名称
ローマ・カトリック教会とも。カトリックとは「普遍的、世界的」「公同の」という意味を持つ。他教派も自身をそう認識しているが、単にカトリックと但し書きで書かれる場合、ヴァチカンを本部とする教派を指す。
明治時代の文献にはキャソリックやカソリックという表記が見られるが、これは当のカトリック教会は使用していない誤記。恐らく英語訛り(CathoricのCaやthの部分の発音の関係)からの誤用と思われるが、はっきりしたことは国語辞書にも書かれていない(大抵カトリックへのリダイレクトになっている)。
概要
全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。ローマ教皇の権威が使徒ペトロに発するという教理から、ペテロが教皇になったとされるAD33年から存在する教派というのが建前である(それ以降のローマ司教は当時からペトロの後継者を名乗っている)。しかし実際には、325年のニカイア公会議から451年のカルケドン公会議の間にアリウス派・アタナシウス派・非カルケドン派などを異端として自らが普遍(カトリック)・正統(オーソドックス)と名乗った経緯があり、3~4世紀に徐々に教理・教派が形成されたといってよい。その後ローマ世界がフランク王国と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に分離して交流が減った結果、ローマ教皇権やフィリオクェ問題などでローマ側とビザンツ側での差異が徐々に拡大し分裂状態となっていた。それがほぼ確実になるのが12世紀ごろであり、このころが現在カトリックと呼ばれる教派が確定した時代と言える。
日本ではカトリック教会といい正式名称はローマ・カトリック教会というラテン語ではEcclesia Catholica(Catholicus)、ギリシャ語ではκαθολικός、英語ではCatholic、ロシア語ではкатоликという。日本ではかつて「天主公教会」とも称された。このキリスト教宗派の特徴としては聖ペテロを初代教皇としたローマ教皇(ローマ司教)と教皇庁を頂点とした司教官僚制的協会制度にある、カトリック教会自身による定義は「教会憲章(Lumen Gentium)」にみられる「ペトロの後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち(司教)によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」という表現にもっともよく表されている。
彼らは唯一のキリスト教会を自認する。そのため、教義や体制に差異のある他教派は定義上「異端」となる(これはカトリックに限ったことではないが)。この原則はかつては異端審問のように苛烈な形で現れていた。異端の基準じたいは現代にまで引き継がれているが、第二バチカン公会議を期に他教派への態度はかなり軟化しており、現在ではプロテスタントの宗教改革をヴァチカンも祝うという状態になっている。
東方教会と比べた特徴
三位一体
神の実体(substantia)は一つであり「父」でも「子(キリスト)」でも「聖霊」でもあるが、神の位格(persona)としての「父」と「子」と「聖霊」はそれぞれ別であるとする教義。これは父なる神が「子」キリストや聖霊を作った(養子にした)というアリウス派やサベリウス主義などの教義や、キリストの人間性と神性が完全に独立した二つの自立存在であるとするネストリウス派と対立する。
両性説
キリストが神性と人性の両方の性(natura)を完全に持つという教義。
キリストの神性と人性は一つの本性へと合わさったとする、合性論の非カルケドン派と対立する。かつて存在したエウテュケス主義という派閥による単性説ではキリストの人性は神性側に吸収・統合されたと説き、こちらもカトリックの立場と異なる。
なお、非カルケドン派は自身の立場を「単性説」と捉えられる事を拒絶している。
正教会等と比べた特徴
特に正教会と比較してカトリック教会に特徴的な要素として、「七つの秘跡」「フィリオクェ」「ローマ教皇権」「無原罪の御宿り」「聖母の被昇天」がある。
七つの秘跡
「洗礼」「堅信」「聖体」「ゆるし」「病者の塗油」「叙階」「結婚」の七つ。東方正教会にも機密(ミスティリオン)という神学的な由来を同じくする概念があり、所作などにも共通点があるが、意味づけに違いがあり、「名前が違うだけで中身は同じ」というものではない。
