概要
言語 | チェコ語 |
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正式国名 | Česká-republika |
首都 | プラハ |
人口 | 約1,040万人 |
国土の形は南北に潰れた六角形で、ドイツ、オーストリア、ポーランド、スロバキアに接する。
チェコは歴史的にドイツ文化との関係が深く、また隣国のスロバキアとはチェコスロバキアとして連邦を組んでいた時期が長い。第一次世界大戦中の1918年にチェコスロバキアとしてオーストリア=ハンガリー帝国から独立。ナチス・ドイツによる併合、冷戦下のソ連の衛星国時代を経て、民主化後の1993年にスロバキア共和国との連邦制を解消し独立した。チェコとスロバキアの連邦解消は友好的に行われたので、円満離婚にたとえて「ビロード離婚」と言われる。
地理
国土はオーストリア帝国時代のボヘミア(チェヒ)とモラビア(モラヴァ)、さらに厳密にはシュレージエン(スレスコ)を合わせた地域である。
西部のボヘミア地方はウルタヴァ川が貫く盆地。国際的には首都プラハの知名度が圧倒的に高いものの、北部のカルロヴィ・ヴァリ(カールスバード)、モラヴィア地方の中心都市ブルノなどの都市も知られている。東部のモラヴィア地方は帝国時代はウィーンの近郊にあたる地域であり、現在もつながりは深い。中心都市はブルノ。北東部のシレジア地方(スレスコ)はオーデル川につながる土地で、北のポーランド・シロンスク地方とのつながりが深い。というよりも18世紀のプロイセン=オーストリア戦争前は一体の領邦であった。
隣国のスロバキア、オーストリア、ハンガリーにも言える事だが、国土が海に面していない。そのため、旅行では観光名所のとして海を見に行く人も多いらしい。
歴史
本来「チェコ(チェヒ)」とは西部のボヘミア地方のみをさす語であり、10世紀にこの地方を中心とした小国が誕生した。この国は神聖ローマ帝国経由でキリスト教を受容し、その結果神聖ローマ帝国の構成国としての歴史を歩むことになる。
さらに王国となったボヘミア王国は神聖ローマ帝国有数の有力諸侯として大いに栄えた。オタカル2世は一時オーストリア・スロヴェニアまでを支配するも、勃興しつつあったハプスブルク家に敗れる。それでもボヘミアの優位は揺るがず、ルクセンブルク家のカレル4世は神聖ローマ皇帝にも選出。彼の時代にモラヴィア・ボヘミア・シレジア(シュレージェン、現在でも一部はチェコ領である)、ラウジッツ(今のドイツ・ザクセン州東部)を「チェコ王冠の諸邦」として一体のものとみる概念が生まれた。
この王国を支えたのは中世欧州有数の銀鉱と豊かな農地、そしてウィーンと並ぶヨーロッパの東部と西部をつなぐ交通の要衝という地位であり、プラハは中世ヨーロッパの文化都市のひとつとして栄えた。
その栄華は1526年にボヘミアの王冠がハプスブルク家に移ってからも続く。
だが、三十年戦争(1618~1648)で事態は暗転。ボヘミアでのプロテスタント派の国王選出に始まる大乱はチェコの大半を戦場に変え、さらに以降ハプスブルク家の「帝都」としての地位はウィーンに確定したことで、ボヘミアは中央ヨーロッパの政治の中心としての地位を失った。
とはいえ、18世紀後半からの啓蒙主義の中で回復。19世紀には工業化が進められ、ハプスブルク家領屈指の工業化された地域として栄えた。このころには今のチェコ領に近い地域が「ボヘミア王冠領」として確定する。この時代、チェコにはドイツ人とスラヴ系チェコ人が暮らしていたが、スラヴ系チェコ人のナショナリズムは19世紀を通じて高まり、ついにハプスブルク帝国が崩壊した1918年にスロバキアとともにチェコスロバキア共和国として独立。戦間期には比較的安定した。
しかし、今度はナチ・ドイツの台頭が暗雲となる。もともとチェコにかなりの人口が暮らしていたドイツ人の地域への「権利」を求めてまず国境部のスデーテン地方が併合され、さらに残る地域も保護領、次いで併合されてチェコは独立を失った。
