概要
この項目には、一部刺激の強い表現が含まれています。
刑罰の一種。極刑とも称される最も重い刑罰で、言い渡されたものはこの世から強制退場させられる。
日本では戦国時代から江戸時代には打ち首、獄門、さらし首、釜ゆで、磔など様々な方法があったが、近代以降は絞首刑(首吊り)だけである。現代では死刑廃止国もかなり多い。なお、日本でも平安時代には死刑執行が行われない時代もあった。
一般的に戦争や衝動的なものを除き、殺人という行為は対象にも他人にも見つからないように人目を忍んでするものである。しかし死刑は無抵抗の人間を大人数によって粛々と、場合によっては衆目に晒して大々的に行われる殺人で、その独特の空気と世界観に当てられて興味を持つ好事家がいつの時代も一定数存在する。
罪人の生存権を剥奪する死刑は古代より権力者の強大さや、遺族から復讐の権利を奪う傍ら間接的な復讐の代行を行うシステムとして機能しており、しばしば罪人に多大な苦痛を与える方法も取られてきた。
しかし、近代以降は人権意識の高まりもあり死刑囚が受ける刑は「死」のみであるという概念が重視されたこと、そして残虐な刑罰を与える執行人側からもその心身の負担の大きさを訴える声が無視できなくなった事情を受けて可能な限り苦痛を与えないようにする措置が取られている。
実際に日本でも、執行に立ち会う刑務官への配慮は行われており前述のように罪悪感を可能な限り持たせないようなシステムを採用したり、刑務官の間でも支給される特別手当はその日中に使い切り罪悪感を拭い、死刑囚の供養とするという文化が形成されている。多くの場合寺に行って布施をして供養してもらうか、高価な飲食などに使うといわれる。
表現としての死刑
好事家的には「死」を強制されることそれ自体よりも、寧ろ「死」に処されるまでの過程、処刑手法・方法に関心が向けられるケースが多い。フィクションとしての絵表現としても、主にR-18G表現の一環として、処刑方法の描写を嗜む場合がある。
処刑手法的分類としては「刃物を用いる」「絞首や四肢伸張など、縄を用いる」「火や熱・電気を用いる」「銃火器を用いる」「突き落としなどの物理手法」「肉食獣」「毒」。
医学的致死要因からみた分類としては「頚部血流阻害(呼吸阻害・頚部切断もこの部類に入るため大多数の処刑方法がこれに該当)」「失血死」「外傷性ショック死」「臓器への損傷(特に心臓・脳)」などがある。
グロ描写的な関心から、出血量の著しい刃物・切断・抉りなどを交えた処刑描写が散見されるが、いずれも近現代以前の産物であり、現代においては妄想や空想の域であることに注意を要する(日本を初めとして「残虐な刑罰」を法律で禁じている国は少なくない)。
尚、近代以降の絞首刑においては窒息ではなく頸椎損傷を狙っているため、息を止めると助かるというのは全くの誤解で、実際には落下の衝撃によって絞縄により頚椎が骨折して砕かれ即死、というのが定説である。頚部血流阻害の観点でみれば、絞首刑と斬首刑は全く同じ生理学的作用を齎す処刑法であることに注意されたい。
また、「10分間耐えぬいた場合は別な戸籍を与えられた上でこっそり釈放される」という都市伝説も存在しており、創作物では死刑囚が世に解き放たれる経緯として用いられる場合もあるが、実際には上記の通りほぼ即死するのが普通である上、「医師による死亡確認後さらに十数分吊るされたままにされる」というルールがあるため、耐え切るのは不可能である。
またこまわり君の「死刑!」に代表されるように、ツッコミの掛け声の一種として、ギャグ的に用いられる場合もある。
切腹
切腹(割腹自殺)は武家の自害・処刑の作法であるが、介錯が速やかに行われるため実際には実質的には斬首である場合が多い。
切腹とは「はらわたを見せることで何も疚しいこと(腹に秘めたもの)はない」(卑怯者のことを『腸の腐れ者』といった)ということを証明するという意味があるため、死刑という括りではあるが武士としての名誉を保つものである。
例として苛酷政治が過ぎて領民から島原の乱を引き起こされた松倉勝家は、江戸幕府により大名の地位であるにも拘らず武士の名誉である切腹ではなく斬首で処刑されている。
