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Axis Powers ヘタリアのキャラクターについては『エリザベータ・ヘーデルヴァーリ』を参考のこと。


概要編集

面積約9.3万平方km(日本の約4分の1)、人口約960万人(2022年)、首都ブダペスト

マジャル語Magyarország(マジャルオルサーグ)

英語表記はHungary漢字表記だと洪牙利


北はスロバキア、北西はオーストリア、西はスロベニア、南西はクロアチア、南はセルビア、東はルーマニア、北東はウクライナと接する内陸国


地理編集

中央をドナウ川が貫く文字通りの平原の国で、東部は遊牧を生業とする人々も多かった。主要都市としてはドナウの真珠とうたわれる首都ブダペスト、南部のペーチ、古都エステルゴムなどが挙げられる。


経済編集

ヨーロッパの穀倉地帯と称される肥沃な平原のお陰で農業が盛ん。ワインパプリカは国を代表する名産である。

民主化して以降、西欧資本が流入して工業化に成功。「東欧の優等生」とまで言われたが、現在は若い労働者の国外流出が深刻な状況。


政治編集

一院制を取る共和制国家。大統領がいるが執政は首相が行う。

長らくオルバーン首相が舵取りをしており、その強権的な政治はEUからも警戒されている一方、減税政策により国民の支持を獲得している。保守的な国で排外主義がやや強く、移民の受け入れについては消極的であるため、国際関係はオーストリアやポーランドチェコなどと関係が深い。

それに対し、ルーマニアとは(同じEU及びNATO加盟国ではあるものの)昔からライバル意識が強い。


国民の肥満解消のために「ポテトチップス税」を導入し、世界で話題になった。


文化編集

豊かな音楽文化を持ち、フランツ・リストを筆頭にコダーイバルトークといった著名人を輩出している。また多くの科学者を生んでいる国でもあり、特にノイマンら数学の分野を得意としている人が多い。


また、温泉文化が根付いている国で、その歴史は2000年にも渡るという。特に首都のブタペストは温泉地としての側面もあり、こちらでは日本とは異なり、入浴の際には水着を着用する。

ハンガリーはスポーツ強国としても知られる。夏冬のオリンピックの獲得総メダル数は世界のTOP10に入るほど。競泳、水球、射撃が特に強い。


水球は国技というぐらい盛んな反面、ヨーロッパでは珍しくあまりフットボールが盛んではない。かつてはフットボール史上の超人フェレンツ・プスカシュ率いるマジック・マジャールが世界を席巻したことがあったが、昨今ではワールドカップや欧州選手権本戦出場もままならぬ実力である。


アジア文化への関心が高く、近年は日本アニメ漫画韓国K-popが浸透している。

保守的な国柄ゆえか、建物に入る際は女性を先に通すなど古風なレディファーストの風習が今でも残存している希少な国でもある。


あまり知られていないが、ルービックキューブはこの国で発明された玩具で、ルビク・エルネーというハンガリー人の建築学者から名前が取られた。


国民編集

ハンガリー国民の大部分を占めるマジャル人は、古くはウラル山脈アジアとヨーロッパの境界辺り)からウクライナ経由で移住してきた遊牧民の末裔で、言語も周囲のインド・ヨーロッパ語族の言語とは全く違うウラル語族フィン・ウゴル語派ウゴル諸語マジャル語を使う。また、修飾語が前に来るため、名前の表記もアジア人と同じく姓-名の順番である。最近まで「ハンガリー人はアジア人である」という説が唱えられ、ハンガリー人自身も多くがそれを信じていたが、それはあくまで「アジア人」の定義の問題である。


トルコ人とは「遊牧民」「東方から移住」という点は似ているが、出身地(あちらはモンゴル高原)も移動ルートも被っておらず、トルコ人と違ってモンゴロイドの影響をほとんど受けていない(ハンガリー人は他のヨーロッパ人と同じく、人種的には全くのコーカソイド)。フィンランド語エストニア語とは遠い親戚だが、マジャル語ウゴル諸語になるため全く通じない。


ハンガリー語は世界でも特に難解な言語とされる。ハンガリー国民は英語が喋れない人が多く、むしろドイツ語のほうが重要視されている。


EUに加盟して以降国民はハンガリーを捨てドイツなどの豊かな国に移民しているため人口の減少が止まらないでいる。出生率の低さも深刻で少子高齢化が急速に進行している。


歴史編集

起源編集

ハンガリー国土の西部はローマ時代にはパンノニア属州として知られていた。東部に草原地帯を擁するこの地域は、民族大移動の時代にはフン族やアヴァール人など東方からの遊牧民が一時的に本拠を置く地域となる。


成立編集

やがて、マジャール人が9世紀に故郷の地を離れ、欧州東欧~中欧)へ移動。パンノニアを支配してから次第にキリスト教カトリック)を受容し、1000年にハンガリー王国が建国されたとされる。初代王の名前を取って、ハンガリー王の王冠は聖イシュトヴァーン王冠という。なお、歴史的にハンガリー(区別のために大ハンガリーとも)というと、現在のハンガリーの他に、このハンガリー王国の領土だったスロベニア共和国全域・ウクライナザカルパッチャ州ルーマニアトランシルヴァニア地方・セルビア共和国ヴォイヴォディナ自治州クロアチア共和国の中央クロアチアとスラヴォニア・スロヴェニアのムラ川以北東・オーストリア共和国ブルゲンラント州を含めた範囲を指す。


