キリスト教においては旧約聖書で説かれた「人の子」(メシア、救世主)であると信じられており、「イエス・キリスト」と呼ばれる。
キリストとは「油を注がれた者」を意味するメシアをギリシャ語訳した称号である。
名前について
「イエス(ヨシュア)」という名前は当時そう珍しいものではなかったため、キリスト教的な観点(彼をキリスト=救世主と認める視点)を除いて見た場合にはこのように出身地を取った名で呼ばれる。
アルファベット表記の一つとしてJesusがあり、英語読みすると「ジーザス」、スペイン語読みすると「ヘスス」となる。
ジーザスは英語圏の人名として用いられることはないが(旧約にも同名の人が複数出てくるためか別表記になったジョシュアさんならいる)、スペイン語圏ではよく使われている。
スペイン語圏はカトリック文化圏であるが、信仰を共有する日本のカトリック教会で「イエス」がクリスチャンネームとして使われることはない。
生涯
誕生
マリアの夫ナザレのヨセフは義父ということになる。『ヨハネによる福音書』によると、
このときアブラハムより前、それどころか永遠の昔から存在するロゴスが受肉したのだという。
聖書本文には彼の誕生日について記述はないが、一部の教父たちが語った伝承に基づき12月25日を誕生日としたり、この日を誕生日そのものとしなくても「キリストの生誕を祝う日(クリスマス)」とする慣習がキリスト教圏に存在する。
生まれた場所はベツレヘムである。当時、ローマ皇帝アウグストゥスが帝国内の全住民は住民登録せよ、とお触れを出したため、イエスを妊娠したマリアは当時婚約者であったヨセフと共にナザレ村からベツレヘムの町へと向かった。ヨセフはダビデ王の血を引くので、ローマ帝国の規則により、その家系が登録されているダビデの生誕地・ベツレヘムに行く必要があったから、とされている(※)。そしてマリアはそのベツレヘム滞在時にイエスを産んだが、登録が済むとそのまま彼らの実家があるナザレに帰り、イエスもそこで育ったため、彼はナザレ村出身の人間として扱われている。
それから大人になるまでの事績は不明である。『ルカによる福音書』に少年時代の彼が賢かったというエピソードがちょびっと書いてあるくらい。父ヨセフが大工として働いていたため、当時の慣習通り、彼も同じく大工の仕事をして生活していたと考えられている。
それから宗教活動開始までの「失われた年月」を埋めるものとして『トマスによるイエスの幼時物語』という外典があるが、子供とはいえ機嫌を損ねると割りと気軽に人を呪い殺したりするという大人イエスからは程遠い人物像だったこと、派手で突飛な奇跡話がわんさか出てくることから、奇蹟の意義を逆に損ねると見なされ、主流派キリスト教会からは受け入れられなかった。
近代でも『聖イッサ伝』や『宝瓶宮福音書』などの「失われた年月」を埋めると主張される本が作成されている。
※: 一家がベツレヘムからナザレに移った理由は、マタイの福音書とルカの福音書では説明が異なる。また、マリアもダビデの血統と信じられているが聖書には明確な記載が無い。詳細はここでは割愛。
宗教活動開始(公生涯)
三十歳になったイエスは、宗教活動を開始する。洗礼者ヨハネによる洗礼を受けた後、癒し等の奇蹟を行いながら教えを説き、巧みなたとえ話や箴言を語り、彼が神の教えに反すると考えた律法学者、ファリサイ派、サドカイ派の人々を痛烈に批判した。
端から見ると彼もまた律法を破っていることになるのだが(安息日に人を癒したり、麦の穂を摘んだり)、批判を受けると旧約聖書でダビデ王が律法を破ってる故事を引用して「やむをえない時は安息日も破ってよい」という事を示して難を逃れるといった機転を見せた。
そんな彼を弟子は「メシア」と呼び、本人も認めたが、他の人々には触れて回らないように念を押した。このことについては当時は政治的メシア(ローマ帝国を倒し、イスラエル王国を復興させる新たな政治指導者)が求められており、こうみなされることを本人が嫌ったという説明がなされる。
