鈴木宗男
すずきむねお
1948年1月31日生まれ、北海道出身の政治家。
同郷の自民党議員中川一郎の秘書だったが、彼の死により息子である中川昭一との骨肉の争いの果てに無所属で衆議院議員に出馬し、1983年に初当選し、政治家デビュー。当選後に自民党から追加公認を得た。
自民党では金丸信、野中広務の子分筋となった。浜田幸一とは非常に仲が良かった。浜田と同様、支持者や有力者には非常に細やかな配慮を見せる一方、一般の公務員などには威圧的な態度を取ることでも悪評があった。国際交流基金に電話をかけた際、電話口に出た高円宮憲仁親王(当時国際交流基金に勤務中)を怒鳴りつけてしまった。後で皇族だと知って非常に恐縮したというエピソードがある。
土建業者や漁業関係者を支持基盤とし、地元・北海道の土木利権に加え、佐藤優を通じて対ロシア・対アフリカなどの国際利権に食い込み、一時外務省において絶大な権勢を誇ったと言われている。
2002年に北方領土を巡る利権にまつわる疑惑が国会で辻元清美、佐々木憲昭らに取り上げられ、証人喚問・逮捕に至り、佐藤優ともども失脚し影響力を失う。なお、辻元清美がかつて所属していた日本社会党は1956年の左右統一後の綱領にて「歯舞・色丹・千島・南樺太の返還を要求する」としていた。
ネット上では、国会の答弁などをサンプリングした「ムネオハウス」(疑惑の舞台となった建物「ムネオハウス」にかけたもの)と呼ばれるハウスミュージックやFLASH動画が多数アップされて一大ブームとなり鈴木支持の如何を問わず楽しまれ、かなり後に本人もイベントで一緒に遊ぶなど半ば公認のようなかたちになっている。
2002年6月に上記の件で逮捕され、自民党から離党、その後保釈された後の2005年8月18日、郷土の後輩でありかねてから彼を支援してきた歌手松山千春とともに新党大地を結成。国会に復帰後は、外務省の不祥事を徹底追及し、膨大な質問主意書を提出している。
事件の裁判では数年にわたり控訴上告をして最高裁まで争ったものの有罪が確定。2010年に収監され失職。2017年4月末まで公民権停止を受けた。その後はは党から出馬した長女の鈴木貴子が衆議院で繰り上がり当選し、父の代わりに国政に参加するかたちとなっていた。
2013年、参議院議員選挙に同姓同名ながら血縁のない「鈴木宗男」が新党大地から出馬したが落選。容姿も全く違い年齢もこちらが上であるが、この記事の「鈴木宗男」が公民権停止解除された後、国会で会い見えることとなるのかが話題となっていた。
2017年4月に公民権が回復、2019年に日本維新の会公認で出馬して当選、現在は参議院議員となり同党の副代表である。