概要
観世音菩薩の代表的な変化身「六観音」の一つ。六観音においては六道のうち修羅道の衆生を救う存在とされる。
梵名は「十一の顔」を意味する「エーカダシャ・ムカ」、漢訳仏典における名称はこの語義を訳したもの。
メインの顔の上に、冠のように小さな顔が並んだ描写・造形がなされる。さらに観音像の特徴として阿弥陀如来の化仏も備える。
メインの顔を含めて十一面である例と、メインの顔と別に十一面を持つ(合計12になる)例とがある。
それぞれの顔は、仏菩薩としての境地や、衆生に対してとる態度を表している。
仏像や仏画では蓮の上に立っていたり座したりしており、日本でよく見られる作像例では腕は二本で、下に垂れた右手には数珠を、左手には紅蓮(赤い蓮)が入った花瓶を持つ。
真言宗豊山派では右手に地蔵菩薩のように大錫杖を持つ造形がなされ、このタイプは総本山の名をとって「長谷寺式十一面観音」と呼ばれている。岩の上に立つデザインも、地蔵菩薩像にみられるモチーフである。
聖観音以外の変化身の多くにも言える事だが、十一面観音も密教系の菩薩である。しかし密教経典『千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼經』に収録された「大悲心陀羅尼」は禅宗でも広く唱えられている。
チベットの観音信仰でもポピュラーな変化身の一つである。千手観音と融合したような十一面千手観音菩薩の仏像や仏画が多く作られている。
十一面の配列とそれぞれの面の比率にはいくつかのバリエーションがある。
ヒンドゥー教の方位神の一人「エーカダシャ・ルドラ」が原型とする説もある。
十一面のバリエーション
- ソンツェン・ガンポ王流
チベットの王、ソンツェン・ガンポが人界に無い天界の樹木「蛇精白檀」を、神秘的な声に従いゆっくり割った所、自然と出てきた十一面観音像のものと伝承されるもの。
顔の配列は一番下が寂静三面、その上に三面の忿怒面、その上に二面の忿怒面、その上に更に二面の忿怒面、そして一番上に阿弥陀如来の顔が乗っている。サキャ派僧ソナム・ギェルツェン編『王統明鏡史』によると手の数は十本だったという。
- 比丘尼ペルモ流
ソンツェン・ガンポ王流と並び、チベットにおける十一面の配列として代表的なもの。下から寂静三面、寂静三面、寂静三面、忿怒一面、その上に阿弥陀仏の顔、という並び。手の数は八本であり、この形式をラクシュミー流ともいう。
- 『仏説十一面観世音神呪経』『十一面神呪心経義疏』等に記載のタイプ
日本でも一般的な配列。段ごとではなく、右側、正面側、左側、後ろ側、という形でそれぞれの種類の顔の配列がなされている。前の三面が慈相の菩薩面、左三面が瞋面、右三面が白牙上出面、残るふたつのうち一面が暴大笑面で、頭頂に仏面がある。
十一の面が象徴するもの
『仏説十一面観世音神呪経』等での場合
メインの顔と仏面、菩薩面は穏やかなものだが、それ以外は、励ましの意味を持つ狗牙上出面すらいかめしい。チベット仏教では神仏は寂静尊と忿怒尊に分けられるが、十一面観音はその両方の形相を合わせ持つ尊格と言える。
- 仏面
頭頂に一つだけある顔。仏陀としての悟りの境地を表す。『法華経』の第二十五章として吸収された『観音経』によると、観音菩薩は相手に応じて様々な姿をとるが、その一つに「仏身」がある。
「仏身」をとれる事じたいが、観音菩薩が既に仏の範疇にある証とする見解もある(水野弘元『仏教要語の基礎知識』)。
- 菩薩面
三つある顔。菩薩として、衆生のもとで救済を行う者としての性質を現す。
- 瞋怒面
三つある顔。瞋怒(しんぬ)は「怒り」を意味する二つの漢字を合わせた仏教語。不動明王のような慈悲と厳しさを持った怒りで衆生を戒める顔である。
- 狗牙上出面
三つある顔。唇の間から、犬の牙のような犬歯を剥き出しにした異様な形相であるが、清らかな行いをする人々を励ます意味を持つ。
- 大笑面
仏面と同じく一つだけある顔。後頭部についた顔で、前からは見えない。衆生の悪を大笑いにより吹き飛ばす顔。悪への怒りが根底にあり、その笑顔は鬼神のようである。このため「暴悪大笑面」とも呼ばれる。
ソンツェン・ガンポ王流での場合
三つの寂静面、七つの忿怒面は息災、増益、敬愛、調伏を象徴する。チベット仏教における仏菩薩のはたらきの四分類でもある。『王統明鏡史』における、十一面千手観音のいわれを語った箇所での阿弥陀仏の発言でも言及される。
歓喜天との関係
暴れまわり、疫病を広め、人身御供すら要求した象頭の魔神ヴィナーヤカ(毘那夜迦)に苦しめられていた人々の祈りに応え、観音菩薩は十一面観音として降臨。彼を鎮めるため、そこから象頭の女神と変化して抱擁し合い、なおかつ相手の足を踏みつける事で調伏したという。
これが歓喜天である。十一面観音と抱き合った男女揃った姿で「歓喜天」と呼ばれる事が多い。
十一面観音に抑えられてなお、かつての荒々しい面を強く残しており、荼枳尼天と並び、素人が自己流で拝むには危険すぎる天部神とされる。
寺院で教わるやり方に従ったとしても、お勤めを疎かにしたりすると大変なことになるという。
十一面観音の化身(垂迹)とされる神
- 天照大神(後に大日如来説が有力になったが、現在でも熊野大社等では十一面観音を本地とする)
- 白山権現(そのうち白山妙理権現=九頭龍=イザナミ)
- 春日権現(そのうち天美津玉照比売命)
- 白山比咩(キクリヒメと同一視される女神)
- タギツヒメ(多都比姫、国安珠姫命の異名を持つ、大国主の妻の一人)
九頭竜権現は八大竜王の一人ヴァースキ(和修吉)とされるが、本地は弁才天ともされる。
このように女性の神との繋がりが深い観音であり、そのためか光明皇后の姿を模した十一面観音像(奈良県にある法華寺の本尊)もある。
真言・陀羅尼
- オン ロケイジンバラ キリク
「ローケーシュヴァラ(ロケイジンバラ)」とは、「世において自在なる主」の意味。後に「ラージャ」をつけると菩薩時代の阿弥陀如来(法蔵菩薩)の師匠「世自在王仏」のサンスクリット名になる。ローケーシュヴァラはシヴァ神の異名でもあり、十一面観音と「(シヴァと同体とされる)ルドラ」の名を持つ方位神と結びつける仮説が現れるのも頷ける話である。
- オン マカ キャロニキャ ソワカ
マカ(マハー)は「大きい」「偉大な」キャロニキャ(カルニカーヤ)は、悲(カルナー)の身体・化身(カーヤ)という意味。ここでの「悲(カルニ)」は「憐れみ」とも訳せる語である。相手を憐れみ、その苦しみを除きたいという気持ちである。
日本で生まれた『十一面観世音菩薩随願即得陀羅尼経』でも功徳が強調される陀羅尼でもある。
ちなみに中世にこの和製経典を普及させたのは、前述の真言宗豊山派の僧侶である。
関連タグ
聖観音、千手観音、如意輪観音、馬頭観音、准胝観音、不空羂索観音
崇徳上皇:持念仏としていた。