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概要

オーストリアの首都。人口187万人(日本でいう札幌市に相当)。
音楽の都とも呼ばれ、ウィーン交響楽団やウィーン少年合唱団などで知られる。
ちなみに現地語(ドイツ語)では「ヴィーン」と濁って発音する。

国際機関が多数置かれている都市で、国連のいくつかの事務所や石油輸出国機構 (OPEC)の本部がある。

ウィーンは著名な都市の割に経済力は大きくない。
だが文化・学術の面で大きな影響力を有しており、芸術・歴史的価値の高い聖堂劇場宮殿カフェハウスが多数あり、旧市街を含めて世界遺産に登録されている。特に19世紀の都市改造で整備された壮麗な「環状通り」(リンクシュトラーセ)、女帝マリア・テレジア以来の郊外の大宮殿シェーンブルンは有名。

比較的賃金の高い都市であるため、東欧諸国から働きに来る若者も多いという。

歴史

ローマ時代には軍営都市ウィンドボナがあり、これが地名の由来とされる。が、都市としての発展は12世紀、オーストリアを治めていたバーベンベルク家がウィーンに都を置いたことである。バーベンベルク家は後に断絶するが、そののちオーストリア地方の領有権をハプスブルク家が獲得するとウィーンはその本拠地となり、さらにドイツ神聖ローマ帝国の帝位を独占すると、ウィーンはその帝都とみなされるようになった。

これ以降ハプスブルク家の拠点はウィーンに置かれ続けたが、この時代であればプラハなど神聖ローマ帝国には帝都と呼びうる都市は存在した(実際、ハプスブルク家のルドルフ2世はプラハに宮廷を置いている)。それが17世紀後半、オスマン帝国によるウィーン包囲からの復興とバロック時代、さらにハプスブルク家のオスマン帝国からのハンガリー回復が重なり、ウィーンは一気に壮麗な大都市への変貌を始める。

19世紀にはハプスブルク家所領はドナウ川流域を範囲とする「オーストリア帝国」、そしてオーストリア=ハンガリー帝国へと変貌し、ウィーンは列強の首都になる。この時代のウィーンは世界有数の大都市で、当時まだ発展していなかった東京よりも人口が多かった。しかし第一次世界大戦での敗北により帝国が解体すると、領土の大半とその領土に対する中心という地位を失ったウィーンの国際的地位も低下する。
第二次世界大戦では一時ナチスドイツの支配下に置かれたが、ソビエト軍に占領される。戦後、オーストリアは主権国家の地位を取り戻し、名目上は永世中立国としながらも事実上は西側諸国だった。しかしウィーンは地理的に最も東側との境界(鉄のカーテン)に近い大都市だったため、常に東側の脅威に晒され続けた。
とはいえ、隣国ハンガリーが中欧の共産主義諸国の中では早めに自由化政策をとったことなどもあり、大きな衝突は結局起こらず、現在に至っている。

都市関係

日本の都市とは姉妹・友好都市関係について区単位で提携している。
1区(インネレシュタット)- 東京都台東区
9区(アルザーグルント)- 兵庫県宝塚市
12区(マイドリング)- 岐阜県岐阜市
13区(ヒーツィング)- 大阪府羽曳野市
17区(ヘルナルス)- 東京都府中市
19区(デープリング)- 東京都世田谷区
21区(フローリツドルフ)- 東京都葛飾区
22区(ドナウシュタット)- 東京都荒川区

誘導

TARITARIのキャラクター。 ⇒ 前田敦博

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