概要
孔子を始祖とし、孔子の考え記した道徳を基とした宗教。学問としては「儒学」とも呼ばれる。
儒教の経典は易・書・詩・礼・楽・春秋の六経(楽経は散佚したので五経ということが多い)。 春秋時代には詩・書・春秋の三経に礼・楽の二経を加えた五経となった説がある。ただ原典には詩経 書経に関するものしか出てこない。
同じく諸子百家の法家が唱えた法治主義(=‘人’よりも‘法律’が勝る)に対して、徳治主義(=‘法律’よりも‘人’…特に君主や賢者の判断が勝る)を説いた。
思想
周の時代の「礼」を理想としており、「仁」「義」「礼」「智」「信」の5つの徳『五常』を磨けば、「君臣の義」「父子の親」「夫婦の別」「長幼の序」「朋友の信」の『五倫』を保つことが出来ると説かれ、この『五倫五常』が教義の基本となっている。
信仰や宗教とされることもあるが、他の伝統宗教のように神や仏といった存在は無く、創設者である孔子は「怪力乱神を語らず」として、生涯に渡り神も鬼も語らなかった。
また、死後の世界に対しても関心が無く、死んだらそれまでで来世などの概念は無い。
そのため死や死後のことよりも「現世をどう生きるか」に集点がおかれ、「理想的な人間はこうあるべき」ということが教えられている。
そのため宗教としての要素が欠けており、「儒教は宗教ではない」とも言われ、日本において一つの学問として、「儒学」と呼ばれる所以となっている。
…なんて言っておきながら教義の根本に中国神話が置かれていて、重要な論説の節々に
「天(=天帝)が判断するだろう。(意訳)」とか「天の思し召しである。(意訳)」と、科学的に定義不可能な部分に言い訳のように持ってくる辺り、現代的な感覚からすれば「どこが学問じゃい!」と実際に触れずに思う者はいるだろう。実際のところはどうやったら社会はよくできるか?と言う部分が核であり知を最も重視する。これが先祖や知者を重視する事にも繋がっている
儒教社会では、家長(=長男)が祖先崇拝の祭祀を司ることをステータスとし、かつこれを絶対視する。そして、祭祀が絶える(=「家」や「氏」が途絶える)ことを異常に忌避する。
天人相関説など明らかに学問的に立証不可能な考えがベースに置かれている部分もあるため、「完全に宗教ではない」と言い切るのも微妙なところである。そもそも古代では「学問=宗教」だったのでその辺りを完全に区別するのは難しいところもあるのだが。
古代ローマ帝国にならぶ大帝国『漢』において実質的に国教に据えられたために一気に権威化したが、それ以前は現代的な視点からしても具体的な統治システムを採用していた法家、その代表格である韓非子から罵倒されていた。
上下の関係、男女の関係等、差別的な思想があり、男尊女卑や近代近くまで女性に名を付けない習慣があった。(これに関しては儒教に限らず全ての学問や宗教に共通している事だが、近代までは人間とは男のみを意味している事が殆どであった)
また、皇帝という存在が数ある国王の上位互換にして中華世界(ひいては全世界)唯一無二の存在であることを定義、擁護した為、歴代中華王朝で厚く用いられた。
一方で天命であるとして、易姓革命(=「徳」のある者が偽王を滅ぼして新しい王者となる)として革命による王権転覆を是認した。
日本でも南蛮人などと言うがこれは中華思想の影響である。
宗教学・地政学としての視点
キリスト教がヨーロッパにおける地域統合を促進したように、東アジアでは、儒教が仏教や道教と複雑に作用することで同じ文明圏・文化圏が築かれる呼び水となった。
中華思想も、見方を変えれば漢字文化圏という巨大な地域ネットワークの母体という側面を持っていて、古代~中世にかけてモンゴル等の遊牧民や満州人等の狩猟民賊の一部や、朝鮮等の属国、東南アジアの一部は積極的にこれに迎合することで当時の『国際ネットワーク』に参入しようとした。(=冊封体制)
日本では江戸時代以降、とくに朱子学が重んじられ、幕末には国家神道と結合して明治へ続いていく。ヨーロッパには18世紀ごろに伝来し、ヴォルフらドイツ観念論者に受け入れられた。
ただし日本で儒教と呼ばれているものは「天命さえあれば農民であろうが皇帝に成っていい。王朝を開いて良い(易姓革命)」「民を救わない王朝(既得権益)を倒す事は正しい」など儒教であれば肯定するべき要素が排除されている日式儒教とでも言うべきものになっている面がある。
儒教と現代日本
現代では年長者・上司・父への崇拝など、ブラック企業や体育会系的な文化の源流として嫌われることがある。経営者に儒教や論語の信奉者が多いのも、むべなるかなというところである。
儒教・国家神道一色のイメージのある戦前にも反儒教の動きはあり、福沢諭吉や森有礼など欧化主義者は反儒教だった。
戦後にはまず左派から蛇蝎の如く嫌われ、たとえば和辻哲郎は
「家康が儒教によって文教政策を立てようとしたことには、一つの見識が認められるでもあろう。しかしヨーロッパでシェークスピアやベーコンがその「近代的」な仕事を仕上げているちょうどその時期に、わざわざシナの古代の理想へ帰って行くという試みは、何と言っても時代錯誤のそしりをまぬかれないであろう。家康自身はかならずしも時代に逆行するつもりはなかったかもしれないが、彼の用いた羅山は明らかに保守的反動的な偏向によって日本人の自由な思索活動を妨げたのである。それが鎖国政策と時を同じくして起こったのであるから、日本人の思索活動にとっては、不幸は倍になったと言ってよかろう」
などと述べている。
続いて右派も戦後世代が主流になるにつれて儒教イメージは悪化し、今では日本が儒教的でないことを誇りとする人が多い。
また廃仏毀釈の遠因であることから現在の仏教徒からの印象はよろしくない。日本に限らず中国・朝鮮も同様に儒教が仏教を排斥しており因縁の関係にある。これは現代に限らず古代でも空海が儒教は仏教に劣ると批判していた。ただし日蓮などは儒教思想の影響が強いとされる。
ただし日本の体育系の部活や「ブラック企業」と呼ばれている人権侵害が日常的に起こる組織の問題は、儒教が国家イデオロギーとなる江戸時代よりも前から続いている結果なので、儒教だけの責任と言うのは少々無理がある。