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概要

『科挙』とは目による選のことで、の時代に始まり清朝末期まで行われた伝統的官吏採用試験(西暦598年-1904年)


世界一の倍率を誇り、受かれば強大な権力と莫大な富が約束されていた。

そのため、都市部や農村部から多くの受験生が高級官吏を目指して受験していた。

中には一生を費やして受験していた人もいたらしく、不合格者の中には歴代皇朝の民衆反乱の首謀者として歴史に名を残した輩もいたらしい(例.黄巣の乱黄巣太平天国の乱洪秀全等)。


導入経緯

古代中国では民間からの官吏登用するシステムとして前漢武帝期に郷挙里選が導入され後漢末期まで用いられたが豪族の力が増す弊害を産んだ。その後、魏王朝になり曹丕が郷挙里選に代わって九品中正法を導入したもののさらに豪族たちの力をさらに強める結果となった。最初に導入された魏では夏侯玄が弊害を指摘し、魏を継承した西晋でも衛瓘らも九品官人法の廃止と郷挙里選の復活を司馬炎に提言している。その後は豪族の門閥貴族化が進んでしまう結果となり魏晋南北朝時代の王朝では貴族の力が強く君主権が脆弱になり政治も貴族たちに左右される状態だった。隋を建国し中国を再統一した楊堅はこの欠点を払拭し貴族の力を削ぎ君主権強化を狙い新たな人材登用システムとして導入したのが科挙である。


内容

礼部による官吏資格試験

地方から選ばれた受験生と首都長安官僚の子弟が学ぶ学校から選ばれた受験生が受ける

暗記能力、文章能力、時事能力を試す。

吏部による官吏登用試験

礼部の資格試験の合格者が対象。

官吏としてふさわしい容姿や話し方や判断力、文章力を試す。

皇帝自ら行う殿試

の時代から導入され、皇帝臨座の下で行う。ここで落ちると皇帝自身に憎悪が向けられてしまう恐れがある、などの考え方から1057年より基本的に不合格者は出さずに合格者の順位を決めるだけの試験とあった。


こうした試験を合格できた者が、晴れて三省六部などの中央官庁の官吏として採用された。


受験資格

男尊女卑を思想とする儒教の観点から、女性の受験は太平天国の乱の洪秀全下で行われた科挙を除き認められなかった。

資格は良民の男性に限られており、前科者、商人、召使いや奴隷、娼館(風俗)の経営者などは受験が認められず、上記に該当しない者でも父母が亡くなってから3年以内の者や僧侶なども禁止されていた。

年齢に関する制約はなく、10代〜70代まで幅広い年齢層が受けていた。合格時の平均年齢は36歳ほどだったようで、70歳まで続けるとお情けで採点が甘くなり、名誉合格となった例も存在した。


難易度

その難易度は人類史上でも最難関クラス。初期科挙はまだ受験までのハードルが高かったため倍率は数倍〜十数倍程度だったが、中期以降は大きく敷居が下がったため受験者数が激増し、最盛期には3000倍という数字が聳え立った。

またよくある誤認として「暗記が全てなんでしょ?」があるが、残念ながら約62万文字にも及ぶ文書を暗記して初めてスタートラインに立てる程度である。



影響

科挙はその熾烈な受験戦争により、当然多くの敗者も生み出したが、彼らは在野などで生活のために後進に教育を施したり、大衆娯楽の作成などにも関わった。

三国志演義も、それまで庶民の間で親しまれていた荒唐無稽なファンタジーであったものから、史実に準拠しながらも娯楽性豊かな完成度の高い作品へと発展していくことになる。


朝鮮ベトナム日本などの漢字文化圏のほか、フランスのバカロレア(高校卒業資格試験)などの人材選抜システムに影響を与えた。


日本でも科挙に類似した制度を導入したものの、蔭位の制など家柄を重視した官吏制度のため、下級貴族出身者のうちの優秀者が登用される程度のもので次第に試験自体が形骸化していった。

