概要
マントラとはヴェーダ聖典で説かれる「真実の言葉」であり、絶大なる霊威のあるものとされた。
その歴史は極めて古く、インド・イラン共通時代にまで遡ることができると考えられる。インド・イランの宗教の、イラン残留組から生まれたゾロアスター教においても、「マンスラ」という対応する用語・概念があり、信徒によって唱えられている。
仏教における真言(マントラ)
歴史上のゴータマ・シッダールタはバラモンたちの儀礼・祭司であるホーマ(護摩)を禁じ、いわゆる「呪(しゅ)」についても毒蛇など災いを除けるための「パリッタ」のみを認めていた。
しかし大乗仏教が生まれると、釈迦如来の教えとして仮託された上で、ヒンドゥー教的な呪文が取り込まれた。
般若心経のような顕教経典にも含まれ、時代が下って生まれた密教経典、タントラでは、説法の教主として大日如来などの法身仏も加わり、本家ヒンドゥー顔負けの多種多様な真言が説かれ、それを含む精緻な教義体系、修行・儀式のマニュアルが整備されていった。
比較的長いもののことは陀羅尼(ダーラニー)といい、併せて「真言陀羅尼」とも称する。
日本に伝わった真言は例外なく日本語発音化されている。
光明真言
真言密教で唱えられるものは「光明真言」と呼ばれる。
おん あぼきゃ べいろしゃのう
(オーム(聖音) 不空なる御方よ 毘盧遮那仏よ)
まかぼだら まに はんどま
(偉大なる印を有する御方よ 宝珠よ 蓮華よ)
じんばら ばらはりたや うん
(光明を 放ちたまえ フーン(聖音))
密教ではその神秘性を保つために梵字(サンスクリット語を表す文字)や陀羅尼を翻訳せずに、そのまま梵音を読誦するのが通例である。日本では、平安時代から光明真言法による加持が行われてきた。
真言を唱える資格
密教経典にある真言・陀羅尼については、実は本来、原則的には誰でも唱えていいものではない。
師僧によって認められ灌頂という儀礼を受けている必要がある。
しかもそれぞれの真言や密教の奥義的要素について設けられており、一回だけ灌頂を受ければすべての真言を唱えられるわけではない。
灌頂だけでなく、仏教の戒律を受ける受戒も必要であり、密教独自の真言についてのルールもこの戒律において網羅されている。
在俗信者はもちろん、出家信者(仏僧)も例外ではない。
適切に灌頂を受けない状態で真言を唱えると、功徳は損なわれる。灌頂を受けていない者に真言を教え唱えさせた師僧は重大な戒律を破った事になり、大きな悪業が生じることになる、と説かれる。
悪業を受けるだけでなく、事実が判明すれば僧侶の資格を剥奪され、二年間は宗教活動ができなくなるというペナルティを課される事になる。こうなると再び僧侶になることもできない。
大日如来や金剛薩埵、明王たちのような密教経典にだけ登場する尊格だけでなく、観世音菩薩や阿弥陀如来、帝釈天のような顕教経典にも登場する神仏の真言も、密教で説かれた物なら同じルールが適用される。
これは真言陀羅尼だけでなく、密教の修行法や指で結ぶ印(ムドラー)についても言える話である。
例外的ケース
チベット仏教の信徒が日常的に唱える観音菩薩の六字大明呪「オム・マニ・ペメ・フム」についてはダライラマ十四世の『ダライ・ラマ 日々の瞑想』収録の「初心者向きのやさしい密教瞑想法」に釈迦牟尼仏、文殊菩薩、金剛手菩薩、ターラー菩薩のマントラと共に挙げられたりしている。
六字大明呪について記された『六字大明王陀羅尼経』や『仏説大乗荘厳宝王経』は「密教部」に属する経典である。
密教経典所載の真言についても、伝統や法脈によって運用上のルールが異なっているという事だと考えられる。
創作における真言
もちろん現実世界の信徒が唱えるものにそのような力はなく、あったとしても伝説の大僧正くらいにしか出来ない事だが、フィクション作品では唱えるだけで超常現象が起きたりする。
伝奇ものの作品ではしばしば見られる。
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念仏 般若心経…「ぎゃーてーぎゃーてー…」の部分が真言。般若心経の翻訳を手掛けた玄奘三蔵は「訳してしまうと意味が限定されて真言の力も失ってしまうから、あえて訳さない」とし、サンスクリット語音のまま残している。