カトリックから独立した聖公会やプロテスタント諸派にも秘跡の概念は受け継がれたが、「洗礼」「聖体」だけが重視されるなど、それぞれにおいて枠組みや解釈が変わっている。
フィリオクェ
ラテン語で「また子より」を意味する語。キリスト教の信仰告白をあらわす「信条」の一つである「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」の一節に追加された。
日本のカトリック教会で用いられる訳文の該当箇所がこちら。太字部分がフィリオクェである。
「わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また預言者をとおして語られました。」
教義上の見解の違いばかりでなく、既存の信条に語句を加えるにあたっての課程でもゴタゴタがあり、カトリックと正教会が分裂する要因の一つとなった。これを大シスマという。
正教会だけでなく、大シスマ以前に分裂した非カルケドン派、東方諸教会においてもフィリオクェは受け入れられていない。
ローマ教皇権
ローマ教皇はローマの司教であり、初代ローマ司教と伝わるペテロの後継者とされる。カトリックにおいてはそれに止まらず、他のすべての(現在別の教派となっている教会の)司教たちよりも上に立つ首位権を持つと認識する。
カトリック側はこれを聖書的な根拠を持つものと考える。
「そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」(マタイによる福音書16:19-20)
イエスがペテロに与えた特別な意義をローマの後続司教にのみ受け継がれたとするのがカトリックとすると、すべての司教がペテロの継承者であり、ローマの司教だけが首位という事は無い、とするのが正教会側の認識、という事が出来る。
聖公会やプロテスタント諸派、復古カトリック教会もローマ教皇の首位権を認めていない。
正教会や東方諸教会では東方典礼と呼ばれる典礼(キリスト教の儀式・儀礼の定式)があるが、これを用いるキリスト教徒コミュニティの中には、用いる典礼はそのままに、ローマ教皇の首位権を認め、カトリックの教義を受け入れたものがあり、「東方典礼カトリック教会」と呼ばれている。
無原罪の御宿り
イエスの母マリア(聖母マリア)の母親の名は「アンナ」という。そのアンナがマリアを身ごもった際、原罪の汚れを免れていたという教え。
9世紀頃から主張されはじめ、民間にも広まったが、長らくカトリック教会内でも肯定論と否定論の双方が存在していた。否定派には『神学大全』でも有名なトマス・アクィナスも含まれる。
教義として確定したのは1854年のことである。
聖母の被昇天
マリアが生涯のおわりに、肉体をもったまま天に挙げられたとする信仰。マリアは墓に葬られたが、そこから消失し、人々を驚かせたという。正教会側にも「生神女就寝」という対応する概念があるが、こちらは霊魂のみが天にあげられたとする。6世紀ころから語られはじめ、長らく容認下で信徒によって信じられ、1950年に正式に教理として認定された。
歴史的経緯
キリスト教会の始まりは救世主(キリスト)昇天後の信徒の組織をペテロが引きつぐ形で継続することになった、コレが今日のキリスト教会である。いろいろ語弊はあるがカトリックはペテロ(初代教皇(ポープ))の直系組織であることに拘りを持つ。
その後もキリスト教徒の神への唯一信仰への他宗教への影響からローマ共和国(ローマ帝国)のローマ帝ネロ(37-68)に代表される虐殺的な迫害を頂点としてその後のローマ共和国(ローマ帝国)政府や市民による迫害が続きローマ帝ディオクレティアヌスの時代に頂点を向かいた。
その後、元首ディオクレアヌスに並ぶ強力な最高指導者ローマ帝コンスタンティヌス(272-337)の治世においてキリスト教が公認された。その後共和国(帝国)内ではかつてのローマ神話・ギリシア神話信仰から比較的自然※にキリスト教に移行していったとされ、最高指導者ローマ帝テオドシウス(347-395)がキリスト教を公式にローマの唯一の国教とした勅令を出し。これ以降ヨーロッパ文明はキリスト教世界となった。
そしてカトリック教会は(当時はまだ正教会(ローマ東方のキリスト教)とも決裂していなかったので)ローマ帝テオドシウスの時代にキリスト教の教会法の一つ『破門罪』においてローマ帝より優越することを示した。キリスト教徒でなければ人間でないという世界観において『世界国家ローマの支配者であってもキリスト教徒人であらず異端物』とした判断は後代のヨーロッパ中世世界においての最重要の倫理観の一つになった。結局当時のローマ帝テオドシウスは当時のキリスト教幹部(アンブロシウス)に土下座謝罪をすることで許しを得た。