この世襲重視の風潮は明治維新近代官吏制度導入まで続いた。


朝鮮半島では高麗時代に科挙が導入される。

高麗も日本と同様貴族の家柄が重視される社会だったので、科挙を通じて選抜された官吏は少数派だった。

朝鮮王朝ではすべての官吏を科挙を経て選抜しようとしたが、中国ほど厳格で公正なものではなく、代理受験などの不正行為も非常に多く。朝鮮王朝末期になると賄賂の金額で合格が決まるようになっていたと言われる。


フランスでは現在も哲学の記述試験が重視されるが、科挙の影響を受けた名残と言える。


科挙のような「ペーパーテストの点数のみ」で合否を判断するというのは、親がどんな地位や職業でも、実家がどれだけ貧乏でも、受験者本人が合格最低点さえ超えれば入学できるという極めて平等な制度として、現代までも主に東アジアで浸透している。


カンニング騒動

受かれば一族は強大な権力と莫大な富が約束されるが故にカンニングや替え玉受験といった不正行為が行われたという騒動もあった。

カンニングの手口は、手のひらに収まるサイズの「豆本」を隠し持っていたり、お弁当の中にカンニングペーパーを隠してあったり、体または下着に書いてあったりと様々であった。

また、関節といって試験官に賄賂を渡して不正に合格させてもらうという不正も初期から見られ、筆跡などで分からなくするために回答用紙を丸々別の紙に書き写して特定できなくする「謄録法」などが不正対策として用いられた。

不正行為が発覚した場合は、不正を行った者は本人のみならず一族郎党全員処刑されるというイメージが強いが、カンペなどの個人的なカンニングの場合は一定期間または一生の受験禁止程度で済んでいた。まあ士大夫にとってはこの時点で死刑宣告も同然だが。試験官など複数人が絡む不正だと上記のような処罰になっていたようで、不正行為を摘発した兵士には銀の棒が三本もらえるといったボーナスもあったという。

現代中国の大学受験のカンニングの手口は巧妙なものとなっているのは、科挙のカンニング騒動の影響なのかもしれない。



格差問題

現在でも親が貧乏で良い職業に就けず、それ以降も連鎖が続く貧困の連鎖は現代でも社会問題となっているが、同様の問題が科挙にもあった。科挙の理想は「貧富の差関係なく誰でも受験できる平等な制度」というものだが、科挙に合格するには膨大な量の書物や優れた教師の指導、上記の合格時の平均年齢を見れば分かるように10〜20年受からないこともザラだったのでその間勉強に集中できる環境など様々なものが必要だった。

また受験先への旅費や滞在費、合格時の関係者へのお礼などは自己負担だったため、これら諸々で相当なお金がかかり、実際の合格者は上流階級に偏りがちだった。

だが合格が望めるほど聡明な子だったら一族から支援を受けられることも多かったので、少なからず貧乏な家庭から苦学して合格した人もいた。



廃止

科挙は清朝末期に廃止された。中国とは異なる歴史を経て成長したヨーロッパの大国に敗れただけでなく、それまで絶対的な優位を保ってきたと認識していた東アジア圏においてもその中華秩序から決別した日本にも敗北し、古典の暗記が重視される科挙によって登用された官僚達がまるで無力であることが露呈してしまったためである。

次第に勉学と愛国に燃える若者達は科挙の勉強よりも欧米や日本への留学を志すようになり、政府もこれを後押しする形で彼らを送り出すようになり、1300年以上続いた科挙は終わりを告げた。

代わりに諸外国のそれを模した学校制度が導入されたものの、すでに息も絶え絶えの清にはそこから来る人材を待つ体力はすでになく、わずか8年後に滅亡することとなってしまう。


関連動画

科挙のカンニングの一例とそれで死刑になった男の話


関連項目

聊斎志異…科挙の受験生が主役になることが多い。

敦煌…井上靖の小説とそれを原作にした映画は北宋時代が舞台で、物語は主人公である趙行徳が、科挙の最終試験殿試で不合格となる場面から始まる。

月に咲く花の如く清朝末期の物語であるため、科挙がかなり否定的に描かれている。

外部リンク

科挙 非常に詳しく載っているのでおすすめ。

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