初期の作法として左脇腹に突き立てた短刀を右脇腹まで引き、一度抜いて鳩尾に突き立てて下腹部まで引き下ろして十文字に裂く(十文字腹)、左脇腹から右脇腹まで引いたら再度左脇腹まで戻す、など幾つか切り方はあるのだが、激痛と失血のため最後まで切り通すことが困難であり、尚且つ死ぬまでに時間がかかるため腹を切った後に喉を突いて死ぬのが多かった。
作法が確立した十八世紀ごろからは短刀を突きたてたときまたは右脇腹まで捌いたときに首を落とすのが一般的であった。
時代劇などでは白の裃を着用し、白布を敷いた畳の上で腹を切る描写が専らだが、これは見栄えを重視した創作であり、実際には着衣や敷物は浅黄色で整えられた。
切腹が形式化した江戸中期以降は短刀に見立てた木刀や扇子を用い、扇に手を伸ばした瞬間に介錯する『扇子腹』という手法も生まれ、身分の低いものの切腹はこれで行われた。
新撰組十番隊組長原田左之助忠一は中間時代に上官と喧嘩をしたときに短気を起こして腹を切ったことがある。幸い傷は浅く命に別状はなかったが、腹に一文字の傷が残った。
なお、本来の意味からいえば処刑よりも自死の意味が強く、また武士の死に方であるため足軽以下の庶民には許されていない(足軽は武士扱いではないため)。
その他の日本の死刑
上記「切腹」と同じ中世におけるものでは、磔などが存在した。磔刑自体は海外にも存在するものであるが、中世日本における磔刑は刑台に括り付けた後槍によって刺殺するというものである。
現代の日本の死刑
現代日本においては絞首刑が採用されているが、秘密主義ゆえその詳細について民間人が触れる機会は限られている。現在明らかになっている手順は以下の通りである。尚、刑が確定した死刑囚は刑務所ではなく拘置所に収監される。刑務所は「懲役刑や禁固刑を受けた者が自身の刑を全うする(務める)場所」であるのに対し、死刑囚は「死刑を執行されること自体が刑を全うすること」という理由だからである。
刑事訴訟法475条2項によると、「死刑の執行は,法務大臣の命令による。 2 前項の命令は,判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。」っと定められているが、実をいうと六ヶ月以内に執行されることは滅多になく、多くの場合は平均で8年程度の待ち時間が発生している。それどころか20年近くも執行を待っている死刑囚もいるらしく、実質(無期禁錮)状態が続いているのが現状。
死刑執行の当日、朝の9時ごろ、執行令状を受けた刑務官らは朝の見回りをしながら該当死刑囚の独房へ行く。そして該当の部屋の前に到着した後ドアをあけ「出房」という合図を送り死刑囚を部屋から出させる。死刑囚が抵抗する場合は刑務官3人がかりで無理矢理出させられる。死刑囚は最初、「教誨室」と呼ばれる所に通され、そこで仏教・キリスト教・神道・無宗教のいずれか信奉する宗教に従った教誨師と立ち会い、そこで約30分ほど過ごす。最後の説法を受ける際、祭壇にある菓子類を「これらはあなた自身に供えられたものです」と最期の飲食として勧められるという(しかし実際に食する人間は稀であるという)。しかしながらこれらの事は正式なプログラムで進行したのみ適応され万が一抵抗が続く場合は全て省略される。プログラムが支障なく進んだ場合「前室」と呼ばれる部屋に通され、ここで拘置所所長から正式に死刑の執行が言い渡される。そしてキリスト教なら讃美歌を歌い、仏教ならお経を唱える。そのあと刑務官から最期に言い残したい事を尋ねられる。(ただし、暴れてる場合は全て省略され、無条件で手錠とアイマスクがかけられる)最後の言葉が唱えられた後、複数の刑務官が死刑囚に接近し、両手に手錠がかけられ、目はアイマスクや鉢巻で使うような布で塞がれる。その後前室の前にあるカーテンが開き、執行室に通られる。そこで履き物を脱ぎ、ロープで両足が縛られて、首に縄がかけられる。首と当たる部分はやらわかい鹿の皮で出来ている。その後、「執行!」という合図と共に別室において3名ないし5名の職員が同時に執行のボタンを押し(実際に稼働するのはそのうち一つだけであるという)、踏板が外れて落下、その勢いによる頚椎損傷により死亡する。