曖昧さ回避
「Axis Powers ヘタリア」(APH)におけるオーストリアは、ローデリヒ・エーデルシュタインを参照。
概要
正式名称はオーストリア共和国。ヨーロッパの中央部、内陸に位置する連邦共和制国家。
面積は約8.4万平方km(北海道とほぼ同じ大きさ)、人口約908万人。首都はウィーン。
国民の大半はドイツ系(バイエルン人およびアレマン人)で、公用語もドイツ語である。
日常会話で用いられるオーストリア語もドイツ語の方言であり、ドイツのバイエルン州で用いられるバイエルン語(同じくドイツ語の方言)とは、語彙・文法・アクセントのいずれにも全く差異が存在しない完全な同一言語の同一方言であるが、政治的理由により便宜上別方言として扱われている。宗教はキリスト教カトリック派が約55%を占める。
国際的に認められた永世中立国であるものの本来の厳密な意義からは形骸化しつつある。
中世から第一次世界大戦にかけてハプスブルク家の下で繁栄し、ドイツ人帝国として欧州大陸に多大な影響や支配を及ぼしてきた。
クラシック音楽や、スキーやスケートなどウインタースポーツが発展している国でもある。
国名
由来はドイツ語で「東の国」。
これは西ローマ帝国滅亡後の中世フランク王国時代にオストマルク(東方辺境伯領)という領邦が設置された事に由来するとされている。
国名が酷似しているオーストラリアとよく混同される。
そのうえ、英語のスペルもそっくりなので、同文化圏の人々はたびたび混同しがちで、ジョークのネタにまでなっている。
ドイツ語の発音をカタカナに転写すると「ウースタライヒ」が近い。慣用的に「エスターライヒ」表記もある。
2006年に駐日オーストリア大使館商務部が日本における国名表記を「オーストリー」にすると発表し話題になる。その後いろいろあって定着せずに現在に至る。
地理
北はドイツとチェコ、西はリヒテンシュタインとスイス、南はイタリアとスロベニア、東はハンガリーとスロバキアに囲まれる形で隣接する。
位置的には中欧とされるが、歴史や経済力的には西欧かつ先進国である。
アルプス山脈が国土を東西に走り、西部から中央部にかけての面積の3分の2が山岳地帯である。東部では、ドイツから流れてきた国際河川の大河ドナウ川が北部の都市リンツ近辺を経てさらに東の首都ウィーン方面に流れ、南東部の都市グラーツにかけてウィーン盆地とハンガリーの平原地帯に続く緩やかな丘陵地が開けている。
全体として西高東低という起伏に富んだ地形で、各地に湖が点在している。
最高峰は「グロースグロックナー」(Großglockner)というアルプス上の山で、標高は3,798mと富士山よりほんの22mだけ高い。
気候は大陸性で全国的に冬の寒さがかなり厳しい。
西部の山岳地帯では特に降雪が多く、東部の平原は比較的乾燥している。
経済
農業は小麦、テンサイ、トウモロコシなどが主に栽培され、山岳部では酪農が行われて輸出も盛ん。
地下資源では潤沢とまではいかないが、鉄鉱石、石炭、亜鉛などを産出する。
山がちな国土を活かした水力発電が発達しており、鉄道の電化や登山鉄道の整備も早くから進められていった。
工業は伝統的手工業から重工業、電子工業まで幅広く発展している。
音楽の都ウィーンや、山岳地帯の保養地・スキー場などでは観光業も盛んである。
主要な輸出品目は産業用機械、自動車とその部品などである。
歴史
起源
976年頃、中世ドイツを地方分権体制で支配した神聖ローマ帝国の皇帝がイタリアなどの東南方面の防衛のために封建諸侯の領土であるオーストリア辺境伯領を設置する。辺境伯領はボヘミア王家などに渡ったのち、最終的にハプスブルク家の封土となった。その後オーストリアの領主として力をつけていったハプスブルク家が神聖ローマ皇帝の位を手にし、さらには帝位を完全世襲化させてオーストリア・ハプスブルク家は全ドイツ人国家の盟主となる。
この間に周辺地域であるクライナ・チロル・シュタイアーマルクなども統合し、現代オーストリアにつながる領土をまとめていった。
またハプスブルク家は巧みな政略結婚によりスペインや東欧諸国の君主ともなり、オランダ、ベルギー、イタリア、中南米の大部分やフィリピン、マラッカなど世界中の植民地を手にする王朝となった。
没落
しかしその後オーストリアとスペイン王室が分離し、スペインは独立したオランダ、イギリスフランスとの植民地政策で負けて国力の斜陽化の中ハプスブルク系の王族が断絶。