『マタイによる福音書』ではこの後にイエスが自身の死と復活を予言するシーンが描写される。
彼は既存の宗教勢力からの恨みをかなり買ってしまっており、弟子の一人であったイスカリオテのユダの手引きでサンへドリン(長老や宗教者らによる裁判所)に引き渡され、これまでの「冒涜」的発言を責められたイエスはそれを否定することなく、
逆に彼らの怒りに触れる発言をしてしまう。長老と祭司長はローマのユダヤ総督ポンティオ・ピラトにイエスを「ローマ帝国への反乱者」として引き渡す。
ピラトは「お前はユダヤ人の王なのか」と尋問する。ローマ帝国において勝手に「王」と名乗ってはならないためである。
ピラトは不利な証言に対しても何も言わないイエスを不思議に思っていた。ピラトの妻クラウディアも「夕べ夢の中であの人(イエス)のことを見て、私は苦しめられました。あの人に関わらないでください」と懇願されたこともあり、処刑には消極的であった。しかし裁判を取り巻く群衆(長老達が連れてきた自派閥の人々)が殺せ殺せと言い止まらないので、「私は責任を取らない。お前達の問題だ」と群衆の目の前で手を洗いローマの不干渉を示した。ユダヤの群集は「その血の責任は我々と子孫にある」と言った。
これがヨーロッパにおけるユダヤ人差別の原因となった。
磔刑と復活
兵士たちに引き渡されたイエスは十字架上で死亡する。享年33歳。その時にあげた言葉は福音書によって異なる。
その三日後、彼は自身の予言通りに復活し、信者や使徒たちの前に現れたのち、天に還っていった(昇天)。
『使徒行伝』では復活から昇天までの期間は40日であったとされる。
イエス・キリスト
福音書など新約聖書に描かれているのは、正確に言うなら一世紀から二世紀までのクリスチャンが信仰する「イエス・キリスト」の姿である。伝承を元に数十年以上をかけて編纂されたものであり、当然のことながら、どこまでが歴史的事実であったのかは、今となっては誰もわからない。
他宗教におけるイエス
- ユダヤ教では偽メシアとされる。
- イスラム教でも偉大な預言者として尊敬されている。アラビア語形イーサーは人名としてもよく用いられる。開祖ムハンマドが「最後の預言者」と称されるのは、モーセやイエスらを先輩たちとし、彼らに連なる人類最後の預言者だから、というコーランの教えによるもの。しかしそのためイスラム教における唯一神アラーの分身やアラーの子と扱うこともできないので、イエスは神ではなく神の子でもないムハンマドと同じ人間の預言者で、十字架にもかかっていない...等、キリスト教内の解釈とは大きな違いがある。また、伝説によればムハンマドが亡くなったときは、彼は天使ガブリエルに連れられてエルサレムへ向かい、そこでイエスたち先輩と会って話し、それから天国に昇っていったとか。
- グノーシス主義でも尊敬されていたが、YHVHは偽の神とされ、イエスはグノーシスが掲げる至高神プロパテールの使者ということになっている。
- キリスト教文化圏で誕生した神智学、スピリチュアリズムやニューエイジでも重要な人物であるが、聖書そのままの人物として受け取られることは無い。特に絶対的な神性は否定される傾向にある。
- ヒンドゥー教でも『バヴィシュヤ・プラーナ』という聖典に「イシャ・マシー」という名前で登場する。ただし、このプラーナは他のプラーナ聖典と違い、1850年まで増補が繰り返されてきた(予言という形でイギリス支配時代のことまで書いてある)特異な位置を占める書ではあるが…。
関連作品
ナザレのイエスをモチーフにしたキャラクター
ここではキリスト教、聖書中の固有名詞やその捩りという形で作中で明示されたり、作者がモチーフと明言している例をあげる。
イエスと重ねられるキャラクター
公式側から明示・明言されていないが、視聴者、読者からイエスと重ねられる事が多いキャラクター。