にもユダヤ人の弾圧に異議を唱えた人間がいた。

エルヴィン・ロンメルユダヤ人を捕虜にした際、ベルリンの司令部から全員を抹殺するように指令が下ったが、その場で指令書を焼き捨てた。
クラウス・フォン・シュタウフェンベルクヒトラー暗殺計画の参加者の一人。最後まで政府のユダヤ人の非人道的な扱いに反対していた。
ギュンター・リュッツオウ普通の表情ですら顔面が怖い事で有名。ユダヤ人を処分するための人員を送るよう親衛隊に指示された際に激怒して拒否した。部下に対してはそれが野蛮な犯罪行為であると説明した。更に部下の中で一人でもこの行為に加担するものなら隊長をやめると彼は言った。
ハインツ・ハイドリヒ親衛隊大将を務め、その冷酷さから金髪の野獣と恐れられた、ラインハルト・ハイドリヒ実弟。自身も親衛隊中尉ジャーナリスト。あまり知られていないが、の死後にホロコーストから多くのユダヤ人を救った。

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