概要
神道とは、日本の伝統的な宗教である。日本古代から続く自然信仰・民俗信仰を発祥とする宗教であると神道国際学会では定義されている。宗教学上は多神教、民族宗教に分類される。
世界的に見られる自然信仰・民俗信仰が日本において神道を特徴づける形式を有するようになり、やがて民族宗教として発展し、現在に至る。
※元々は名称が存在せず、仏教が伝来して以降、区別するために「神の道」などと呼ばれていた。古語では「かんながらのみち」。
神道と仏教を信仰している人を合計すると2億人に達すると言われる。
本来、教祖・教義を持たないが神社神道から派生した教派神道には教義があり、宗派が存在する。
古来からあるアニミズムがベースとなっているが仏教伝来により興った神仏習合によって仏教と結びつき、平安時代以降は密教や陰陽道の要素を取り込んで現世利益を追求する面が強くなった。さらに江戸時代からは儒教の影響、明治時代の国家神道、戦後の神道指令などを経て何度か再編されており、古代の信仰と必ずしも同一ではない。
なお、室町時代ごろまでは、現在で言う「日本神道」の神々のみならず、仏教の諸天善神や陰陽道などの神々も含めた「人々の信仰の対象ではあるが仏教からすると仏や菩薩ではない輪廻や煩悩に囚われた存在」の意味で使われる事も有った。
ただし、この場合は「じんどう」と読んでいたとされる。
また、神道が現代のような意味で使われるようになったのは後述する吉田神道の成立以降と思われる。
特徴
- 1つの教団ではない
キリスト教や仏教の宗派のような一つの大きな団体、統一された階級制度があるわけではなく、それぞれの神社が異なる伝承、祭祀を受け継いでいる。
ただし、現在は8万余の神社のうち7万9千社以上が加盟する神社本庁という一大派閥が存在する。しかしこれは明治維新後に発足したものであり、本来の神社は全て氏子と氏神、地元の人たちだけのコミュニティだった。
- 明文化された経典・聖典がない
有名な古事記や日本書紀は神道の経典ではないが、神典として広く尊重される。
神典とは儒教的、仏教的ではない平安時代以前に書かれた神々に関する文献の中から神道の正統な信仰の規範となる文献の一群である。
しかし神典と関係なく基本的に各地の神社に独自の伝承、祭祀が残っており絶対とされる教義は存在しない。
- 信仰の対象が極めて多岐にわたる
太陽神や夜の神などに始まり、海、川、山、星などの自然神、その土地土着の土地神、祖先神(氏神)、動物、樹木、巨石、道具などありとあらゆるものを信仰するといっても過言ではない。また中国やインドなど外来の神も在来神と習合する形で取り入れられている。さらに人物神は、偉人や権力者だけでなく、罪人や反逆者をも神として祀るのが特徴的である。(これは怨霊信仰にも関連するとされる)
基本的に善神・悪神の区別がないのは、どの神も荒々しい部分と和やかな部分を併せ持つと考えた。このため禍津神とされる災害をもたらす神も正しく祀れば災いを遠ざけると信じられ、逆に怒らせればどの神でも災いを起こすと考えた。
- 神職は修行を必要としない
神職は己を高めるための修行というものは存在しない。
神職として奉職するには当然ながら祭祀の作法を学ぶ必要はあるが、修業とは性質が異なる。巫女の多くは単なるアルバイトであり、修行している訳ではない。
ただし巫女や神主を一定の期間を過ぎたら免職する、同じ人物を2度雇用しない、年齢制限を設けるという神社も一部に存在する。これは常若、穢れの考えから常に新しい神主を迎えるという考え方で諏訪神社の1年神主などが知られる。また一部の神職は社家、世襲制身分である。こちらは伊勢神宮の藤波家、出雲大社の千家家や天皇家などが分かり易い例として挙げられる。しかし密教と融合した橘家神道などは修行を行っていた。
- 神道葬
死を穢れとする神道に元来、故人を悼んで大勢が集まる葬儀という考えはなく死は秘するものとされた。しかし神道式の葬儀として神葬祭が存在する。これは記紀神話に現れる「天若日子の葬儀」を起源とする意見があるものの、仏教の影響と見る向きが強い。
