弘法大師この山を
ひらきしよりは千餘年
蜩ひびく骨堂の
あたりは夏も風さむし
―― 鉄道唱歌(關西・參宮・南海篇)四四番より
概要
和歌山県伊都郡高野町にある日本仏教の寺院、金剛峯寺(こんごうぶじ)の山号。
転じて、金剛峯寺が所在する、標高約900m〜1000mの山々(『八葉の峰』と呼ばれる)に囲まれた盆地周辺を指す。町名としては伊都郡高野町高野山。
山号とは寺に付く称号であり、「高野山」という名前の山があるわけではない。ただし「山号」と呼ぶのは、仏教が普及した唐代の中国において、その寺が所在する地域の名称を付けて他の寺院と区別し、山中に建立された場合はその山の名称を付けていた事の名残りである。
金剛峯寺は、816年(弘仁7年)弘法大師空海によって修禅の道場として開かれた、京都南区九条の東寺(教王護国寺)に並ぶ真言宗の総本山であり、21世紀の今日も世界から多くの参詣者を集めている。この金剛峯寺を筆頭に、高野町高野山地区には大小100以上の寺院が並び、延暦寺のある滋賀県大津市の比叡山と並ぶ「日本仏教の聖地」と言われている。
なお、京都の東寺・和歌山の高野山・香川の善通寺の三山をもって「真言宗三大霊場」とする。
高野山奥の院は四国八十八箇所の最終目的地であり、同巡礼においては全ての札所を廻り終えた「お遍路(修行者)」が弘法大師に巡礼の「御礼(報告)」をするための場所とされている。
高野山は昔女人禁制だったが、猫も入山禁止だった。その理由は猫が可愛すぎて修行の妨げになってはいけないから。
ちなみに、高野山奥の院にかけては多くの戦国武将の墓(参墓・分骨分祀墓)や、一風変わった企業墓(企業縁物故者合同祀慰霊碑)がある事で知られる。
戦国武将の墓は奥の院参道の正面入口である「一の橋」からのルートにて、よく見られる。時に歴史上では敵対していたとされる間柄の武将同士が、仲良く隣り合って祀られていたりする。
一方の企業墓は奥の院参道の至近入口である「中の橋」からのルートにて、よく見られる。(新墓であるため一の橋ルートでは見ることが出来ない)様々な企業が自社の特徴や理念に則り趣向を凝らした墓は、ある意味でアートですらある場合も見られ、これまた感心させられるものがある。例えば、新明和工業のロケット墓、ヤクルトのヤクルト墓、UCCのコーヒーカップ墓、福助(足袋・靴下メーカー)の福助墓、日産の工員像などが知られている。
ちなみに、最初に高野山に企業墓の建立を考えたのは、かの松下幸之助である。当然、高野山に最初に建てられた企業墓は松下電器(現・パナソニック)のものである。(もっとも、それ以前にも関西の個人商店や下請けの町工場などが高野山に「身寄り無く亡くなった従業員やOBを無縁仏にするのは偲びないので彼らを供養するために建てた墓」というのは存在しており、パナソニックの企業墓もその延長線上のものではある)
2004年に『紀伊山地の霊場と参詣道』として、ユネスコの世界遺産に登録されている。
交通
- 大阪から
- 南海電車高野線・南海鋼索線・南海りんかんバスを乗り継ぎ
関連タグ
南海本線…「高野山」と名のついた山が沿線の孝子駅付近に存在する。ただし呼び方は「たかのやま」。標高285mで、隣接する飯盛山まではハイキングコースとして知られる。