概要
女性の解放を目標とし、女性の権利が保障されるようにする考え方および社会運動。これに基づく主義者をフェミニストと称する。
「何をもって女性の解放と捉えるか」という事については様々な考え方があり、フェミニズムを一本の思想だと考える事はできない。特によく見られるのが「女性は男性と変わらない能力を持つので男性に庇護されるものではなく、男性と同じ権利を持つべきである」と「女性は肉体的には男性よりも弱く、性犯罪にも遭いやすいので、女性は男性よりも法で保護されてやっと平等である」という真逆の思想をフェミニズムとひとくくりにすることである。原義的には前者がフェミニズムであり、後者はまさにフェミニズムが解体しようとしてきた家父長思想の根源そのものであるが、後者の方が表面的には優しいためか後者を掲げつつフェミニストを称する者も多い。昔の日本では、「女性に対して優しい男性」をフェミニストと呼ぶ事もあったが、近年ではホモソーシャル、セクシャルハラスメントなどが問題視され、それに当て嵌まらない人(女性好きではないが、女性に嫌がらせもしない一般的な人)をいちいちフェミニストとは呼ばなくなってきている。
漫画・アニメ・ゲーム等世間から「おたく」と分類される表現について規制必要論を唱える人が多い。
フェミニズムには規制論を唱えない立場もあるのだが、規制の必要性を問い、創作者やファンに苛烈な言葉を投げかける人々もまたフェミニズムである(WSPUのように教会に爆弾を投げ込んだガチの過激派もまた、それによって「フェミニズムではない」とは呼ばれていない)。その源流であるラディカル・フェミニズムはフェミニズム全体からみてけして傍流ではない。婦人参政権を説くフェミニストが美術館の絵画を切り裂いた事例も存在する。他のフェミニストが逮捕された事への抗議ではあったが、後年に「(そこの美術館を訪れた)男達が長い間そのヴィーナス像にみとれているのが気にくわなかった」と付け加えている。この事件は1914年の事であるが、この頃すでに「絵でも問題」「(男性が表現する)女性の露出表現が問題」「それを喜ぶのが問題」というネット上でも散見される立場が存在するという事である。
フェミニズムの展開
女性の参政権など、現代では当たり前とされる事柄もかつてはそうではなかった。18世紀のフランスでは革命の末、人間の平等を説く「人間と市民の権利の宣言」がなされたが、ここで記される権利は女性を対象としておらず、これらを女性にも認められるべき、とする社会運動が起こった。これが現代にまで連なるフェミニズムの起源とされる。
1848年のアメリカ、ニューヨーク州において女性の諸権利獲得のための「セネカ・フォールズ会議」が開かれ、これが女性参政権を手にするための運動の起点となった。しかし20世紀に入っても被選挙権が認められない等、アメリカにおいても全州において認められるまでには長い年月を要した。
法律上は諸権利が徐々に認められつつも、国民、市民全体の意識は古い時代の規範の影響下にあり、女性は「主婦になるべき」「子を産んで育てるのが当然」「仕事に就いても上に立つのは男性」といった思考に対して異議申し立てをする運動も続けられた。1960年代のウーマン・リブ活動は広くこの思想を世間に広めることになる。
フェミニズムの表明は文学・文芸作品を介しても行われ、マーガレット・アトウッド著『侍女の物語』において作中の男尊女卑体制によって「子を産む存在」として定義された「侍女」の服装が中絶支持運動の現場で纏われるシンボルとなる例もある。
バーバラ・ウォーカーの『神話・伝承事典 失われた女神たちの復権(The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets)』に記された異説を採用している「女神転生シリーズ」等のように、テーマとしてフェミニズムを掲げていなくても、フェミニストの著述から影響を受けている作品も存在する。
フェミニズムの性質
フェミニズムは「男女の役割や地位の違い」が当たり前の時代に起こり、修正してきたという出自により、同時代の既存の規範・思想に対して異議申し立てし、訂正を迫る、という傾向を持つ。
これによりセクハラという概念すら無かった時代に、女性の心身の安全を確保し、結果的に(加害者の殆どを占める)男性側にも罪、犯罪ではある、という認識を持たせることに成功している。
宗教との関わり
女性の尊重、という要素は既存の宗教もある程度持っており(男性優位の時代に生まれた諸宗教も強姦を禁じる戒律を持つ)、女性の聖人、聖者も存在していたが、全くの平等ではなく、フェミニズムの影響を受けた現代的観点からすれば問題視される部分もある。
キリスト教
上記の「セネカ・フォールズ会議」に参加したフェミニストの一人エリザベス・キャディ・スタントンは旧約聖書のトーラー(モーセ五書)に対して「これほど徹底して女性の服従を説き,女性を卑しめている本をほかに知らない(I know of no other books that so fully teach the subjection and degradation of woman)」と痛烈に非難している。
