概要
アヘン禁輸を発端として、1840年から1842年にかけて中国・清朝とイギリスとの間で行われた戦争のこと。
当時、アジア貿易を目的に活躍していた「イギリス東インド会社」。清朝・北京政府はアヘン貿易を禁止していたものの、清朝との貿易是正のために同社は中国への組織的なアヘンの売り込み・密輸を開始していた。この結果清朝のアヘン輸入は増大し、清朝側は巨額の銀流出など経済・財政面でのダメージを受けることになった。
1838年、道光帝は政治家・林則徐を欽差大臣に任命。1839年よりアヘン密輸の取り締まりが開始された。林は大量のアヘンを没収して廃棄処分にし、またイギリス商人らを追放。イギリス政府はこうした措置に反発し、僅差の議決で開戦した。
イギリス側は広州など沿岸部から攻撃を開始。清朝側は林を罷免して和議交渉に出たがうまくまとまらず、戦闘を続行。1842年、イギリス軍は北京に近い天津の沖に迫ったため、清朝は降伏を宣言。南京条約を結び、清朝側は主要港の開港と賠償金支払い、香港の割譲などを行った。
補足
- 香港は1997年に中華人民共和国へ返還されるまでイギリス領であった。返還までの99年間は租借地。
- 戦争当時、鎖国体制をとっていた日本では、「アヘン戦争で清がイギリスに敗北した」という情報を受けて「異国船打払令」を撤廃している。
- この戦争のトラウマもあるのか、現在も清朝の後身である中華人民共和国では薬物犯罪については厳罰をもってあたっている。同国では1kg以上のアヘンを含めた薬物を密輸、販売、運搬、製造すると、薬物密輸販売運搬製造罪(刑法第347条)となり、15年以上の懲役、無期徒刑又は死刑に処された上、財産を没収される。