詳しくは当記事を参照。
宗派
元来、教祖や決まった教義を持たず、1つの団体でもなく、それぞれの神社が異なる伝承を伝えている神道だが歴史上、神道を体系化した人物、集団が出現した。
明治期に多くの流派が国家神道体制の妨げと決めつけられ弾圧を受けた。
祭り型・教え型
神道は大別して、この2つに分かれる。つまり祭祀・儀礼を中心とする神道と哲学や思想を研究する神道である。
このどちらにも含まれない陰陽道、密教と融合した神道も存在する。
古神道
江戸時代に起こった復古神道や明治政府の主導ではない、各神社の独自の祭祀のこと。
原始神道、純粋神道とも名乗っている。
なお、ミもフタもない事だが、古神道を自称している宗派の多くは江戸末期以降に出来た新興宗教の場合が多い。
皇室神道
宮中祭祀。他の神社と同じく、皇居という神社で天皇という神主が行っている独自の神道と考えて貰えば良い。
明治政府による再編などを経ているものの、歴代天皇が引き継いで来た古神道のひとつ。
古代の朝廷には神祇官という部署があり、天皇の祭祀を補佐する役人がいた。これは君主が神官を兼ねる祭政一致の日本独自の官職だった。
皇室と神道は歴史的に密接な関わりを持ち、ここから天皇は神道全体の祭主にあたる存在とされることもあり、宮中祭祀は天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的に行われている。信仰の対象としても、歴代の天皇とその祖先神が祀られている。
伯家神道
白川神道とも呼ばれ、神祇伯の役職を世襲する白川家が伝承した神道流派。なお、白川家の当主は江戸末期まで皇族として扱われ「王」号(親王より1ランク下)を許されていた為「白川王家」「白川伯王家」とも呼ばれる(白川家の始祖は花山天皇の孫・延信(のぶざね)王)。室町時代後半から徐々に吉田神道に勢力を奪われ、後述の復古神道と連携して勢力奪回を目指した。その中で禊教や金光教に神道資格を与えた。明治以降は皇室神道・復古神道と組んで国家神道体制を支えた。敗戦後は神社本庁に関与したものの、家系が断絶し正統流派は断絶した。現在は禊教やすめら教がその流れを汲むといえる。
伊勢神道
神道の神を絶対とし、仏教の仏を神の化身、隷属物と見做した神道。
仏教伝来後に成立したとされ、最古の神道理論とされる。
これに影響されたのが北畠親房が著した『神皇正統記』による皇国史観である。戦前の帝国政府によって重視された。
ただし、歴史が長い分、時代に応じて様々な変化・進化をしており、神仏習合の影響が大きかった時代のものも、後述する儒家神道の影響を受けたものも「伊勢神道」と同じ名前で呼ばれているので注意が必要。(「伊勢神道」という名前を使う際は「いつの時代の『伊勢神道』か?」を明確化する必要が有る)
山王神道
仏教天台宗の比叡山によって体系された神道。
神道でも信仰の対象だった比叡山の山岳信仰と最澄が中国で学んだ道教・密教が結びついたもので江戸時代に天海僧正にも採用され、家康を東照大権現として祀ることになった。明治政府により撲滅される。
両部神道
仏教真言宗で生まれた神道で天照を大日如来に置き換えた神道理論。
修験道と結びつき、平安以降に強力な民間信仰となった。後に御流神道、三輪神道、雲伝神道など多くの流派が分かれた。明治時代の廃仏毀釈で大打撃を受けた。現在では仏教側にわずかに残るほか、御嶽教など修験道の系譜をもっていた神道組織にも一部引き継がれている。
法華神道
元々は山王神道の影響で日蓮宗系に広がった、法華経の開会の思想に基づき三十番神を始め日本の神を祀った神道。廃仏毀釈により打撃を受けた。教派神道として生き残りをかけた派生グループ「蓮門教」は医学を否定する教義を掲げた為邪教と批判を浴び蓮門教は1964年に壊滅した。また、同様の方向で生き残りをかけたグループとしては他に1924年に設立された「大星教会」や1935年に設立された「八大龍王大自然愛信教団」があり、こちらは現在も存続している。一方国家神道への接近を掲げた派生グループ「国柱会」は建前上は仏教団体「本化妙宗」としてふるまったため現在も存続している。同様の例としてはこのほかに霊友会やその派生教団がある。
