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概要編集

面積13812平方km、人口62万人(2020年)、首都はポドゴリツァ、旧憲法上の首都はツェティニェ。バルカン半島に位置する国家

2006年に旧ユーゴスラビアのセルビア・モンテネグロが分離したことにより独立。

全体的に山がちな地形で、交通の便はかなり悪い。

バルカン半島の中では例外的に、この国がオスマン帝国に対して独立性を保った一因とも言われる。


呼称編集

現地ではツルナ・ゴーラセルボ・クロアチア語:Црна Гора)と呼ばれており、日本語での通称はイタリア語名からの流用。

「モンテ」は「山」、「ネグロ」は「黒い」の意。現地名ツルナ・ゴーラも同様で「ツルナ」は「黒い」、「ゴーラ」は「山」の意。

ツルナはチェルノーゼム(黒土)やチェルノブイリ、チェルノボグのチェルノと同源。隣国アルバニア(白い土地の意)とは対照的な名称である。


歴史編集

バルカン半島の大半がオスマン帝国の猛攻に飲み込まれるなか、モンテネグロはツェティニェ主教の元に現地の有力者が従うことで、宗政一致の国家としての独立をたもった。

主教たちは妻帯できないため、自らの甥に主教位を継承させることになる。

こうして19世紀中ごろまでモンテネグロはその体制を保ち、その後公国、次いで王国としての地位を獲得することで世俗化された。


その後、第一次世界大戦後にユーゴスラビア王国の一部となり、第二次大戦後は連邦内のモンテネグロ共和国となる。ユーゴスラビア内戦の後に成立したユーゴスラビア連邦にはとどまったものの、2006年に独立した。


日本との関係編集

公国時代に日露戦争が勃発し、ロシアの管理統治下にあったモンテネグロは日本へ宣戦布告している。

実際に満州へ派兵したものの、日本側はこの宣戦布告を完全に無視、ロシアとの講和会議にもモンテネグロ代表を呼ばなかった

1918年のユーゴスラビア成立にともない公国は消滅したが、国際法上は日本とモンテネグロ公国は現在も戦争を続けているという状況になった。

日本がモンテネグロの宣戦布告を無視し続けたのには理由があった。

当時の日英同盟露仏同盟の双方に「一方の国が複数国と交戦した場合、もう一方の国は参戦義務が生じる」という事項があったため、モンテネグロの宣戦を日本が受理していれば、それぞれの同盟に則ってイギリスフランスが衝突、戦争の規模は日露では収まらず、後の時代で第一次世界大戦と呼ばれていたのかもしれないのである。


2006年の独立の際、鈴木宗男衆議院議員が「戦争状態が解決していないことは問題になるのでは?」と指摘したが、日本政府は「宣戦布告の根拠がない」と回答。


渡航編集

日本にモンテネグロ大使館はなくセルビア大使館が兼務していたが、本国常駐という形で2024年に開設。

日本国籍者は観光目的の90日以内の滞在であれば査証は不要。期間は最初に入国した日から180日間のうち合計90日。

日本の外務省は危険情報はないがスリや恐喝が多発、特に夏季の観光シーズンは要注意とのこと。

ちなみに日本大使館はセルビアが兼轄。


創作上での影響編集

・田中芳樹「マヴァール年代記」に登場する国・ツルナゴーラ王国の名称はこれに由来するものとみられる。


SCP-2072「首相お気に入りの墓地」には、なぜかモンテネグロの過去から未来に至る首相の名前が刻まれた墓地が登場する。


関連タグ編集

ヨーロッパ 東欧 バルカン半島

セルビア

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