繁栄から分断編集

その後も13世紀のモンゴル帝国来襲などの余波はあったものの、西の神聖ローマ帝国、北のポーランド王国と張り合いつつ、ハンガリーは一時は中欧を席巻する大王国となる。しかし、王権は王国に蟠踞する大貴族の協調のもとに成り立っていた。そんな中16世紀初頭、オスマン帝国の急襲に国王が討ち死にし、さらには首都ブダが落とされ、王国は崩壊。ハプスブルク家がハンガリー王位を相続したことで、オーストリアとオスマン帝国の勢力がぶつかりあう最前線となった。王国領はこの後実に100年以上にわたり、ハプスブルク家支配下の西部国境と北部山岳地帯(首都プレスブルク/現在のスロバキア首都プラチスラヴァ)、オスマン帝国支配下の中央部、半独立状態のトランシルヴァニアに三分割される。


オーストリアとの連邦編集

オスマン帝国の後退に伴い、18世紀初めにはハンガリーの国土はオーストリアに属すこととなった。マジャル人は多民族国家だったオーストリア帝国内でもドイツ人に並ぶ有力民族だったこともあり(元々独立した王国で、貴族の数も多かった事もある)、19世紀初頭のナショナリズム勃興の中独立運動が活発化。19世紀にはオーストリアとの妥協(アウスグライヒ)を経て、オーストリア・ハンガリー帝国として外交のみを共有する連邦制となった。その中で首都ブダペストも発展するが、一方で領内のクロアチア人やルーマニア人などには強硬な立場を取ったために反発もかっていた。第一次世界大戦で敗戦後に二重帝国は解体、トリアノン条約で領土の大半を他国に奪われた。


動乱編集

その不満もあり、第二次世界大戦では失地回復を望む右翼が勢力を伸ばして枢軸国となり、ドイツと共にソ連軍を相手に戦ったなおハンガリー政府とその軍隊は最期まで日本やドイツら枢軸国側につき、しかもこの二カ国と違って連合国軍に国土を占領されても降伏せず、国家・政体が事実上の玉砕を遂げている。冷戦ではソビエト連邦に占領されて東側陣営となった。だが第二次大戦時の経緯を見れば分かるようにハンガリー国民はもともと右寄りの保守派が多数派で共産主義への反感が強く、1956年にソビエト支配に抵抗してハンガリー動乱を起こしたが、侵攻してきたソ連軍に鎮圧されている(この際に多くのハンガリー人が国外に逃れた)。ただしこの動乱も全く意味がなかったわけではなく、当時の東欧の中では(比較的ではあるが)経済的な解放が進み、後の自由化につながっていく。


自由化編集

1980年代、東側諸国の中ではいち早く自由化を進め、1989年にソ連最高指導者・ゴルバチョフが旧共産圏国の独自性を認める「新ベオグラード宣言」を出すと、共産時代には認められなかった保守・中道・右翼の野党が次々と復活。一党独裁の与党だった社会主義労働者党もこれを追認し、自由主義国家に向けて驀進を始める。


このすったもんだの最中、旧東ドイツの市民が西ドイツへの脱出を図って、ハンガリー・オーストリア国境を越境する事件があった(汎ヨーロッパ・ピクニック)。

ハンガリー政府はこの計画に気付いていたが全力で見てない振りを敢行

ところがこの時、オーストリアのマスメディアによって、

ハンガリー兵士が脱出者の列で転んでしまった子供を抱き起こすという写真が撮影されてしまった

これを見た東ドイツは激昂し、ハンガリー大使を呼びつけて抗議するも、

逆にハンガリー側は開き直り、ハンガリーの外相であったホルン・ジュラは

こうなったのはお前らが国民に逃げられるような国づくりをしたからだ!

という歴史的啖呵を切った。

こうして、ハンガリーは東ドイツ政府に対する配慮をやめて、越境希望者が西ドイツの市民章とパスポートを受け取れるよう手配してしまった。(西ドイツにとっては東ドイツ領内は「不法占領地」だったので、当然そこの住民は西ドイツ国民としての権利があった)。


なお、旧独裁政党のハンガリー社会主義労働者党はハンガリー社会党と改名し現在も有力政党として健在である(共産主義を完全に捨てて社会民主主義政党となっており、何度か与党にもなっている。ハンガリーの脱共産化と市場経済化に向けた改革を最も強力に推進したのは実はこの党である)。


近況編集

2011年1月1日に施行された新憲法によって正式名称を改めた。

2015年のEU難民問題では難民受け入れを拒否した国の1つで、それが2016年10月2日の難民に対する国民投票で50%を下回った為、不成立となったが98%が難民を拒否する結果となった為、難民を拒否する法案を制定している。

人権の後退だけでなくさらにEUの理念に反する法の支配の弱体化方向に進んでおりEU側も見ているだけでなくルールを守らないのであれば支援金を止めるなどと言った制裁に進んでいる。ハンガリーはEUに払うお金よりEUから支援などでもらうお金が多い。


軍事編集

国軍はオーストリア=ハンガリー帝国軍を引き継いだハンガリー国防軍(マジャル語:Magyar-Honvédség)である。(※引き継いだとは言っても帝国時代及び王政時代とは大きく異なる)

陸軍(マジャル語:Magyar-Szárazföldi-Haderő)と空軍(マジャル語:Magyar-Légierő)を保有する。但し、内陸国故海軍はない。(※水上警備隊なら存在する)

また、ブダペスト・ホンヴェードFCというサッカーチームを持つ。


渡航編集

査証免除取極により90日以内であれば査証は免除。滞在期限はシェンゲン協定に基づき最大90日。

10年以内に発行された残存有効期間が出国予定日から3ヶ月以上のパスポートが必要。

日本の外務省は危険情報は発令してないがスリや置き引きに用心してほしいとのこと。


関連キャラクター編集

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関連タグ編集

 ヨーロッパ 中欧 東欧

オーストリア=ハンガリー帝国 冷戦

洪牙利 Hungary Magyarország 匈牙利

マジャール 騎馬民族

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