これ以降ヨーロッパではキリスト教会(カトリック)とその指導者(教皇)は聖俗の権威であることが暗黙の了解となった。
ローマ共和国(西ローマ帝国)崩壊以降ヨーロッパの歴史のなかで、暗黙の了解のうちに常に支柱的思想・社会秩序の基盤となったヨーロッパ各地域の教会・それを支える修道士の組織『修道会』などが中世ヨーロッパの古産業を支え、行政的(役所)的役割まで果たした、中世ヨーロッパ世界はカトリック教義社会に裏打ちされたキリスト教封建制的社会を築いた。中世までのヨーロッパ世界の諸国の君主などは教皇による『神の正式な許可』が必要であるとしていたので絶大な権威を有していたが、一筋縄ではいかなかった。
中世ヨーロッパ世界では『教会法』が一応「ヨーロッパ市民全体」の刑罰集となっていた、これは当時の『神聖ローマ帝国』をもってしても法整備がヨーロッパ諸国で不統一であったからである。
ルネサンス社会をへて「生きたローマ文明」をカトリックは再確認し、ローマ帝国文明も一応継承したことになっている。革新教会(プロテスタント)が起こり近世王朝や市民革命を得てヨーロッパに「政教分離社会」が到来した。
19世紀後半から、20世紀前半における産業革命時には、大陸、特にフランスはカトリック、イギリスはプロテスタントが主流だった。
現代
カトリックの立場としては、宗教は社会秩序や道徳の基盤であり、基準である。が、政教分離社会においては教会からアップダウン式に政治や法制をコントロールしたり圧力をかけることはできない。
そこで信徒である市民やそこから出た議員、政治家を介して、また国家としてのバチカン市国の外交を通して社会に影響を与えようとしている。
カトリックの公式の立場においては、カトリック市民、国民とくに政治や行政関係者はカトリックの教えに反する制度を支持してはならない事になっている。
例えば、人工妊娠中絶の合法化を支持してはならない。避妊も禁忌であり、受精卵の時点で人間と見なす事から、着床を防ぐ形で避妊を成功させる経口避妊薬もダメである(「ノルレボ錠0.75mg」の医薬品製造販売承認に関する意見)。同性結婚についても、あくまで世俗の法律上のものであっても容認してはならず、シビル・ユニオン制すらアウト(バチカン教理省『同性愛者間の結び付きに法的認知を与える提案についての諸考察』)。
しかし、カトリック信徒が国民の大多数を占める国々においても中絶が合法化され、避妊についての教育や啓蒙は進み、ピルの入手もしやすく制度改革が進んでいる(代表例はかつて「教会の長女」と呼ばれたフランス)。さらに同性婚やシビル・ユニオン制が徐々に認められていっている。
そして教会関係者や信徒自身の中にも中絶容認派や同性結婚やシビル・ユニオン肯定派が増加しており、ヴァチカン側も押さえ込めない程の勢力になっている。
フランシスコは司教時代にシビル・ユニオン容認発言をし、教皇就任後、ドキュメンタリー映画内での発言ながら、カトリック史上初のシビル・ユニオン肯定派のローマ教皇となった。
またフェミニズムの影響により、女性司祭叙階を求める声も内外から上がっている。司祭は西方教会、東方教会共通で男性限定であるが、近年になって聖公会では女性司祭が既に誕生している。
「教会の危機」
ヨーロッパやアメリカ合衆国を中心に聖職者や修道者(修道士、修道女)志願者は減少し、教会に行ったりミサに参加する信徒も激減の一途をたどっている。
ラテン・アメリカ、南米圏では、教会離れ+福音派への改宗+土着信仰(パチャママ信仰やサンタ・ムエルテ信仰など)とのシンクレティズム宗教の隆盛、というトリプルパンチが炸裂している。
教会離れを加速させているのが聖職者、教会関係者による児童性的虐待や汚職、そして隠蔽である。ヴァチカンも重い腰をあげ、教皇も主導して対策と改革に乗り出しているが、カトリック教会への不信感を社会から拭い切れていない。
特に司祭は女人禁制の立場から男色小児性愛問題が兼ねてから指摘されており、児童虐待の被害者の凡そ半数ご未成年男子というデータもある。
こうした複合要因による、もはや常態化・慢性化した教会衰退をさして、ベネディクト16世達は「教会の危機」と呼んでいる。
ただし、日本を除くアジア地域とアフリカでは信徒が増加傾向にある。