概要
というか騎馬民族という言葉は正確ではなく学術的にはほぼ使われない。
(民族という言葉は近代になってから出現したが、騎馬遊牧民はそれよりずっと古く、そもそも生態が民族という言葉の意味と合致しない)
主に東アジアから東欧までの中央ユーラシアに広く分布し、世界史に多大な影響を及ぼした。
放牧や交易などで暮らし、シルクロードを東西に結び、文物と人々を運んだ。
使用言語はテュルク系とモンゴル系が主流。というかどちらもアルタイ語系なので、広い意味では親戚と言える。
ちなみに日本語もアルタイ語の遠い親戚という説があるので、遥か昔には我々も親戚だったのかもしれない。
pixivでは(当然だが)馬と共に描かれた作品が多い。
歴史
馬を飼いならし、「馬に乗る」という行為を始めたのはこの人たちであると推測されている。騎馬の機動力は前近代では飛びぬけており、しかも馬に乗りながら弓を使えたため、軍事面ではめっぽう強かった。騎射は事実上、騎馬民のみが使える超高等技術であり、定住民で使える者はほとんどいなかった(日本の武士は数少ない例外。後述)。
その軍事力をもって、東では中華帝国に圧力を加え、時には滅ぼし、西ではゲルマン人を追い出してローマ帝国に肉薄、ローマ滅亡の一因ともなった。
チンギス・ハーン率いるモンゴル民族は支配領域を広大な版図に拡大させ、フビライ・ハーンの頃にはユーラシアの大部分を支配下にした。このモンゴル帝国の領土を見ると、騎馬遊牧民の居住地域にぴたりと重なることが分かる。要するに、モンゴルは広大な領土を占領したというより、世界中の騎馬遊牧民をひとつにまとめ上げた帝国なのである。
火器の仕様が一般的となり、その火力に騎馬の機動力だけではアドバンテージを保てなくなったこと、また大きな収入源となっていた交易がコスト面で海運に勝てなくなったことから大航海時代頃から勢力は次第に衰え、近代になると独立した勢力としては消滅した。
ヨーロッパ人が持ちこむまで馬がいなかった北米でも、インディアンの一部部族がこれを取り入れて一時期のあいだ騎馬民族的と呼べる生活を営んでいた。しかしこれもアメリカ合衆国による西部開拓の過程で居留地での定住を強いられるようになり、北米での騎馬遊牧民の時代は短期間で終わった。
ただし現代でも中央アジアなど、近代的なインフラが全土に行き渡っていない国を中心に昔ながらの生活をほそぼそと続ける遊牧民は存在する。
余談
一時期、日本の大和朝廷と皇室は大陸から渡来した騎馬民族が日本を征服したことで成立した王朝とする学説が注目され、手塚治虫の漫画『火の鳥 黎明編』ではこの説を取り上げている。
しかしその後の研究で
- 日本文化(特に皇室の伝統儀式や伝承)に遊牧民族的な特徴がまったくと言っていいほど無いこと
- 征服があったと主張される時期の前後で遺跡の形態や出土物にほぼ変化が無いこと
- 大事件と呼べそうなイベントにもかかわらず日中韓いずれの史書にもそうした記述が無いこと
- そもそも当時の船舶・航海技術では馬を大量に海上輸送することは不可能に近いこと
- 遺伝子調査でも現在の日本人の遺伝子に騎馬民族系と呼べそうな遺伝子グループはごく少数しか確認できないこと
などが指摘されたことから、2019年現在の学界では既に根拠がある「学説」とは見做されなくなっている(『ファンタジー』と呼ぶ研究者もいる)。
ただし、平安時代ごろから台頭する武士が「騎射」を得意とする武人集団であったこと(というかそもそも日本の馬や騎馬文化は大陸から渡来したものと考えられている)を見ると、騎馬民族の影響が海を越えて遠い日本にまでやってきたことは否定できない。
学界で否定されているのは、あくまで「王朝丸ごと取って代わるような規模での民族移動」の可能性である。