中国古代の思想から派生し、朝廷の公的な学問として独自に発展した日本固有の呪術・学問の体系である。公的な制度としての陰陽道は明治5年に廃止された。神道化して残ったところもある。
概要
発祥は仏教と道教が伝来した5〜6世紀の飛鳥時代とされる。中国の陰陽五行説の概念を軸に、陰陽説と密接な関係にある天文学・暦学・易学などの自然哲学を付随させ、さらに神道・仏教・修験道・禁呪道に影響を受けたことで日本独自の思想・呪術体系として発展していった。それを専門とする者達を陰陽師と呼んだ。
主に自然界の変化を分析し、それが人間界に及ぼす影響を予測する事を主題とする。
また災厄を避けるために神仏に通じていった事から、徐々に宗教的な要素も加わっていき、祭祀を管理・運営する技能も付加されていった。また仏教や神道が本来担っている『厄除け』の役割も任されていき、悪霊祓いや御霊奉神といった心霊対策も守備範囲に入っていく。
当初は漢文の読解に慣れた僧侶がその役割を担っていたが、奈良時代になって律令制が確立されて以降は専門の役所として陰陽寮が設置され、国家的制度として発展を遂げていく。しかし、中東や西洋のように科学に発展するには至らず、それ以上の展開をみなかった。
近代天文学導入に伴い、明治6年改暦(それまでの太陰太陽暦から太陽暦・グレゴリオ暦への切り替え)と神宮暦専売制の施行とともに陰陽道宗家であった土御門家は陰陽寮の後身である星学局を解任され、家業として続いていた陰陽道(およびそれを神道化した天社神道)も天社神道禁止令(敗戦時に事実上失効)により大打撃を受けた。家業を失った土御門家では、戦前期に「大日本陰陽会(現:日本易学連合会)総裁」などを当主が務めたものの、戦後以降天社神道に関する様々な宗教的な活動を土御門神道同門会(後の天社土御門神道本庁やそれを支える寺社)に移譲し手を引いた。
分野
星占術
天文学を用いて星の運行を観測してその並びや輝きの強さから災厄・瑞祥を予想する。また、暦の観測もこの分野に属する。
家地相学
陰陽五行説から地形を読み解き、その場所の吉兆を占う。風水とは似て非なる占術。都の建設など、土地に深くかかわることから陰陽道の主要分野ともなっている。
祭祀・祈祷
神霊を祀り、悪霊や魑魅魍魎を退ける。神道・仏教からの影響から生まれた分野であり、そのため祝詞と真言を状況に合わせて使い分けるという奇妙な所作も存在する。ご利益がありそうなものはまず信望してみるという、神仏習合の観念が非常に色濃く出た思想でもある。
なお、八坂神社など祀られているのが本来は陰陽道系の神だった神社も有り、陰陽道が神道・仏教から一方的に影響を受けていただけでなく、陰陽道から神道・仏教への逆影響も有った可能性も否定出来ない。
また、平安時代においては朝廷の陰陽寮に所属していた正式な陰陽師は、当時の貴族の正装で御幣を使用し「大祓」「中臣祓」などの神道の祭文を読む場合も多く、服装や行なっている事だけを見れば現代人のイメージする神主に近い点も有った。対して、陰陽寮に所属していない俗流の陰陽師は僧形の場合が多かったとされる(当時は貴族出身でない知識人は僧形となるのが通例だった)。