概要
冤罪とは、実際には罪を犯していない(無実)人間が犯罪者として扱われることである。
読みは「えんざい」。「免罪(めんざい)」と混同されがちであるが、「免罪」は「犯罪者と認定した者を許すこと」を意味するので、ほとんど対義語に近い関係である。
法律上は判決が確定するまでは犯罪者ではないが、一般的には警察に逮捕された時点で犯罪者扱いされるため、誤認逮捕でも冤罪扱いとなる。
また、過失致死犯が殺人犯として扱われた場合など、「罪を犯したこと自体は確かであるが、明らかに実際に犯した罪より重い罪を犯したとされて処罰される」ことは「部分冤罪」と呼ばれ、これもれっきとした冤罪の一種として扱われる。
冤罪にも様々なパターンがあり
①犯罪自体が存在していない。
ex.殺人事件と扱われたが実は事故死だった。
②犯罪自体は存在したが犯人とは関係ない。
ex.犯人が防犯カメラに写っていたので逮捕したが、実際には単なるそっくりさんだった。
③トラブルがあったのは確かだが、犯罪にならない事情がある。
ex.被害者を刺し殺したのは確かだが、正当防衛だった。
④トラブルがあったのは確かだが、故意ではない。
ex.他人の傘を持って帰ってしまったが、自分の傘とそっくりだったので見間違えた。
特に世間では、冤罪というと①や②の場合のみが想定されがちだが、その他の冤罪も起こしてはならないことは言うまでもない。
日本においても発生しており、「免田事件」などでは冤罪で死刑判決が下っている(参照)。
「飯塚事件」も当時のDNA鑑定の精度の低さや証言の真偽の曖昧さ等により冤罪の可能性が浮上しており、再審を巡る議論が行われている。
そのような事態を回避するには弁護士や仲間と協力して再審請求を行う他はないが、訴えが認められなかったケースや、被告人自身が争うことを諦めて刑罰を受容したケースもある。
冤罪を争うにはどうしても心理的費用的負担が大きい上、微罪であれば争った方が拘束期間が長くなるということにもなりかねず、また争うこと自体を非難する論調も少なくないためである。
特に日本では、一般的に警察の信頼度が高いため、反比例して被告人の訴えが聞き入れられにくくなっている。
唯一例外と言えるのが痴漢であるが、それはそれで「痴漢と言えば冤罪・冤罪と言えば痴漢」という循環論法じみた偏見が生じており、健全とは言い難い。「痴漢冤罪」の項目も参照のこと。
「百人の罪人逃すとも一人の冤罪生み出す事勿れ」「冤罪は国家犯罪」という主張もあるくらいに冤罪は問題視されており、各国で冤罪防止の仕組みが作られている。国連や国際社会も冤罪に関してあってはならないと言及している。毎年10月2日は世界冤罪の日と定められている。
しかし、冤罪防止のための取り組みは被害者や世間一般、下手をすると警察すらも「犯罪者を言い逃れさせて逃がす行為」と受け取りかねず、歓迎されにくい。
不十分な仕組みの中で懸命に働く弁護士や関係者にも避難や攻撃が及ぶ場合もあり、冤罪を防ぎ、また起きた冤罪を解明するまでには依然として大きな障害があるのが実態である。
将来的には世界連邦運動協会の目指す世界連邦政府樹立時に世界連邦裁判所にて冤罪被害者救済法も必要となってくるだろう。
また近年はインターネットの発達で誰でも簡単に風評被害を行えるようになってしまっており、一度貶められた名誉は回復がより困難になってきている。
冷静に考えれば警察や裁判所ですら間違えるものをその辺の素人に判断できるわけがないのである。犯罪に限った話でもないが、知りもしない話題に軽率に口を挟むことは慎むべきだろう。それゆえ神のみぞ知る(神様や閻魔大王しか知らない)
中世の時代はとにかく冤罪はよくあった話であり、日本では菅原道真公が冤罪被害に遭い、その後晴らせず亡くなり、その結果祟り(怨念霊)として人々を震撼させた。彼に限らず冤罪で苦しんだ者が亡くなった後に怨念霊や祟り霊として人々を震撼させるケースはよくある。現代社会でもそのようなケースも否めないのでくれぐれも誹謗中傷しないでほしい。
それゆえ冤罪は昔からよくある話でもあり、近年は明らかになってるうちはまだマシなほうでもある。
また天皇陛下も名指しこそは避けるも相手の立場を考えてほしいと述べられている。
冤罪を作る者達
警察や司法、通報者等が時には冤罪を作る要因になっており、冤罪を生んだ時点で第三者から加害者となるものの、法的には犯罪者と見なされないために当事者が謝罪する事なく責任逃れに走ったり、開き直ったりするケースが少なからず存在する。
関連タグ
ギルティ悪魔と契約した女:冤罪被害者が主人公とした日本のドラマであり、自分や家族を陥れた真犯人達に復讐する内容となっている。
ウルトラマンコスモス:杉浦太陽氏が放映当時に冤罪によって誤認逮捕された事で大きな混乱が起きた。
逆ギレ:近い概念。