概要
仏教やヒンドゥー教といったインド系宗教を中心に成立した概念で、前世・現世とセットで扱われる。
輪廻転生と不可分で扱われることが多いが、「今の生を終えた後に向かう世界=死後の世界」という意味もあるため、アブラハムの宗教や神道といった転生の概念が存在しない宗教(※)でも天国・地獄・幽世などを「来世」と呼ぶことはできる。
「今の人生が苦難に満ちていても正しい心・正しい行いで生きれば来世で幸せになれる」という精神的救済の役目を担ったのと同時に、「どんなに現世利益を積み上げても悪い心・悪い行いによって生きれば来世でとことん苦しめられる」という生活上の戒めに用いられた。
現代でも信じている人々は多く、世界の有名な宗教都市を有する地域(バチカン市国等)や宗教施設が日常生活で身近に関わる地域(日本の寺社周辺等)ではその傾向が強い。
江戸時代には身分差等の要因で結ばれない恋人達が来世で結ばれることを願って心中する事件が度々起き、歌舞伎や浄瑠璃の題材として心中ものが人気の演目の一つだった。このように「愛する人と来世でも会いたい」とする考え方は現代でも根強く、葬儀の席で故人に向かって「来世でも貴方と(貴方の)○○になりたい」と弔辞を送るケースは多い。(例としては舘ひろしが渡哲也の葬儀の後にメディアの取材に答え、来世があるなら再び渡哲也さんの舎弟でありたいとコメントしている)
その他に、現代では自身の成長や栄達を諦めた人がよく「来世では」と口にする。
※アブラハムの宗教では人々は死後に最後の審判で天国行きか地獄行きが決まってそこで永遠に過ごし、神道では死者は祖霊(氏神)として子孫を見守り続けるとされる。