立ち会った医師により死亡が確認された後、遺体は5分間そのままの状態で置かれる。その後可能であれば遺族に引き渡されるが、実際に引き渡されるケースは少なく、殆どは拘置所内で葬儀が行われたあと、火葬され無縁仏として葬られるという。また生前に献体の意思を示していた死刑囚の遺体は執行後速やかに医療機関に引き渡される。記録上は刑死したことは記載されず、拘置所のある地で亡くなったことが拘置所長(の個人名)によって確認されたという事実のみが記載される。
執行に立ち会った職員には特別手当が現金で支給され(振り込みにすると執行に立ち会ったことが漏洩するため)、その日はその時点で早退を許されるという。しかしながら多くの職員は罪悪感から手当を寺院に持ち込んで死刑囚の供養を依頼したり、酒に溺れて忘れようとするという。
なお、現代日本においては、死刑囚は行動の制限こそあるものの、執行される当日までは独房内で普通に生活することが出来、この点がしばしば矛盾点として指摘される。
死刑囚には懲役刑を受けた者たちのような刑務作業が課されることはないが、封筒貼りなどの軽作業に参加することは認められているため、これに参加して収入を得ることは出来る。
一方で「誰がいつ執行される」という情報は執行当日まで死刑囚にも秘密にされるため、毎日「今日こそ自分の番か」と怯えて過ごす者もおり、これが非人道的であると批判を受けることも多い(以前は事前通達が行われていたが、これにより自殺する事件が起きたため秘密にされるようになったという)。
かつては宮城県仙台市の仙台拘置支所が日本唯一の死刑執行施設であり、「仙台送り」が死刑の隠喩として使われていたことがあったという。現代においては先述の仙台拘置支所の他、東京拘置所・札幌・名古屋・大阪・広島・福岡の各拘置支所にも処刑設備が存在する。前出の処刑設備と手順の公開も東京拘置所で行われたものである。
日本の死刑が法定刑として存在する罪は、国家そのものの存亡に関わる外患罪(外患誘致罪・援助罪、外患誘致罪は日本で唯一法定刑が死刑のみの犯罪)や内乱罪の首謀者である場合を除いて全て被告人以外の人が死亡する場合が包括されている罪に限られる(例:現住建造物等放火罪、汽車転覆等致死罪、殺人罪)。
このうち殺人罪や致死罪を除いては法文上に人の死亡が必ずしも規定されていないが、判例上はそれらの罪でも人が死亡した場合においてのみ死刑を適用する可能性があるとされている。なお、殺人罪以外の罪は罪状形成において殺意の有無を問わない(情状酌量の要件となる場合はある)。
死亡させた人数や動機などによって量刑判断次第で死刑にならないという場合もあるが、時と場合による。「~人以下だから死刑にはならない」とは一概に言えなくなっている(最近例では、2011年でも1名殺害での死刑判決例などがある)。
特に「心神喪失」などの判断は慎重を重ねての判断が為され、たとえ世間的に見て「頭のちょっとおかしな人」などと言われているような人物でもある程度以上の善悪の区別がつけばその時点で喪失判断とならない場合も高い。また、死刑に相当する判例に準ずるような事件の場合、たとえ死刑判決が下らなくてもマル時無期と呼ばれる極めて仮釈放の可能性が低い無期懲役となることが多い(無期懲役も参照)。
重大な組織的犯罪のメンバーとして重要な役割を持ったと考えられる人物は、たとえ首謀者で無くても死刑となる場合がある(例:オウム真理教関連事件の犯行メンバー)。
その他、刑事裁判において死刑判決が下る場合、通常の判決とは逆に主文朗読の前に判決理由の朗読が行われることが慣例になっている。このため極刑判決が予測される重大事件の刑事裁判においては「主文後回し」となったことがマスコミによって速報されることが多い。(但しあくまでも慣例であり、後回しされた主文の内容が無期懲役であった事もある)
欧米での処刑
ヨーロッパにおける処刑は、伝統的には貴族は斬首、平民男性は絞首刑、平民女性は火刑であった。
