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概要編集

人類を生活様式で区分したときの区分のひとつ。ひとつの場所に定住せず、移動しながら放牧を行う人々のこと。


麦や米などが育たない荒れ地でも、草が生えていれば家畜は育てられる。人は、その家畜の肉や乳を栄養とすることで、農業に頼らなくても生きていくことができるようになる。こうして生まれたのが遊牧民である。


充分な数の家畜を恒久的に飼育するため、植生を食いつくしてしまうことがないように移動しながら暮らしを営んでいる。なお、あてどもなく彷徨うわけではなく、基本的には集団ごとにある程度決まったルートの中を回る。また、水がなければ草も生えず、そもそも人も生きていくことができないので、最低限、水場に近い場所を周回している。


また、生きていくだけなら家畜だけでも可能だが、鉄製品や楽器など文化的生活のための物資を作るためには、家畜だけでは不可能である。そのため、自分たちの領地の中に、定住する集団を内包していたり(夏は農業をして、冬は遊牧して暮らす民族も居た)、または近隣との定住民族との交流を持っていることが多く、遊牧民が自ら都市を建設する場合もあった。


かつては中国からトルコに至るまで、ユーラシア全域に広く分布したが、現在は定住化が進みつつある。

定住を前提とする民族とは文化、価値観の違いが大きく、問題が発生することも多い。


pixivでは遊牧民の生活や服飾を描いた作品が多く、「民族衣装」タグとも併用される。


遊牧民と戦争編集

「馬上で子供を育てる」と言われるほど幼少期から馬に親しんでいるため、遊牧民の子供は自然と熟練の騎兵となり、定住民族では達人技扱いの騎射もこなしてしまう。そのため戦闘力が極めて高い。

食料が自分の足で歩いてついてきてくれるため、食料の運搬保存に苦労する定住民族とは組織的な行動力も段違い。


このため中世までの世界において遊牧民族は強大な軍事力を発揮しており、遊牧民によって滅亡した国家も多い。

事実上、近代以前の人類の歴史は「定住民」VS「遊牧民」の争いによって成り立っていると言っても過言ではない。

また、遊牧にとって条件の良い土地は限られているため、遊牧民の間でも抗争は日常茶飯事であった。結果として遊牧民は、低住民よりも尚武(武力を尊ぶ)の文化を持つ民族が多い。


一方、そのような中でもペルシア人(タジク人)のように高度な都市文化を武器に官僚として遊牧民国家の中で頭角を現していた定住民もない訳ではない。


しかしながら、銃砲大砲などの火器の発達、都市構造の進化、なにより海上貿易の発達により、軍事や交易の中心は「陸」から「海」へ移り、遊牧民の持っていた軍事力や経済力は衰退。

やがて近代化によって勢力を拡大した国々によって逆に生活圏を圧迫されるようになっていく。


主な遊牧民族編集



関連タグ編集

遊牧民族:「遊牧民」の別称。表記揺れ

遊牧国家モンゴル帝国オスマン帝国北魏

騎馬民族 アジア 民族衣装   東洋史


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