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ジョー・アレディ

じょーあれでぃ

ジョー・アレディ(Joe Arridy 1915~1939)は、アメリカの死刑囚。知的障害のために冤罪で処刑された。通称「世界一楽しそうにしていた死刑囚」。
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概要編集

20世紀アメリカコロラド州の死刑囚。5~6歳児なみの知能しか無かったため、濡れ衣を着せられても反論できず、虚偽の自白をさせられて冤罪死刑となった。

知的障害者は暗示にかかりやすいため、その自白は慎重に扱うのが常識であるが、当時はまだそういった理解も進んでいなかった時代である。


経歴編集

少年期編集

1915年、シリア移民の家庭に生まれる。生まれつき重度の知的障害があり、IQは46しか無かった。5以上の数を数えることができず、物の色を聞かれても正しく答えられなかった(色盲か、あるいは色の名前を覚えられなかったと見られている)。親は早々に彼を見捨て、児童保護施設に預けた。


ジョーの知的障害は施設の中でも抜きん出て重く、周囲の児童からはイジメの的となった。ジョーには抵抗する気力がなく、不良少年たちに性的暴行を受けてもなすがままであった。他の少年の窃盗をなすりつけられた時も、彼は全く否定せずただ「はい、はい」と答えていた。この冤罪体質が最悪の事態に繋がる。


冤罪編集

成人して施設を追い出された彼は、電車を眺めてはしゃいで居たところを浮浪罪で逮捕される。悪いことに隣の州で少女の強姦殺人事件が起きており、何を訊かれても意味不明な言葉しか答えない彼は有力な容疑者と見做された。


すぐに保安官によって暴力を伴う取り調べが行われ、ジョーは全てを「自白」した。だがその調書は不自然なほど短く、ジョーが全ての質問に「はい」と答えているだけの内容で、彼が質問の意味をわかっていないことは明白であった。


やがて真犯人が逮捕されたが、状況は好転しなかった。捜査ミスを認めたくない保安官は真犯人に入れ知恵し、法廷で「ジョーが主犯だ」と主張させた。なんとジョーはそれを全肯定する。彼は既に保安官の暴力によって「自分がやった」と言うよう洗脳されており、意味もわからずその言葉を繰り返していたのである。


弁護人はジョーの発言に矛盾が多すぎることから、精神異常であるとして自白の無効を訴えた。しかしジョーは知能が低いだけであって狂人ではなかったため、責任能力はあるとして有罪が確定。


死刑判決が出た時、ジョーは裁判官が自分を叱っている空気を察して目を赤らめたが、裁判そのものの意味はわかっておらず、廊下に出るとすぐに機嫌が直ったという。


処刑編集

皮肉にも、死刑確定後の収監中、彼は人生最良の時を過ごした。誰もジョーをいじめる者がいなかったし、ジョーの冤罪を見抜いた刑務所長ロイが遊び仲間になってくれたからである。ロイから大好きな電車のおもちゃを贈られたジョーは大喜びし、1日中それを転がして遊んでいた。

訪れた新聞記者の「故郷に帰りたくないか」という底意地の悪い質問に対し、ジョーは「いいや。あそこは殴られる。ここでずっとロイと暮らしたい」と答えている。


ジョーの無実を確信するロイは自腹で弁護士を雇って再審請求を繰り返したが、得られたのは数回の執行延期のみで、判決は覆らなかった。


処刑の前夜、相変わらずジョーは楽しそうに電車で遊んでいた。最後の晩餐(死ぬ前に好きな食べ物を注文できる制度)を促されても意味がわからず、アイスクリームを指定。半分を残して「後で食べるから冷凍庫に入れておいて」と看守に頼んでいたという。

