概要
梵名アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokiteśvara)。
衆生(しゅじょう)の声を聞き、その求めに応じて救いの手を差し伸べる慈悲深い菩薩。
経典の記載では男性として扱われているが仏像や仏画では女性的に描かれることが少なくない。
ちなみに女性的な要素が付いたのは中国に仏教が渡った際に生まれたとされる。正確には菩薩自体「男でもなければ女でもない。かといって中性的なものかというとそうでもない」という解釈があり、すなわち性差そのものを超越しているというべきものである。
数々の呼称
通常は「世」の文字を省き「観音菩薩」(かんのんぼさつ)と呼称する事が多い。これは唐の二代目皇帝・太宗の本名が「李世民」と表記する事に対する避諱(ひき、目上の者の諱を用いることを忌避する漢字文化圏特有の慣習)に基くもの。
他にも観自在菩薩(かんじざいぼさつ)、施無畏者(せむいしや)、円通大士(えんつうだいし)、救世円通(ぐせえんつう)など様々な別称がある。
図像表現
変化身でなくただ観世音(観音)菩薩、と呼ばれる場合、漢訳仏典を用いる中国や日本では一面二臂の姿で描写されることが多い。
服装は簡素なデザインかつ、蓮華や水瓶を持つこともあり、変化身では聖観音や白衣観音がこの基本的な姿に近い。
チベットでこの基本的な姿に対応するのは一面四臂の「六字観音(シャッドアクシャリー、シャドゥクシャリー)」である。一対の手で合掌し、残る二つの手で蓮華と数珠を持つ。合掌した手で青い宝珠を挟み込んでいる事もある。
この観音はチベットにおいてよく唱えられる六字大明呪(オム・マニ・ペメ・フーム)の擬人化ともされる。
功徳
勢至菩薩(せいじぼさつ)とともに阿弥陀(あみだ)仏の脇侍として仕える。
補陀落(ポータラカ、ふだらく、または“普陀落”とも表記)と言う霊山に居を構える。
別名における『自在』に表されるように、慈悲の無限性に応じて変幻自在に姿を変えることができ、その力を持って人々を救済し教化するとされている。
そのため、『六観音』『十二観音』『三十三観音』という言葉が表すように、千手観音、如意輪観音、馬頭観音、白衣観音、十一面観音、魚籃観音、楊柳観音等々、信仰と救済の形の数だけ無数にその姿を変えていくことができる。
佛としての観音
『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』によるとかつて正法明如来という仏陀だったという。
『観世音菩薩授記経』よると、阿弥陀如来が入滅した後、観音は普光功徳山王如来という仏陀になるという。
化身とされる神・人物
日天(天台大師・智ギ著『妙法蓮華経文句(法華文句)』の説)
伏羲(唐の時代の中国での説。日本の文献『諸神本懐集』でも言及)
大黒天(チベット仏教の説。歴代ダライ・ラマは変化身千手千眼十一面観音の化身とされる)
変化身のそのまた化身・相については各項目を参照。
脇侍
日本においてはしばしば観世音菩薩やその変化身の像の脇侍に毘沙門天と不動明王の像を配置する。この形式は10世紀末頃に比叡山延暦寺で成立したやり方らしい(参考)。
こちらの論文(pdf注意)の3ページ目によると、天台宗の高僧・円仁が唐の国から日本に戻る際に嵐に巻き込まれ、観音菩薩に祈ったところ毘沙門天が現れ嵐が静まった、という。
円仁は帰国後、比叡山の横川中堂に観音と毘沙門天の像を祀った。円仁の没後約半世紀後に生まれた良源(慈恵大師)が自作の不動明王像をここに加えることでこの三尊形式が出来た、という流れが考えられる。
チベット仏教では白ターラーと緑ターラー(多羅菩薩)を脇侍とする例が見られる。
中国では龍女(法華経において「女人成仏」したと解釈される八歳のナーガ王女)と善財童子を脇侍とするのが一般的。
創作での活躍
古典作品
信仰の対象であるのみならず、民話などにも頻繁に名が登場し、『西遊記』でも重要な役どころを演じている。
『封神演義』には、のちに観音菩薩になる仙人慈航道人が登場する。
現代の作品
西遊記をモチーフとした漫画『最遊記』にも観世音菩薩が登場する。
『ペルソナ4』では登場人物久慈川りせの専用ペルソナとして登場。
『なむあみだ仏っ!』及び『なむあみだ仏っ!-蓮台 UTENA-』には観音菩薩として登場している。
御利益
苦難除去、現世利益、病気平癒、開運、極楽往生……等々
とにかく本心から救いを求めればいかなる助力も惜しまない、大変心の広い菩薩様。
御真言
オン アロリキャ ソワカ
関連タグ
聖母マリア:実質的には両者には関係は無いものの、キリシタン弾圧の頃に潜伏キリシタンが観音菩薩像を聖母マリアに見立てて信仰していた事がある。