しかし彼女は同時にそのトーラー含む旧約、新約聖書を改訂し、再解釈する『女性の聖書(THE WOMAN'S BIBLE)』を同士たちと発表している。
聖書を作り直すようなこの著述に対しては同時代の他のフェミニストからはフェミニズム運動の妨げになると批判もされた。
また、近年韓国では過激派フェミニズムコミュニティ「ウォマド」によるキリスト教への攻撃が相次いでいる。2018年7月10日に聖体冒涜・棄損事件を起こしたことを始め、5回に渡り聖体棄損行為を行った。同年7月11日に聖書焼却パフォーマンス、7月15日に釜山の教会への爆破予告、8月17日蚕室大聖堂の男子トイレの盗撮を引き起こした。
上記の聖体冒涜・棄損事件においてウォマドに聖体にキリストを否定する言葉を赤いペンに書き燃やす写真をアップした人物はその動機として「女性が司祭にもなれず、堕胎罪廃止は絶対にダメだというカトリックを尊重する理由はない」と述べている。
聖地での事件も存在し、ウクライナのグループ「FEMEN」はヴァチカン市国でたびたび過激な行動に出ている。2013年には「イエスは中絶された」等の言葉をトップレスにした上半身に書いて突入しようとし、2017年にはイエスの誕生を再現した置物のセットから幼子イエス像を持ち出そうとして警察に取り押さえられている。こちらも中絶の権利の必要性を問うという論旨となっている。
アイルランドとアルゼンチンにおいて主流のカトリック教会は女性司祭に反対しているが、それに対しても抗議がある。司祭を男性のみに限る点は東方正教会や非カルケドン派においても同様であるが、フェミニズム運動の勃興以後、聖公会では女性司祭が実現されていき、プロテスタント諸派においても初期には居なかった女性の教役者が誕生している。
フェミニズムの背景を持つ「フェミニズム神学」は現代キリスト教神学における一大潮流となっている。
フェミニズム神学は担い手たちはスタントンらと異なり、聖書を改訂したりまではしない。ただ、一般的な古典や歴史書のように相対化し、現代的な価値観と合わない部分は支持しないという立場をとる。フェミニズムが発展していた間、聖書を批判的に研究する聖書学も発達しており、キリスト教社会においても「一字一句、神の言葉」という人々は限られる。
聖書の神を信じつつ、聖書の男女平等に反する箇所について「歴史的状況に縛られた人々の過ち」と解して退けることは今や不可能ではない。
仏教
上座部仏教では比丘尼のサンガがいったん途絶しており、比丘尼を新たに任命できるのは同じ比丘尼だけであるため、途絶以降は新たに比丘尼になることはできない。僧侶としての資格を持たない修行者(メーンチー)といった形でなら修行は可能であるが、それだけでよしとはせず、スリランカやインドで復興された比丘尼サンガで受戒する女性もいる。タイにも僅かに女性への授戒を行う所があるが、タイ政府や上座部仏教界はこれを公認してはいない。1980年代から見られるようになったテーラワーダ仏教圏における比丘尼サンガ復興運動の背景には欧米を中心とするフェミニストや宗教学者のはたらきも寄与していたとされる。
大乗仏教においても、「女性は仏になれない」「女性が成仏するなら男性になる必要がある(変成男子)」(ただしチベット仏教では「比喩ではなく女性がブッダとなった尊格」であるチッタマニターラが説かれている)「女性は親、夫、子に従うべきだとする(三従)」等の教えについて、問題視する立場が存在する。2018年には浄土真宗東本願寺での人権週間に合わせた展示において、これについて問いかけるパネルをフェミニストの仏教研究者が監修したところ、宗門側の意向で展示しないことになり、研究者がそれに抗議する事態になっている。
修験道の聖地である大峰山(奈良県南部)には女性の立ち入りを禁じる女人禁制の伝統があるが、これを取りやめさせようとする運動が存在する。2005年には「大峰山に登ろう実行委員会」というグループが地元住民との対峙している際、そこから抜け出した3人が独自に登山強行する事件が起こった。グループには性別移行したトランス女性も居り、この場でされた問いかけには「性別違和」を認識しているかやどう対応するか、という他宗教においても向けられている内容が含まれている。
その他の宗教
新異教主義(ネオ・ペイガニズム)においてもダイアニック・ウイッカのようにフェミニズムの背景を持つ信仰が存在する。
中絶をめぐる戦い
既存の保守的価値観、伝統宗教とは中絶、避妊の扱いについても衝突する。フェミニズムにも中絶否定派はあるが主流ではない。
妊娠はひとたび起これば否応なく女性の人生設計に影響してしまう(例えばオフィスや工場等で働いている場合、産休というブランクが生じてしまう)、望まぬ妊娠となるとなおさらであり、性犯罪による妊娠なら言うまでもない。こうした事態の回避、そして最後の手段としての中絶は、女性の自己決定権として多くのフェミニストによって求められた。
