かわいい子どもたちの時代のために、自民党があるっちゅうことを忘れるな!!
お前らのために自民党があるんじゃないぞ!!
──浜田幸一(1928-2012 政治家)
悪党党幹事長
「ハマコー」との愛称で知られ、また、「国会の暴れん坊」「政界の暴れん坊」との異名をもつ。独特のキャラクターが人気を集める一方、その発言はしばしば物議を醸した。東京湾アクアラインなどの巨大公共事業を千葉県に引っ張ってくる政治手腕から地元では絶大な支持を集めていた反面、そのヤクザまがいの言動を忌み嫌う人も多かった。
政界引退後は「政治活動家」と自称したほか、テレビ番組 『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)では、「悪党党幹事長」を名乗った。
生涯
青堀町(現在の富津市に含まれる)の大地主の家に生まれるが、父がバクチにのめりこんだあげく、一家は没落してしまう。
学生時代は喧嘩と女遊びに明け暮れ、地元ではその悪名は轟いていた。首に自転車のチェーンをかけて町を練り歩き、喧嘩を売っては金品を巻き上げるという強盗まがいな行為をやっていた。
卒業後、ヤクザの舎弟となり、殺人未遂で服役中、母親に諭されて政治の道を志し、二回目の衆院選でトップ当選。
以降、ロッキード事件で責任を取る時以外は平成5年まで議員を務め、息子の靖一(元防衛大臣)に議席を譲り議員辞職したが同じ地盤は継がせず、基本的には靖一の選挙にも殆ど姿を見せなかった。しかし2009年の衆議院選挙では自民党が下野を余儀なくされる程苦戦した状況で靖一も当時大臣の仕事が忙しく十分選挙活動が出来ずにピンチとなり、珍しくこの時は息子のために選挙活動に駆け回り駅前で「靖一を勝たせてやって下さい」と泣きながら土下座までして必死に訴える意外な一面を見せた(これが功を奏したのかは不明だが靖一は無事当選している。なお、彼が自分の選挙活動のために土下座をすること自体は別に珍しいことではなく、その光景を映したVTRを「TVタックル」内で流した際、同席していた猪瀬直樹に簡単に土下座なんかするものではないとの旨の苦言を呈されたこともある。それに対し本人は、これが誠意を示すのに最も適した姿だとの旨で反論していた)。
また、1984年に中核派が起こした自民党本部放火事件において真っ先に現場に駆けつけ、消火活動に当たっている。この時、現場に現れた当時の法務大臣・住栄作から「マッチポンプな真似しやがって」と罵声を浴びせられ、激昂しその法務大臣を殴った。法務大臣は泥酔していたこともあり、後日発言を謝罪した。
氏は以前から三里塚闘争における中核派の行動を批判しており、この事件についても「事件が起きたのは中核派を泳がしていたからだ」と語った。
ちなみにこの事件後、中核派によって木更津市の事務所に時限爆弾を設置されている。
政治家引退後はタレント活動を続け、1994年には八千草薫とのドラマ共演も果たした。その後もtwitterをはじめユニークなキャラクターで、多くの若者にも話題になった。
2010年には背任容疑で逮捕されたものの、体調の問題から公判が停止され自宅療養していた。
平成24年8月5日午前、千葉県富津市の自宅で死去。83歳であった。上記の裁判は彼の死により公訴棄却となっている。
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平和は願っているだけではやってこない
……浜田幸一
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