儒家神道
主に江戸時代に起きた宗派・流派で、儒学によって神道を理論付けようとしたもの。
いくつかの派閥・流派が有るが、廃仏色が強いものが多いのが特徴。
下記の天社神道に影響を与えた垂加神道も儒家神道の一派で、儒教的には「朱子学原理主義」というべき性格が強い。
天社神道
江戸時代に、長い乱世で打撃を受けた陰陽道の再組織化が進む中で垂加神道を陰陽道に取り入れる形で1680年代に成立。1870年の陰陽寮廃止と太政官布告745号天社神道禁止令によって非合法化され大打撃を受けた。1928年に陰陽寮復活を求める元陰陽師や易者によって「大日本陰陽会」が、1942年に天社神道復活を請願していた社寺によって「土御門神道同門会」が結成され、敗戦後GHQが信仰の自由を妨げるとして天社神道禁止令を破棄させたことで1946年に「天社土御門神道本庁」として再建された。
なお、余談だが、天社神道成立以後は、土御門家から陰陽師の免許を与えられた者は神道で忌み嫌われる「死の穢れ」に関わる可能性が有る呪術・修法(例えば口寄せなど)は禁忌となり、使った事が土御門家にバレた場合は、陰陽師の免許を取り上げられる事となった。
吉田神道
吉田兼倶が興した神道の宗派。唯一神道を号した。「伊勢神宮から天照が吉田神社に移った」と主張し、伊勢神道や南朝と敵対し、足利政権と共に神道界の権勢を極めた。しかし明治政府によって北朝が朝敵とされると逆賊の思想として撲滅された。
上記の伯家神道とは言わば「神道の家元」の座を巡りライバル関係に有り、室町時代に一応の勝利をおさめるが、江戸時代に今で言う文献考証や史料批判が発達し、また吉田家の跡目がゴタゴタした事などから巻き返された時期も有った。
また、吉田神道関連の文書には「兼好法師は卜部氏吉田家の分家の出」「日蓮は吉田兼倶より教えを受けた」など自宗派を権威付ける為の(今からすると明らかな)偽史・トンデモ文書が多い。
ただし、江戸時代まで「神道の家元」的な扱いを受け、全国の神職が吉田家で神道の儀礼を学んでいた、各地の神社の祭神の特定や由来の保証を吉田神道が行なっていた、など現代の神道にも吉田神道の大きな影響が残っている可能性が高い。
烏伝神道
上賀茂神社の賀茂規清によって提唱された。江戸に瑞烏園と言う教習所を開くものの幕府を批判した事で弾圧を受け、八丈島に流罪となりそこで死去した。直系の組織である神習教八葉教会は既に解散しており、現在では教祖同士で交流がありしばしば学説の共有を行っていた禊教が傍系として存続している。
復古神道
平田篤胤、本居宣長などの国学者が江戸後期に興した。もともとは古い日本人の文化を見つめ直す運動で蘭学、仏教などの海外からもたらされた文化に対し、日本独自の精神性を求め、古事記を研究して古代人の大和心を見出した。また一部知識人に留まらず、広く庶民にも浸透したことで神仏分離、尊王攘夷思想など維新志士の思想形成に繋がった。
国家神道
後述。
神道十三派
明治政府の祭政一致(神道国教化)により発足した14の団体で、後にひとつが脱退した。
明確な開祖が定められ、独自の宗教的な色合いが強い新興宗教。
伊勢派
神社本庁派。伊勢神宮を頂点とし、全国の神社8万社のうち7万社以上が属する神道界の最大会派。
神職養成所、皇學館大学を擁し、神職の資格を出しているがれっきとした民間団体である。
天照大御神を最高神とする。また神道政治連盟の母体でもある。
一時期は国家神道と、教派神道としての神宮派(神宮教)が伊勢派の団体として混在したが後に教派神道を離脱し神宮奉斎会に改組。戦後の神道指令による国家神道解体に対して神宮奉斎会を改組し神社本庁となり現在に至る。
出雲派
出雲大社を頂点とする出雲大社教を号する宗教団体。
神職養成所、國學院大學を擁し、本庁派とは異なる神職の資格を発行している。
平田篤胤の平田神学の影響を受け、大国主命を最高神とする。