ドイツ統治は過酷であり、その反動は、戦後独立回復後の大統領令(ベネシュ布告)に基づく、中世以前からこの地に住んでいたドイツ人の追放につながる。
ソ連の衛星国時代を経て、民主化後の1993年にスロバキア共和国との連邦制を解消しチェコ共和国として独立した。
経済
鉄鉱石と石炭が豊富で、伝統的に重工業や繊維工業、ガラス工芸(ボヘミアングラス)が強い。自動車メーカーとしてシュコダやタトラなどで知られる。欧州連合に参加するが、通貨はチェコ・コルナであり、ユーロではない。
文化
オーストリア帝国時代から多数の音楽家を輩出し、ヨーロッパの音楽院ともいわれた。ドヴォルザーク、マーラー、スメタナ、フィビヒ、ヤナーチェク、スーク、マルティヌー、指揮者のヴァーツラフ・ノイマン、ラファエル・クーベリックなどの音楽家を多数輩出している。
絵本やイラストレーションの分野でも名高い。画家ではミュシャ、作家では「ロボット」という言葉を生み出したとされるカレル・チャペックなどを輩出している。ドイツ語作家だがフランツ・カフカもプラハ出身で、アニメの分野でもヤン・シュヴァンクマイエルなどが名高い。
食文化ではビールの醸造の中心地で、現代では最も一般的なピルスナービール醸造の発祥の地。肉料理も多数の種類がある。
お菓子・デザート類も発達しており、パンケーキなどが人気。
変わったところではきのこの山とたけのこの里と似たようなお菓子がチェコにもあるらしく、WBCチェコ代表が日本で気に入ったお菓子として動画で取り上げた。当初選手たちはきのこ派が優勢だったが、後のテレビ番組で多くがたけのこ派に寝返っていた。。
スポーツ
特にアイスホッケーは国技と呼べるほどに盛んで、過去に何度も世界大会や五輪で優勝している強豪国でもある(長野五輪の際の男子アイスホッケー金メダル国でもある)。2004年を最後に、優勝に遠ざかっていたが、2024年にホストタウンの世界大会で優勝したことで、国内は途轍もない盛りあがりを見せた。
また、カヌー競技やスキー競技でもオリンピックで金メダルを獲得した実績があり、強豪国の一角として存在感を見せる。パラリンピックもメダル圏内の選手が揃っており、育成環境が整っている。
著名なスポーツ選手としてはサッカーで2003年バロンドールに輝いたパヴェル・ネドヴェドや、平昌オリンピックで本来スノーボードの選手でありながら先にスキー種目で優勝し二刀流金メダリストとなったエステル・レデツカがいる。
また、元大相撲力士の隆の山俊太郎(本名パヴェル・ボヤル)がチェコ出身である。
やり投げで優秀な選手を多数輩出している。パリ五輪の金メダリスト北口榛花は長期にわたってチェコで活動を続けた経験があり、チェコでも有名な日本人の一人でもある。
野球は競技人口も7000人ほどと比較的マイナーな部類に入り、国内には野球だけで生計を立てるような選手もいなかったが、2023年に開催された第五回WBCにおいてヨーロッパ予選を勝ち抜き2位で本戦初出場、さらには予選リーグで中国を破りWBC初勝利を飾った。対日本戦では大谷翔平や佐々木朗希を擁する侍ジャパンを相手に先制点を奪い、2回までリードを守るなど奮戦した。代表選手の大半が別の本職を持ちながら参加している(監督ですら本職は神経科医)事情や、最後までお互いスポーツマンシップに則った姿勢から多くの日本人が共感し、チェコ関連の話題がその後数日間トレンドワード入りしている。
チェコ本国もこの大会で初の野球テレビ中継を行っており、それ以降も徐々に人気が上がっているとのこと。この野球における成功は野球やスポーツの交流のみならず、政府関係者への贈り物にユニフォームが用意されるなど外交にも多少の影響を与える程だった。
その後、佐々木朗希の出元球団千葉ロッテマリーンズがチェコ代表と交流企画を立ち上げ、2024年には代表選手の一人であるマレク・フルプが読売ジャイアンツと育成契約を結び、チェコ人初のNPB選手となった。