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中国でかつて行われていた処刑の方法の一つ。

見せしめも兼ねているため、おそらく世界で最も残酷死刑の方法の一つである。


よって、そういう事が苦手な人は、概要を読まずにそのまま引き返す事をお勧めする。





































概要編集

「凌遅刑」とは、まだ生きている罪人の肉を少しずつ切り落とし、長時間にわたって激しい苦痛を与えたうえで死に至らす刑罰である。

(苦痛を長引かせるという点では、日本の刑罰で言えば「鋸引き」に近い。)


その際に出る人肉漢方薬にする事からしても、本来は、死体に対する追加の刑罰(「獄門」とかと同じ)として存在した刑罰が、生身人間に適用されたものと思われる。

その残酷な手法からして、復讐としての手段であると同時に、ギロチンなど同様、恐怖政治の道具としても用いられたようである。

地味に清朝末の1905年までは存在していた。


歴史編集

残酷な刑罰・拷問で知られる中国の中でも飛びぬけてグロテスクなものとして知られ、執行するにしても反乱の首謀者など、歴史的な重罪人にのみ科された。前述の通り、見せしめとしての意味合いが強く、老若男女を問わず執行されたという。


歴史上で言及される場合、基本的には中国で執行された例が挙げられる。刑罰としてではないが、孔子の弟子である子路が反乱にて誅された際、全身を切り刻まれたという事例が有名である。

秦や漢時代はあまり実施されていないが、唐滅亡後の五代十国時代にはついに法文化。法の下で正式に用いられる処刑方法となった。


歴史上では特に、洪秀全が起こした太平天国の乱の際の戦後処理として執行された例が多くみられる。首謀者・洪秀全の長男である洪天貴福にもその罪はおよび、わずか14歳ながら受刑し、大泣きしながら絶命したと伝わる。


写真の技術が発達した19世紀末期に、欧州のジャーナリストが執行の様子を撮影し拡散したところ、非人道的な処刑方法として大きな非難を浴びる。そのこともあってか、1894年には法的に廃止されたとされている。

人類の歴史をみても類を見ないレベルの残酷さを誇る凌遅刑。執行中の写真が現存することもあり、人間がどこまで残酷になれるかを現代に教えてくれるひとつの材料になりうるだろう。


余談編集

前述の通り、切り落とされた人肉は食用にされたといわれている。到底考えられない行為であるが、中国では古代より、人肉を食するという行為が記されることがある。


古代中国では、殷の紂王が鄂侯を「脯刑(人肉を干し肉にして喰らう処刑方法)」にしたという記述がある。この際はまだ単なる処刑方法としてであったが、後世になると人肉に効用があると伝わるようになる(真偽は不明)。


なお中世ヨーロッパでも似たような事例がみられる。「神学大全」を著したトマス=アクィナスは、死後にその肉を弟子に喰われたとされている。しかしこの場合、英雄の肉を食べると自身も大成できるという言い伝えによるもののようで、純粋なカニバリズムではないと思われる。

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