フランス革命直後には断頭台(ギロチン)が用いられ、恐怖政治のシンボルとなった。なおギロチンで落とされた首がその後数十秒ほどは意識があるといわれているが、その実験の際に取られた手法は呼びかけが聞こえたら瞬きをするというものであり、意識した瞬きではなく単なる失血による痙攣であるとされる。
その他、かつてのイングランドにおいては「首つり・内臓抉り・四つ裂き」という刑が最高刑として科されていたことがあった。これは大逆罪(=国王に対する反逆罪)に対して行われていたもので、「まず首を吊り絶命寸前で停止させ、次に内臓を次々と抉り出しては当人に見せつけた上で火中に投じ、最後に心臓を抉り出されて絶命した受刑者の胴体を両腕両脚に引き裂き晒し者にする」という過酷なものであった。後述する凌遅刑と並んで世界で最も残酷な刑罰として知られる。なお現代においても大逆罪は存在するが、法定刑は終身刑であるという。
現在、ヨーロッパで死刑制度を維持しているのはベラルーシのみ。
アメリカ合衆国では死刑囚に無用な苦痛を与えるべきでないという視点から薬物注射による処刑が多く、最初は生理食塩水、次いで睡眠薬、最後に毒薬が点滴される。処刑には被害者の遺族が立ち会うことができる場合もある。
かつては電気椅子という着席者に高圧電流を流してショック死させる装置が使用されていたことがあるが、これが発明王トーマス・エジソンの指揮によって制作されたことは日本ではあまり知られていない(エジソンは晩年電力会社を運営しており、ライバルであった交流送電企業のネガティブキャンペーンとして考案されたものであった)。なお電気椅子はその後多くの州で違憲判決が下り、現在では採用している州は少ない。
その他、州によって銃殺刑、毒ガス室、日本同様の絞首刑なども残っているが、薬物注射による死刑と死刑囚が選択するのが通例である。
ただし、薬物注射については医薬品メーカーが「人を癒やすべき薬を殺害に用いる」ことに反発して薬物提供を拒否する例も多い。
中国での処刑
清朝までは車裂き(四肢をそれぞれ牛馬につなぎ、四方に引っ張ることで引き裂く)や斬首、絞首などの多彩な処刑法があった。
中でも反乱の首謀者などに科される最も重い刑罰は凌遅刑であり、これは生きたまま薄く肉をそぎ落としていくという処刑法である。『凌遅○○日(刀)』というように何度肉を削ぐか併記され、記録にある最多のものは凌遅三日(または凌遅三千刀)、つまり生きたまま三日間肉を削ぎとるというものであった(もっとも四百回ほどで死亡するのだが、3357回削がれ続けた)。
削がれた肉は漢方薬として売られたり、宦官の劉瑾の場合には彼に殺された者の遺族らに配られ、これを食った遺族もいたという。反乱の首謀者に対する刑罰ということで、滅九族(親類縁者に加え知り合いまで悉く死刑に処す)が加えられることもあった。廃止されたのは西暦1905年のことであった。
凌遅刑については執行状況の画像記録が残っており、現代においても画像検索すると執行の様子を写した写真がヒットする(いわゆる「検索してはいけない言葉」)。非常に凄惨かつ残酷な映像であるため、検索調査の際には注意されたし。
現代の中華人民共和国においても死刑制度は残存しており、銃殺及び薬物注射による処刑が執行される。かつては銃殺が一般的であったが、人道的な理由により後者を選択する省も増えている。世界最多の死刑執行国。
過去に阿片戦争を経験したこともあり麻薬等の薬物の密輸販売、運搬(所持)製造に対しては厳しく、たとえ容疑者が外国人であっても死刑判決が下される。また新疆ウイグル自治区では政治的理由においての死刑判決が行われている。北京オリンピック以前の2006年頃までは公開処刑も行われていた。
返還前に旧欧州宗主国で死刑が廃止された香港と澳門(マカオ)は死刑制度を廃止している。その為、国家安全法の最高刑は無期懲役となっている。
死刑廃止の動き
ヨーロッパではベラルーシを除くほとんどの国が死刑を廃止し、ロシアは1996年に執行凍結し、2009年に裁判所が死刑判決を出すことを禁じ、事実上の死刑廃止国である。
欧州連合への加盟条件として「死刑廃止」を必須とする。
