概要
主として世界各国で行われていた刑罰の1つ。この種の刑罰は世界的に実施例があり、古代中国におけるものが最も有名である。
詳細
この種の刑罰は世界各国で行われ、特にオリエント世界と古代中国におけるものが有名である。
オリエント世界
オリエント世界においては特に異民族の捕虜や何らかの刑罰として行われ、奴隷としたとされ、その中で優秀なものは後宮に仕えたり官僚となるものが出てきたとされる。
波及
このシステムが波及したのは東ローマ帝国およびイスラム世界であろうと思われる。
古代中国
この刑罰は死刑の次いで重い処刑とされ、その内容は男性器または女性器を切断し、「生殖機能を断つ( 去勢 )」というものである。ただし女性の場合は切断が困難であったためか、資料の記述によるものかは不明であるが「生涯を通して監房に幽閉される」扱いになることが多かったとされるが、膣口を縫い潰して塞ぐともとれる。
刑の実施
この刑罰は隋王朝のときに一旦廃止され、これは宦官となるために自ら男性器を切り落とす人物が増加したこと、および科挙の実施により貴族以外からの人材補充が可能となったためともされる。その後この刑罰は刑罰としては行われなかったが、明王朝のときに復活したとされる。
宦官
この刑罰により、あるいは自主的に去勢された男子は「宦官」として皇帝や後宮に仕えるようになった。やがて権勢を誇る者も出て来るようになると、自主的に去勢して宦官を志願するという「自宮」と呼ばれる事例も出てくるようになり、中国においては最後の王朝である清王朝の時代まで存続したが、その重要性及び人数は王朝により異なり、例えば魏や清ではあまり重用されなかったとされたり、逆に明王朝では最大100,000人ほど、刑罰によるものではないが五代十国の南漢では20,000人、人口の2%ほどいたとされている。
他国への波及
中国における宦官制度は朝鮮やベトナム等東アジアに広く波及したが、日本へは導入されなかった、あるいは古代日本には存在したがその後失われた可能性が指摘されている。また、オリエントの影響を受けた古代ギリシャやローマ帝国にも受け継がれ、イスラムにおいては外国人の捕虜や奴隷を去勢しこのような身分にしたとされる。