解説
滋賀県大津市(境内は京都府京都市にも跨がる)にある寺。天台宗総本山である。
住職(貫首・貫主)は「天台座主」と称され、末寺の統括を行う。
平安時代、延暦7年(西暦789年)に最澄(伝教大師)が建立した一乗止観院が源流。最澄の没後、弘仁14年(西暦824年)に現在の寺号が朝廷より許される。
平安時代初期より現在まで日本における天台宗の本山であり高野山金剛峯寺とならぶ密教の中心地である。また、鎌倉時代に相次ぎ新しい宗派(鎌倉仏教)を起こした開祖らがすべて一度は修行した地でもあることから「日本仏教の母山」と称されることもある。
院政期からは多数の僧兵を擁し時の貴族や皇族に圧力をかけることも多々あった。鎌倉幕府成立以降も、武力と仏教の権威を盾にして、ときの武家政権に対して独立状態を維持した。
また、琵琶湖と京の間の物流を掌握し、金融業を営んでことにより莫大な財力も得た。
これらの力を背景に京の権力者と敵対することも多く、室町幕府第6代将軍足利義教や織田信長により焼き討ちを受けたこともある。
平成6年に世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」の構成遺産として登録された。