概要
『新約聖書』に登場する西暦1世紀前半に活動した人物。ヨルダン川で自分の甥であるイエスに洗礼を施したとされる。
キリスト教においては、「イエスの先駆者である」と位置づけられる。
なお勘違いされやすいがイエスの十二使徒の一人である「ヨハネ」とは何の関係もない、同姓同名の別人である。
また、「イエスの先駆け」とされている為か、イエスが「処女懐胎により生まれた」という伝説が有るのに対して、「通常は子供を懐妊する事が有り得ないような高齢の母親から生まれた」という伝説が有る。
『ヨハネによる福音書』1章では、他の福音書でもイエスの最初の弟子としているペトロとアンデレは、元々洗礼者ヨハネの弟子であったという記述がなされている。
マタイによる福音書3章では、「荒野でイナゴと蜂蜜を食する清貧の生活を行っていた」とされている。これは預言者エリヤを模している。一部の福音書ではイエスとは母方同士が親戚とされ(母のエリザベトが聖母マリアの親戚)、父はザカリアという祭司だったとされるが、これらに歴史的な裏付けは乏しい。
聖書の中で、救世主について、「脱穀場で籾を焼き、掃除をする者」と言う預言をする。しかもナザレのイエスが、大工の(嫁の連れ)子であることは、メシアであることの言訳であるらしい。人々に自らの罪に気付き、悔い改めるように求める説法を行い洗礼を施していた。
その後、ヘロデ王(ヘロデ・アンティパス)が王の兄弟フィリッポス(ピリポ)の妻だったヘロディア王妃と結婚したことを非難したため、王妃の怒りを買って逮捕されて投獄される。投獄したものの、ヘロデは名声あるヨハネを殺すことまではためらった。しかしヘロディアはヨハネを深く恨み、処刑を望んでいた。そこで王妃はヘロデ王にとって義娘(連れ子)で自身の実娘のサロメに対し「王が約束した宴会での舞踏の報酬として、ヨハネの首をねだるように」と促した。こうしてヨハネは獄中で斬首され、その首はサロメを通じヘロディアに差し出された。その遺骸は弟子達に引き取られ葬られたという。ヨハネの処刑は西暦30年頃の事とされる。
創作ではこれをヒントにし、獄中でサロメに恋心を抱かれるもそれを拒絶したため遂には恋に狂ったサロメが踊りの報酬としてヨハネの首を求めたため、斬首された…というものが有名である。
なお、新約聖書内でヨハネが求めた「悔い改め」とは道徳的な「改心」と言う意味ではなく、従来の当時の生活の価値基準を180度転換すること、つまり文字通り「回心」だったとされる。当時のユダヤでは宗教的律法を厳格に守ることで自身が無辜であることを誇る律法学者などの知識層・富裕層が幅をきかせていたが、ヨハネはこれを驕りと見做し、律法を守れなかった人々、守る余裕もない貧しい人々を軽蔑し差別する風潮を罪としたのである。
イエス・キリストは「天の御国に一番小さい者でも彼より偉大です」と言われる(ヨハネ11章)。これは、ヨハネは十字架の愛を知らなかったため「天の御国は近付いたので悔い改めなさい」と終末論を触れ回ったため、小さい者とよばれたのだとされる。
オカルト関係では、エッセネ派というユダヤ教の一派の人であるとする者もあれば、イエスの師匠であると言う者もいる。後、カルト教団の末日聖徒には妊夫として降臨するというあまりにも「どうしてそうなった」と言いたくなる様なトンデモ謎伝説が伝えられている。一応、実際に宗派を率いていたとは言われるが、そことイエスの興した「NAZORAIOS(ナゾラ派)」の関係は一切不明である。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画では、当時「男の娘っぽく描け」という方針があったらしく、それに基づいて描かれている。モデルの男性との心理的な関係以外になにかがあったようだが詳細は不明。
『聖☆おにいさん』のヨハネ
キリスト教で「洗礼になった」言訳として、イエス・キリストがその儀礼に臨むにあたって、
「水の中へ入るんですか?耳ツーンとかキーンとかしますよ!」
などとぎゃーぎゃー喚いたため、この尊い方が水かけるだけにした、と言う可能性を示唆している。聖おにいさんのイエスはカナヅチであり、水へ潜るのが嫌だからとプールの水を割るぐらいである。