概説
人類は一度滅亡し、その後に創世から終末に至るまで、全ての死者が復活して、神の法廷で審判を受けることになる。
法廷で赦されたものは、神の住む楽園で永遠の命と安らぎを得る。
古くはゾロアスター教の終末論に見られ、のちにユダヤ教とキリスト教でも特記事項としている。
慣用句として、「全ての決着のとき」を意味するものとして用いられることもある。
ゾロアスター教の「最後の審判」
アフラ・マズダとアンラ・マンユによる「善悪の最終戦争」の後、一度世界が滅びる。
その後アフラ・マズダによる審判が執行される。
空から彗星が落ち、地上の一切の鉱物が煮溶かされる。善人は全く苦痛を感じないが、悪人は地獄の苦痛を味わうことになる。これが三日続くと、ついには悪人の罪さえ消滅し、地上が善に満たされた理想世界へと再生されるという。
キリスト教における「最後の審判」
現在知られる「最後の審判」の本流といえるもの。
黙示録第10章「千年王国」3節3項がそれに当たる。
千年王国の消滅の後、キリストが創世から審判の日に至るまでの全ての人間を地上に復活させ、神の玉座の前へと招集する。そして神の国へ至って永遠の安らぎと共にに生きられる者と、地獄で悪魔と共に永久に罰せられるものとを振り分ける。
審判の後は、新たな天地が創造され、そこで審判を通過した者たちに不滅の楽土が送られ、神とキリストによる究極の統治で人類は満たされることになる。
『怒りの日』とも訳されるが、これはキリストが地獄に墜ちゆくものに対し、「神の愛が示され続けてきたことを無視して堕落し続けた」ことを怒り嘆いて喝破するためである。
創作における「最後の審判」
宗教美術の題材として、長らく愛されてきた。
特に有名なのは、ミケランジェロがバチカン市国のシスティーナ礼拝堂に描いた大壁画だろう。
音楽としては『怒りの日』としてグレゴリオ聖歌となり、それを基盤にクラシック音楽でも盛んにモチーフとされている。
アニメや漫画でも、ノストラダムスの大予言に端を発する終末論ブーム以来、盛んにテーマとして取り上げられている。
有名どころでは、漫画版『デビルマン』、『新世紀エヴァンゲリオン』辺りだろうか。
一方で、人類の可能性を無限大のものと定義すべく、敢えて審判を下すものに立ち向かい、それらを駆逐する展開も増えていった。
また作品上、世界は終了しました先生の次回作にご期待ください、ではオチがなさすぎるので、世界が滅んだ後でも続きがあることが多い。そういう意味ではヨハネの黙示録より仏典の転輪王経に近い。
詰将棋「最後の審判」
1997年『詰将棋パラダイス』1月号で、数学者縫田光司が考案した問題作。
この問題を解こうとすると、最終的には将棋の禁じ手である「千日手への踏み込み」に発展するというどうしようもない矛盾に突き当たってしまう。
発表以来、21世紀になってなお日本将棋連盟が正式な回答を出しあぐねる、将棋の正式ルールに潜んでいた欠陥を巧みに抉り出した怪作として知られるようになった。
ライトノベル『りゅうおうのおしごと!』でも、この状況が作中の対局で再現され、この局面が出現したときの勝負としての裁定がストーリーに大きく影響を与えている。
曖昧さ回避
- 『カードキャプターさくら』における「最後の審判」→最後の審判(カードキャプターさくら)