1948年に認められた日本と異なり、2018年において、アイルランドのように認められた、逆に法案として提出されたが否決されたアルゼンチンのような国々があり、意味でも現在進行形である。
性的少数者との協力
かつては女性の人権回復のために性差別を研究し、その結果として女性の中でも様々に強者弱者の属性があり差別は複雑に交差しているという発見から(交差性フェミニズム)、LGBT(同性愛者・両性愛者・トランスジェンダー)の人権を擁護するクィア思想の担い手たちと協力する局面が多かった。例えば、上記の宗教におけるフェミニズムを採用した立場の教会では、伝統的立場では否定される同性結婚が肯定されることがほとんどである。
ところが近年ではフェミニストによる性的少数者への迫害の事例が多発しており、特にトランスジェンダーへの迫害を掲げる者はTERFと呼ばれ深刻な人権問題を引き起こしている。
韓国では過激派フェミニズムコミュニティ「メガリア」において2015年11月27日にフェミニズムと性的少数派の運動分離の要求が出されたことをきっかけに、12月2日にレズビアンを自称する利用者が男性同性愛者へのヘイトスピーチを書き込み、少なくない利用者がこれに賛同したという事態をおこした。これによりメガリアやそのユーザーは激しい非難を浴びたが、これに対し強硬派がゲイアプリケーションから情報を抜き取り公表しようとし運営によって阻止される事件が発生。これを不服とした支持派は「フェミナチ」を自称し、メガリアを分裂させてウォマドを結成した。
2016年11月にはこのウォマドがクロスドレッサーやトランス女性の写真などを無断で晒す事件が発生した。
日本でもお茶の水女子大のトランスジェンダー女性受け入れ表明頃から、ウォマドへの同調を表明しているツイッターレディースによるトランスジェンダーへの差別言説やヘイトスピーチによる迫害が執拗に繰り返され、被害を受けた当事者からは自殺者や自殺未遂が出るなど深刻な人権侵害を引き起こしている。
性的表現に対するスタンス
フェミニズムにおいて、保守的価値観と同様に悪影響の原因として、ポルノグラフィー、性的表現がある。後者については胸や性器が隠されていても体の線が現れすぎていると認識された場合も「性的消費」として問題視されることがある。
主張される悪影響については男性に対しては「女性の人格を無視してただ性欲の道具とする」女性に対しては「それを受け入れさせる」のような形で説明されることが多い。
(所謂「(異性愛)男性向け」「萌え」とされるものが対象となることが殆どであり、批判対象として性教育、性生活などの啓蒙のための裸身の描写は含まれない。「異性愛者男性向けの萌え」の系列にない場合、R-18であってもBLは容認されることも多い)
ラディカル・フェミニズムにおいては、ポルノの撲滅のため、同じくポルノ否定派の宗教系、保守系、右派の勢力ともその局面においては共闘したアンドレア・ドウォーキンのケースがある。
現状
フェミニズムをもととした女性の参政権、男女平等思想の広がりなど、かねてより言われていた男女格差や男尊女卑の考え方の撤廃については概ね受け入れられ、現代にある程度浸透しているともいえる。
…が、反面でフェミニズムに対する偏見が新たに生まれてしまった部分もある。
確かに上述の通り、女性の解放をもとにセクハラや痴漢といったものが犯罪として問題視されるなど功績も大きい。
その一方で痴漢冤罪が社会問題として取り上げられ、被害者側の言い分が「女性だから」と無条件で信用される実態が知られると同時に、「男性だからと差別されることがあるのに、なぜ女性だけが?」と、『男女平等』と名ばかりに女性ばかりが被害者のように扱われる現状を疑問視する声が挙がり始める。
事実、DV被害についても女性の訴えはたいてい通るものの男性からの訴えは殆どが棄却されるなど、未だ「性犯罪の被害者は女性であり、加害者は男性である」という意識は拭い切れていない。
本格的にフェミニズムへの反発が生まれてしまったのは、インターネットの発達…それも、過激な意見ばかりが目立つ仕組みの匿名掲示板やTwitterの普及によるところが大きいと言える。
特にTwitterは公的機関も宣伝用に使うなど利用者も多く、それに伴い過激なフェミニズムを主張するメガリア(韓国)ツイッターレディース(日本)等が存在感を増し、他のクラスタと衝突する事例も見られるようになる。
こうした事例から反対派からはネット弁慶、ネトウヨなどと共に問題視され、「フェミニストは男性差別主義者、規制論者」「男女平等=女尊男卑」など、過激なフェミニストが大義名分とする「男女平等」と混同され、偏見を受けている。
果ては男性差別主義者、オタク差別をする悪女という意味で「フェミ」と呼ぶ流れが生まれたり、過激な或いは差別的なフェミニズムに嫌気がさして当の女性からも反フェミニズムの声が出始めるなど、自分達が差別できる側になりたいと言わんばかりのフェミニストばかりが目立っているのが実情である。
関連タグ
ツイフェミ:フェミニストの過激派であり、フェミニストのイメージを悪化させる要因の1つ。