オーストリアも長年東欧諸国に侵攻するオスマン帝国の侵攻阻止に国力を費やされ、イタリアを巡ってフランスとも戦争を続けていた。
ローマ教皇のいるイタリア政策への注力からドイツの中央集権制の統一国家化も実現せず、さらに宗教改革後のプロテスタントのドイツ諸侯や西欧・北欧国との内戦や戦争が相次いで勃発する。
そして三十年戦争によってドイツ諸国が自立していった事から神聖ローマ帝国は形骸化してしまう。
再出発
フランス革命とナポレオン戦争の影響を受けて神聖ローマ帝国が解体されると、ドイツ諸邦の覇権を巡りプロイセンと対立。
その結果、オーストリアはプロイセン主導のドイツ帝国から締め出されてしまう。
その後はすでにオスマン帝国の勢力を追い出していたバルカン半島に勢力を伸ばし、ハンガリーの皇室と合流してオーストリア=ハンガリー帝国の中心をなしていたが、第一次世界大戦の敗戦により帝国は崩壊。東欧諸国の独立により、オーストリアは小国の内陸国となる。
近代化
第二次世界大戦前にナチス政権のドイツと併合するが、敗戦後に分離独立。
1955年には連合国による分割占領が完全に終了した。
冷戦期は中立国でありながら、自由民主主義国家として西側寄りの体制を取っていた。
民主化を進める東側の隣国ハンガリーとの国境を開放し、東ドイツ国民を亡命させた『汎ヨーロッパピクニック』は結果として冷戦を終結に導く一因となった。
現在は欧州連合の一員としてヨーロッパ統一を推進し、ドイツとも友好的な関係にある。
文化
音楽
皇帝たちが征服したイタリアからしきりに芸術家を招聘したこともあって、音楽の伝統文化は特に有名である。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンという古典派三大音楽家は全員オーストリアで多くの活動を行い、イタリア出身の音楽家達から学ぶだけでなく次第に独自のドイツ音楽を形成していった。その後もシューベルト、ブルックナー、マーラーらの偉人が活躍をした。
オペラではウィーン国立歌劇場があり、また同劇場有志によるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団も著名なオーケストラである。
音楽のイベントとしてはモーツァルトを記念したザルツブルク音楽祭等がある。
美術
オーストリアの美術が特に注目を集めたのは、19世紀末〜20世紀初頭のアール・ヌーヴォー・表現主義の時代である。
画家に官能的な作風のクリムトや激しく捻じれた造形で知られるエゴン・シーレらが挙げられる。
建築ではオットー・ワーグナーが現れ、合理的な建築を追求して後のモダニズム建築への道を開いた。
美術館はウィーンの美術史美術館が、ハプスブルク家の集めた欧州各地各時代の作品を収蔵する。特に世界最大のブリューゲル(フランドル地方の画家)コレクションで有名。
食文化
皇室や貴族階級はフランス料理を伝統的に取り入れてきたが、一般階級の間ではドイツ料理と、チェコやハンガリーの料理などが影響し合って生まれた独特のオーストリア料理の伝統がある。
牛肉を茹でてソースを添えた『ターフェルシュピッツ』、ミラノから伝わった子牛肉のカツレツである『ウィンナー・シュニッツェル』、ハンガリー風ビーフシチュー『グラーシュ』などがある。
また宮廷の保護もあってケーキを中心にお菓子も豊富でチョコケーキ『ザッハトルテ』が特に名高い。酒類は白ワインが多く産出される。
学術
長年ドイツ人国家と中央ヨーロッパの盟主であり続けたオーストリアでは学術も発展し、首都ウィーンは学都でもあった。
明治維新後の日本ではドイツやオーストリア出身の各分野の有識者も招き入れており、初めて本格的なスキー指導を行ったのもオーストリアの軍人であった。
また伊藤博文が海外視察に出かけた際に、ウィーンでドイツ人の憲法学者と対談をし大日本帝国憲法草案への影響を受けたとされる。
渡航
査証免除取極により6ヶ月以内の滞在は査証不要。ただしシェンゲン協定の規約により最大90日となる。
日本の外務省は危険情報はないが、スリや置き引き、女性は性被害に注意。
また中東情勢を踏まえ、当局が2023年10月に国内のテロ警戒レベルをレベル4(危険度“高”)に引き上げ、「具体的なテロ計画、情報等は認知されていない」が警戒してほしいとのこと。
関連イラスト
関連項目
関連作品
関連人物
関連キャラクター
執事の斉藤(けいおん!)
ゴースト・メロディアン(キン肉マン)