概要
16世紀にカトリック教会から分裂して成立したイングランド国教会の流れをくむ教会。
カトリックとプロテスタントの中間に位置する教会とも言われる。
どうして分裂したのか
かねてよりヨーロッパにひろがるカトリックの国々ではめんどくさい状況があった。王権と教会の対立である。
土地や資産の所有権、司祭の叙任権、裁判権、これらの問題について、どちらが主導権を握るかで各国で緊張状態が生まれていた。
それはイングランドでも同じだったが、王家の人々も宗教的にはカトリック信徒であることには変わりなかった。
それが崩れだしたのはヘンリー8世の時代である。キャサリン妃との離縁を望んだ彼は当時のローマ教皇クレメンス7世に「婚姻の無効」を認めてもらいたかったが断られてしまう。
ここでの「婚姻の無効」とは、「離婚を認める」ではなく「最初から結婚自体が無効だった事を認めてもらう」という意味である。
キリスト教の開祖ナザレのイエスは離婚を認めていたユダヤ教の立場を否定し「神が結びつけたものを、人が引き離してはならない」(『マルコによる福音書』10章)と主張したため、カトリックにおいて一度結んだ結婚関係は解除できない。
そのため離縁して他人同士に戻る為には「最初から結婚は成立してなかった」という必要がある。
カトリックにおいて結婚とは「秘蹟」であり、結婚に立ち会う司祭達の最高の上司である教皇に無効認定を要請したのだが断られた形である。
権力者の結婚には政治的思惑が絡むものであり、妃の甥である神聖ローマ皇帝カール5世の意図が教皇の決定の背後にあったとも言われる。
何度もお願いを繰り返しその度に断られたが、何が何でもキャサリンと別れたかったヘンリー王は教皇の首位権は無効で、王にこそ霊的首位権があるとの主張を展開。イングランドにいた司祭たちも王に恭順した。
王は自分の意に沿う人物をカンタベリー大司教(この時点ではまだカトリックの役職)にさせ、就任したトマス・クランマーは勝手に婚姻無効を認め、王は後にエリザベス1世を生む事になるアン・ブーリンとの再婚を果たす。
これによりカトリック教会はヘンリー8世と、勝手に婚姻無効を認めたトマス・クランマーを破門した。
破門されたヘンリー8世はイングランドにおける教会のトップであることを宣言。
ローマ教皇に喧嘩を売り破門されたにもかかわらず本人は宗教的にはカトリックを自認していたが、息子エドワード6世は自前の祈祷書の編纂作業を介して自覚的な宗教改革に着手した。
エドワードの死後、王位についたキャサリンの娘メアリー1世は暴力・迫害をも駆使してイングランドをカトリックの土地に戻そうとするが失敗。
メアリーの次に王となったエリザベス1世で非カトリック路線が復活し、祈祷書から教皇への祈りを外す等、教会としての独自路線が強化されていくことになる。
どのへんが中間なのか
カトリックと同様、聖職者が存在する。司祭がおり、その上にビショップ(主教、通常カトリックのビショップは司教と訳される)、アークビショップ(大主教)が存在する。
聖公会内で行われるこうした役職の叙任を、カトリックは正式なものとは認めていない。
カトリックのミサのように聖餐の儀式において聖体も用いる。
プロテスタント同様聖書正典は全66巻とする。カトリックが「第二正典」とする外典も、礼拝上で読まれはするが教義の源泉としては採用しない。あくまで外典であり正典ではない。
トップとしてカンタベリー大主教がいるが、精神的指導者くらいの意味合いであり、ローマ教皇ほどの権限を有さない。
なお、プロテスタントであるルーテル派にもアークビショップは存在する。
近況
2015年3月現在、160カ国に合計7000万人の信者がいる。信徒の共同体は34の管区と4の自治区に分かれており、教義を共有しアングリカン・コミュニオンと呼ばれる繋がりを持ちながらもそれぞれが自治権をもって運営されている。
しかしお膝元であるイングランドでもキリスト教離れが全力で加速し、女性司祭を認めるか否か、同性結婚を認めるかによって教会内でも衝突があり、実際に分裂も発生している。
北米では同性カップルの結婚式を公式に行い、カミングアウトした同性愛者を聖職者に叙任する米国聖公会の立場を否定する人々が離反し、北米聖公会(アングリカン・チャーチ・イン・ノースアメリカ)というグループが生まれた。
女性司祭を認めない声も強く、各国の聖公会で女性司祭や女性主教が誕生するなか、聖公会を離れ、カトリック教会に移っていく信徒も現れ始めている。
関連タグ
イギリス清教(『とある魔術の禁書目録』に登場する、聖公会をモデルにした十字教の教派)