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概要編集

正式名称はクロアチア共和国東欧バルカン半島にある

面積5万6594平方km(九州の約1.5倍)、人口385.5万人(2022年)。首都はザグレブ。

クロアチア語ではHrvatska(フルヴァツカ)。


サッカーを初め数多くのスポーツの強豪としても知られる。観光客誘致も積極的、中でもヨーロッパの九寨溝と称されるプリトヴィツェ国立公園の人気が高い。


歴史編集

現在「クロアチア」と呼ばれている地域は沿岸部(ダルマチア)と内陸部ではたどった歴史が異なる。


起源編集

内陸側は9世紀にカトリック派の王国として統一されるが、12世紀に北の隣国であるハンガリー王国に同君連合として組み込まれ、さらに15世紀にオスマン帝国に、18世紀にオーストリア帝国に支配された。19世紀のオーストリア・ハンガリー帝国の際には大半がハンガリー領とされ、ハンガリーの中のさらに自治地域と位置付けられた。


成立編集

一方のダルマチアは、アドリア海を挟んでイタリアに近いこともあり、ローマ時代の早い段階から多数の都市が築かれた。10世紀にはヴェネツィア共和国が沿岸諸都市の支配を固め、沿岸部はヴェネツィアの主要航路と位置付けられるようになる。一方、ドゥブロブニクのように自治都市として栄える都市も存在した。沿岸の多くの街が地中海貿易とともに衰えるが、結局ヴェネツィアが崩壊する18世紀末までダルマチアは大半がその領土に留まる。ウィーン会議の結果、全土がオーストリア帝国領となり、ここでようやく現在のクロアチア地域が一つの国家内に含まれることになった。


独立編集

第一次世界大戦を経て、セルビアやスロベニアとともにユーゴスラビア王国となり自治州が設定された。しかし、完全独立を望むパヴェリッチ将軍率いる勢力はナチス・ドイツと手を結んでクロアチア独立国を作り、第二次世界大戦では枢軸国としてパルチザンと戦った。

戦後は社会主義国家となったユーゴの一部になったが、東欧革命が相次ぐとクロアチアも民主的自治を求める勢力が活発化し、ついに1991年に独立。しかし、独立を認めないセルビア人とユーゴ政府と対立し、1995年まで紛争が続いた。その後、2009年にNATO、2013年にEUに加盟し、2023年にユーロ導入・シェンゲン協定加盟。


渡航編集

90日以内の短期滞在ならシェンゲン協定により査証は免除。ただし、有効期間が出国予定日から3ヶ月以上残っているパスポート(10年以内に発行されたもの)が必要。

日本の外務省は治安は安定しているが観光シーズンにスリが多発。また地雷が残っている地域もあるので十分注意してほしいとのこと。


創作上の影響編集

  • アガサ・クリスティ『オリエント急行殺人事件』の舞台は、実は現在のクロアチア・ボスニア国境にほど近い辺りである(ヴィンコビチとブロードの間)。

  • ユーゴスラビア内戦で一時破壊されたドゥブロブニクは、その後の復興で中世期の街並みを色濃く残す都市として知られ、「ゲーム・オブ・スローンズ」での王都のロケ地としても知られている。また、魔女の宅急便のモデルになったとされる。

関連タグ編集

クロアチア語 クロアチア代表

ボスニア・ヘルツェゴビナ

ダルメシアン・・・当地が原産とされる

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