概要
ソビエト連邦(ソビエトれんぽう、ロシア語:Союз Советских Социалистических Республик、略称:СССР)は、ユーラシア大陸に存在した社会主義連邦共和国。1917年11月から1991年12月まで存続し、名目上は15か国の共和国で構成される連邦共和国であった。15か国のソビエト社会主義共和国で構成され、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国にあるモスクワを首都としていた。2240万2200平方キロメートルの広大な国土を有し、地理的には国土の南西でアジア・ヨーロッパの各国と国境を接しており、一方の北東部では海を挟んで北アメリカ大陸と向かい合っていた。
ソビエト連邦は社会的・技術的に多くの重要な成果を上げ、軍事力に関しても革新的な物を産出した。世界第2位の経済力と世界最大の常備軍を有し、1949年7月に核実験を成功させて世界で2番目の核保有国となった。国際連合安全保障理事会常任理事国であり、欧州安全保障協力機構・世界労働組合連盟・経済相互援助会議・ワルシャワ条約機構の主要国であった。
ソビエト連邦は1945年9月に第2次世界大戦が終結した後、1991年12月に崩壊するまでの間、同じ連邦共和国であるアメリカと並んで世界の超大国であった。その一方でソビエト帝国とも呼ばれ、軍事力・経済力・代理戦争・発展途上国に対する影響力・宇宙技術や兵器を中心とした科学研究に対する資金の提供などで、中央・東ヨーロッパを初めとして世界的に覇権を行使していた。
歴史
1917年11月にウラジーミル・レーニンが率いるボリシェヴィキが、同年3月に2月革命で成立した臨時政府を転覆した10月革命が起源である。同年11月にユーラシア大陸に世界初の社会主義共和国であるロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を成立させたが、この革命がもたらした緊張はボリシェヴィキの赤軍と、白軍に代表される反ボリシェヴィキの勢力が交戦する内戦に発展した。
1918年1月からのボリシェヴィキを脅威と見る協商国の干渉を受けつつも、1920年11月までに赤軍は内戦での勝利を決定的なものとした。ボリシェヴィキは旧ロシア帝国領の再統合を企図し、1922年12月にロシア・ウクライナ・ザカフカース・白ロシア(ベラルーシ)の4か国のソビエト共和国から構成されるソビエト連邦を成立させ、1924年1月に新たな憲法が施行された。
1924年1月にレーニンが死去した後、党内闘争を経てスターリンが政権を掌握し、党内部で反対派を弾圧して計画経済を確立した。その結果急速な工業化と強制的な集団化の時期を迎え、著しい経済成長を遂げたが、1932年11月に人為的な飢饉を引き起こした。スターリンは政治的パラノイアを煽って軍事指導者・共産党員・一般市民を問わず大量に逮捕し、強制労働場に送られるか死刑を宣告する事で、自分の実際の敵と認識上の敵を党から排除する大粛清を実施した。
1939年8月にナチス・ドイツと不可侵条約を締結し、1941年6月にドイツがソ連を侵略して大祖国戦争が発生した。ソビエト連邦軍は最終的にベルリンを占領し、1945年5月にヨーロッパでの第2次世界大戦に勝利した。赤軍が制圧した地域は東側諸国の衛星国となり、1947年3月に東西冷戦が勃発して東側諸国は西側諸国と対峙し、1949年4月に西側諸国はNATOに統合された。
1953年3月にスターリンが死去した後、同年9月に後継となったフルシチョフの指導で非スターリン化・雪解けと呼ばれる時期が訪れた。何百万人もの農民が工業化された都市に移動して国は急速に発展し、その一方で宇宙開発競争で早くから主導権を掌握した。しかし国威発揚のために歯止めが利かず絶え間なく膨張する軍事費や官僚機構の硬直化などによって経済は徐々に停滞していった。1979年12月にアフガニスタンの政争に介入してソ連・アフガン戦争が発生してアメリカとの緊張関係が激化。ソ連はこの泥沼化した戦争で70年代から停滞状態だった経済資源が更に枯渇するようになり、それに合わせるようにアメリカはムジャヒディン(イスラム系組織戦闘員。ここではアフガンの反ソ連抵抗組織を指す)に対して軍事援助をエスカレートさせた。
1985年3月にミハイル・ゴルバチョフが、グラスノスチとペレストロイカという政策で改革と経済の自由化を目指したが、その目的は党を維持しつつ経済の停滞を逆転させる事だった。しかし、結果は著しくなく、却ってソ連の経済と国家機能の破綻が明白になっていった。1989年12月に東西冷戦が終結し、同年6月以降から中央・東ヨーロッパのワルシャワ条約機構諸国がそれぞれのマルクス・レーニン主義を打倒し、ソ連全土で強力な民族主義・分離主義運動が勃発した。
1991年8月に党の保守強硬派によるクーデターが発生するも、主要構成国ロシアの指導者であるエリツィンを中心にした政治家達に阻止されて失敗に終わった。その結果党の信頼は完全に失墜し、ロシアとウクライナを中心とする共和国が独立を宣言した。同年12月にゴルバチョフは大統領を辞任し、同月にソ連が崩壊した事で全ての構成共和国が独立主権国として成立した。ロシア連邦はソビエト連邦の権利と義務を継承して継続的な法人格として認識され、現在でも依然として世界最大の核保有国にして安保理常任理事国であり続けている。
歴代最高権力者
ソビエト連邦最高指導者を参照して欲しい。
外交関係
当初は国際的な承認を得られなかったが、1920年代半ばに資本主義諸国から国家承認された。時期については以下の表に記述する。
国名 | 外交関係を樹立した日 |
---|---|
ドイツ | 1922年4月 |
イタリア | 1924年2月 |
イギリス | 1924年2月 |
フランス | 1924年10月 |
日本 | 1925年1月 |
アメリカ | 1933年11月 |