オウム真理教処刑ではノルウェー・アイスランド・スイス・リヒテンシュタインと共に非難声明を出した。
死刑制度が残っているのは発展途上国と新興国(シンガポールは先進国ではなく準先進国に分類される)が多く、先進国で死刑制度を維持しているのは日本とアメリカ合衆国のみである。
日本では少年法廃止論にも一定の支持があるなど処罰感情が強く存置派が多い。日本弁護士連合会(日弁連)は2015年から統一して死刑廃止を主張している。
アメリカは州によって法制度が異なり、死刑存置州と廃止州が分かれていることに注意を要する。死刑存置州が廃止した例もあれば廃止州が死刑を復活した例もあり、また死刑制度があっても長期間言い渡されていない州もある。
※「アメリカ合衆国の社会問題」も参照のこと。
マルクスは死刑廃止を主張していたが、レーニンのロシア革命を始めとして地球上に誕生した多くの社会主義国は死刑制度を維持していた。ソ連は昭和天皇の処刑を主張していたが、却下された。中国・ベトナム・北朝鮮で死刑制度が維持され、ラオス・キューバは執行凍結状態にある。ベネズエラ(社会主義国か議論あり)は死刑制度を廃止している。
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが死刑廃止の急進的組織であり、世界各地に支部を持つ。
賛成派
日本国内
海外
反対派
日本国内
- 日本共産党
- 社民党
- 立憲民主党の一部(※党としてのスタンスではない)
- 中日新聞
- 朝日新聞(2016年より。かつては曖昧だった。今も中日よりは穏健)
- 日弁連(2016年より)
- 雨宮処凛
- 宇都宮健児
- 千葉景子
- 平岡秀夫
- 福島瑞穂
- 保坂展人
- 山本太郎
海外
存在意義
死刑はその名の通り、受刑者の生命活動を強制的に停止する手法である。現代科学では死後の世界が解明されていないこともあり、永遠の無に放り込まれる死刑は多大な精神的苦痛を伴う。また基本的には身体を傷みつけることで執行されるため、非常に強い肉体的苦痛も想定される。よって一般的には、死そのものや刑罰に対する恐怖により、犯罪を抑止させる効果が見込まれている。
ドイツの哲学者であるイマヌエル・カントも「為された犯罪と同等の刑罰を与え、犯罪を相殺する必要がある」と唱えており、その存在は広く支持されてきた。上記のように反対の立場をとるものも多いが、倫理的に作用しうる働きを見込んで多くの国で存続してきた。
しかし、犯罪の抑止効果はあまり見込めていないとの意見もある。その最たる理由が、人道的な理由である。「殺人を許さない以上、国家による殺人である死刑もまた許されない」という意見は各国で展開されており、死刑廃止国家の多くで論拠のひとつとされている。
また、見せ物として執行される死刑の存在も大きい。公開処刑の実施による犯罪予防は各国で画策されてきたが、これらが娯楽としての要素を得るようになり、執行時には露店が店を構えたこともあったという。18世紀英国の脱獄王・ジャック=シェパードの処刑時には、その姿をひと目見ようと数万人単位の見物客が刑場に集まったとされている。
またフランス革命期より盛んに使用されたギロチンも、公衆の面前で使われることが多かった。1939年に執行された最後の公開処刑においては、早朝にもかかわらず数百人単位の見物が訪れ、その様子はYouTube上でも閲覧できる状態にまでなっている。このような状態では、犯罪抑止のための死刑という存在は意義を果たさなくなってしまう。
現在では多くの国家が死刑を廃止し、存続する国家も一部を除き非公開で執行するようになった。「犯罪抑止効果がある明確な統計的データが存在しない」とされる死刑だが、一般社会における治安改善には一定の効果を発揮する一方、シリアルキラーをはじめとする異常者には通用しないという指摘もある。
今後どのような立場になるかは不明だが、心理学をはじめとした様々な学問を巻き込み、今後も議論の対象として取り上げられていくことは間違いないだろう。
言い渡しの様子(イメージ)
関連タグ
ガーディアンシケイダー:名前に死刑が使われているが、こちらは正義側である。