概要
スロバキア、スロバキア共和国はヨーロッパの共和制国家。及びそれに関連したタグ。
西にチェコとオーストリア、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリーと国境を接する。首都は西部スロバキアのブラチスラヴァ市で、オーストリア・ウィーンとわずか60kmしか離れていない「通勤圏内」にある。
人口は北海道とほぼ同じ540万人。国章は山岳地帯を象徴するタトラ、ファトラ、マートラの三山と正教会の象徴である複十字をあしらったもので、歴史的経緯からハンガリーの国章に似ている。国歌は旧チェコスロバキア国歌の2番「稲妻がタトラの上を走り去り」(Nad Tatrou sa blýska)である。
歴史
中世以降、ハンガリー王国北部の「上ハンガリー地方」だったが、1918年に ボヘミア王国とモラヴィア辺境伯領、オーバー・ウント・ニーダー・シュレージエン公爵領だったチェコとともに「チェコスロバキア共和国」(ČSR)としてオーストリア=ハンガリー帝国から独立。第二次世界大戦時にはナチスドイツ傀儡政権によって「スロバキア共和国」(第一共和国)として一時独立を宣言した。
1944年のスロバキア国民蜂起とその後のソ連による占領を経て戦後、チェコスロバキア共和国として復活した。のち社会主義憲法制定にともないチェコスロバキア社会主義共和国(ČSSR)に移行。スロバキア域内は1968年の「プラハの春」の翌年、チェコ社会主義共和国とともに連邦国家となったチェコスロバキア社会主義共和国を構成するスロバキア社会主義共和国(SSR)となった。
「ビロード革命」翌年の1990年、スロバキア共和国(SR)に改称し、チェコ共和国とともに新国名となったチェコスロバキア連邦共和国(ČSFR)を構成した。
1992年11月、連邦議会で「チェコスロバキア連邦共和国終了基本法」などの連邦制解消関連法案が可決・成立したことを受け、1993年1月1日付けでチェコ共和国との連邦制を解消。スロバキア共和国(第二共和国)として独立した。
文化・自然
豊かな自然の宝庫で、ポーランド国境に連なる高タトラ山脈は中欧を代表する伝統的な高原リゾート地として、年間を通して国内外の観光客でにぎわう。
また音楽と舞踊と喜劇をこよなく愛する民族として知られ、現在も各地方独特の豊富な民俗舞踊や民俗衣装が伝承されている。日本でも馴染み深い「おお牧場はみどり」は代表的なスロバキア民謡の一つである。
経済
伝統的産業は林業と綿羊の牧畜、小麦・ブドウなどの農業、ワインの生産。ハンガリー時代には金鉱などの鉱山も栄えた。
社会主義時代には製鉄などの工業も発展し、現在もウクライナ産鉄鉱石を主原料とする製鉄業が盛ん。また民主化後フォルクスワーゲンと起亜自動車の大規模な生産拠点が置かれ、欧州一円に自動車を生産・供給している。
2000年以降の経済改革に成功し、ヴィシェグラード諸国中、ポーランドに次ぐ順調で安定的な経済発展を続けており、政治的にも安定している。2004年には欧州連合(EU)に加盟し、2009年にはヴィシェグラード諸国の先頭を切って通貨ユーロ導入を完了した。
チェコスロバキア時代には事実上の支配階級だったチェコ人に対する根深い嫌悪意識があったが、連邦解消後、対等な主権国家となった両国は一転して良好な関係を築いている。
チェコのほか、歴史、文化、経済面で関係が深いハンガリー、ポーランドとともに、4カ国による地域協力機構「ヴィシェグラード・グループ」を形成し、機構の下部組織である国際ヴィシェグラード基金の本部がブラチスラヴァ市に置かれている。また第二次世界大戦前に一部がスロバキアの領域だったウクライナとの結びつきも強い。
お国柄
伝統的な民族イメージは騎士でもなければ貴族でもなく、「山の羊飼い」な田舎ののんびりした民族。国政とか軍事みたいな権力好きにはたまらない権謀術数な世界は長年、ハンガリー人やチェコ人がやりたがってた分野で、どちらかというとそんなお上にいっつも振り回されるほう。ちなみにそろばん勘定はドイツ人の得意分野でした。
そんなこんなで尊敬を集める歴史上の一番のえらい人は、政治家や武人や商売人じゃなくて上ハンガリー地方のスラブな方言を手間暇かけてスロバキア語という言語に整理した学者リュドヴィート・シュトゥールだったりするのもさもありなん。あと強きをくじき弱きを助けた中世の伝説的な義賊、ヤーノシークとか。
関連タグ
関連キャラクター
暗闇のザジ (バトルスピリッツブレイヴ)※領地がスロバキアとなっている。