最後の面会で泣き崩れる実母に対しても、相手が誰であるか、なぜ泣いているのかを理解せず、戸惑うばかりだった。


いよいよ処刑直前、これから起こる事態を説明されたジョーは、不思議そうに反論した。


「違う、違う。ジョーは死なないよ」


ガス室に連行される際にも、ジョーには部屋を移る程度の認識しかなく、おもちゃの電車を仲の良かった囚人に預け、楽しそうに歩いていった。居た堪れないロイがあの世があったら何をしたいか尋ねると、ジョーは数分前に刑務所教誨師に聞かされた話をそのまま復唱した。「天国ではおもちゃの電車とハープを交換してもらえるので、それを弾いて遊ぶ」というものである。


ガス室で手足を拘束されて目隠しをされた時は流石にジョーの顔から笑みが消えたが、ロイが手を握るとすぐに笑顔が戻った。やがて執行室に移ったロイが泣きながら毒ガスを投入すると、ジョーは三回深呼吸し、微笑んだまま意識を失った。


死刑囚監房での生活を最期まで楽しんでいた彼は、「世界一楽しそうにしていた死刑囚(the happiest prisoner on death row)」と呼ばれている。


社会の反応編集

今でこそ最悪の冤罪被害者として知られている彼だが、当時のマスメディアでは「知的障害の強姦殺人犯」という報道が大半であった。ロイのように冤罪を訴える者はあくまで少数に過ぎず、大多数の市民は無邪気にジョーの処刑を喝采した。


当時は障害者の人権も今から考えられないほど軽視されており、凄まじいまでの便乗が行われた。このような犯罪が二度と繰り返されぬよう知的障害者は去勢すべきと訴える者が続出し、もったいないから目をくりぬいて角膜移植に役立てるべきだと主張する者まで現れた。


それから50年後、一人の社会学者がこの一件に目を留める。精査してみると、あらゆる情報がジョーの無実を示していた。憤慨した学者は「ジョー友の会」を結成し、コロラド州にジョーの名誉回復を請願。


更に20年後、実に死後70年も経って、やっと州知事がジョーの冤罪を認めた。それまでジョーの墓碑は殺人犯に使われる粗末な鉄板であったが、立派な大理石のものに交換された。「無実の男ここに眠る」と刻まれた彼の墓には、支持者によっておもちゃの電車が供えられている。


余談編集

  • こんな陰惨な事件の何が「happiest」なのか?という疑問の声が世界中で絶えないが、ここにおけるhappyとは、あくまで「不幸に気づかず楽しそうにしている」という皮肉的な意味合いである。
  • 「ジョーは処刑直前にもガス室の扉におもちゃの電車をぶつけて遊んでいた」「ジョーは電車を握りしめたまま死んだ」等と書いた記事が散見されるが、上述の通りジョーは処刑前に友人に電車を預けており、ガス室には持ち込んでいない。
  • ジョーを執拗に冤罪に追い込んだキャロル保安官は、ギャング一家を撲滅した過去を持つ腕利きであった。その正義感が暴走したのだとも、手柄中毒になったのだとも言われる。
  • 刑務所長ロイは犯罪者に容赦がなく、「囚人には説得より体罰で臨むべし」という過激なモットーを掲げていた。強姦殺人犯として入所したジョーにも当初は嫌悪感を抱いていたが、面会してみるとその余りの無邪気さに「これは何かおかしい」と違和感を覚えたという。
  • 真犯人フランクも罪を逃れることはできず、1937年に死刑となった。犯行動機は、被害者の父親に解雇された腹いせだった。
  • きわめて悲劇的な事件だが、実際は氷山の一角である可能性が高い。1960年代以降のアメリカだけに限っても死刑判決が出た後に冤罪とわかった事件は優に200件を超え、今も増え続けている。
  • 必ずしもアメリカ特有の問題というわけではなく、知的障害者が虚偽の自白で死刑判決を受けた例は世界中に存在する。イギリスのエヴァンス事件や日本の島田事件など、類例は枚挙に暇がない。

関連項目編集

死刑囚 冤罪

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