かつての教派神道としての名称は神道大社派で千家家主導で1882年に成立。但しすべてが大社派に属したわけではなく、北島家を支持したグループは神道事務局(後に教派神道としての神道大教に改称)に残留した。このグループは戦後神道大教と教派神道から離脱し出雲教として独立して現在に至る。
天理派
→天理教。元々記紀神話とは相計れない教義であったため、1970年に教派神道を脱退し現在は諸派扱い。
御嶽派
→御嶽教
実行派・扶桑派
それぞれ現在の実行教・扶桑教のこと。詳細は富士講を参照の事。
修成派
儒教色の強い教派、いざなぎ流も天社神道禁止令の影響でこちらに移籍した派閥があった。
大成派
事実上小規模な派閥の連合体だった。1976年教派神道連合会脱退。
禊派
禊教の事。伯家神道から派生した教団だが江戸時代は長らく弾圧を受け細かいグループで地下活動を行っていた。このため明治時代に合法化されたものの現在に至るまでしばしば内部対立が起きた。
金光派
金光教のこと。生神金光大神にかつては祟り神と恐れられた金神は恐ろしい神ではなく、信仰する者に恵みを与え、長らく信仰するものを待っていたとの天啓が下り、伯家神道や天社神道の人脈を使い教団を整えて開教。天社神道禁止令直後、土御門家側の救済措置が遅れた為多くの元陰陽師の避難所となった。天地金乃神を信仰している。
大本
唯一戦後に教派神道となった教派。金光教と同じく金神信仰の教団であるが、金神の正体がクニノトコタチであり、封印された国祖国常立尊が再起し世直しするとする教義を持つ。このため同じ金神信仰である金光教と一度合同するも、金神を氏子を慈愛する神である天地金乃神とする金光教とそりが合わず結局分裂し、さらにはその教義が国家神道体制に相計れないとして弾圧を受けた。戦後合法化され1956年に教派神道連盟に加盟を果たす。
記紀神話
古事記・日本書紀に記載されている日本神話をまとめて、記紀神話と呼ぶ。
広く日本神話として知られているのは、この記紀神話の物語だが、厳密には神道には唯一の神話があるわけではなく、地域によってそれぞれ異なる伝承や祭祀が伝えられていた。記紀神話は代表的な日本神話ではあるものの、飛鳥時代に天武天皇の命令でまとめた神話のひとつに過ぎなかった。
国家神道と神社神道
国家神道とは祭政一致により明治政府が主導し、再編した神道で、神社神道は各地の神社の独自の伝承や祭祀を指す。
明治維新に神道が大きな役割を果たしたこともあり、明治政府では当初、神道を国教化しようとする動きも活発であった。だがまもなく、アニミズム的信仰である神道で近代国家を統合することは不可能と認識されることになる。
結局、政府は帝国憲法で信仰の自由を認め、「神道は宗教ではない」と位置づけ、神社を国家機関の末端として再編を計って、これはのちに国家神道といわれるようになった。
だがこれは神道の信仰としての側面を抑圧し、国民を地域固有の祭祀の伝統から切り離すものだった。明治期に政府が神道を統制するために行われた神社合祀などの政策は、神道に取り返しの付かない傷跡を残した。
神社神道は、戦後の神道指令でようやく政府の統制から解放され、法律上は自由な活動ができるようになったが、旧神祗庁の関係者が中心となって全国の神社を統括する神社本庁が作られ、政府(文部科学省)との関係が強い宗教法人として全国の神社の多く(被包括神社)を統括している。
こうして国家神道の枠組みは形を変えて今なお継続している。
伊勢神宮を本宗と仰ぐ神社本庁は中央集権の色合いが強く、各地域固有の伝統を軽視する国家神道的な神道観を持っている。被包括の神社に対し鎮守の森を伐採し売却することを迫ったり、宮司の人事に口を出すなど、しばしば裁判沙汰にもなっている。
琉球神道
琉球の神話を元に、琉球王国の版図、すなわち奄美群島から沖縄諸島、先島諸島において見られたアニミズム・土着的信仰要素を含む、琉球地域で信仰されてきた神道。
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穢れ(けがれ) 祭り/祭祀 祝詞 神楽/神楽舞 巫女舞 御神木