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曖昧さ回避編集

  1. 1日あたりの生産高。
  2. かつて、茨城県日立市の日立鉱山を興した久原房之助が作り上げた「久原財閥」が、その義兄である鮎川義介福岡県戸畑町(現・北九州市戸畑区)の戸畑鋳物株式会社から発展させた企業グループと合併して成立した「日本産業」(のちの満洲重工業開発)と同社を中心とする企業グループ「日産コンツェルン」、並びにその傘下にあった企業の一部。戦前において同コンツェルンは、三井財閥三菱財閥に次ぐ国内第三位の財閥で、「十五大財閥」の一つ「鮎川財閥」と称された。現代では、以下の2社(既に互いに資本関係はない)とそのグループ企業のみが「日産」の名を名乗っているが、祖業を同じくするメーカーは春光グループと呼ばれる企業グループを形成している。
    1. 日産自動車。本記事で解説
    2. 日産化学。肥料や農薬などの農業分野に強い化学メーカー。

概要編集

日本の大手自動車メーカーで、三菱自動車ルノーとアライアンス(同盟)を組む。本社は横浜市


国内シェアはトヨタスズキホンダダイハツに次ぐ5位。かつてはトヨタと並ぶ日本の二大自動車メーカーであり、19902000年代にはホンダを含めた3社で日本のビッグスリーと称された。


沿革編集

ブルーバード&スカイライン、1967年を代表するファミリーセダン

1911年『改進社自動車工場』として設立。何度か改名と合併を繰り返しながら、日立鉱山の機械部門から発展した日立製作所、日立鉱山(ENEOSの源流)、日産火災海上保険(損保ジャパンの源流)などとともに新興財閥『日産コンツェルン』傘下に入り、1934年から日産自動車と名乗るようになった。


戦後高度経済成長期にはトヨタと激しく覇権を争い、「販売のトヨタ、技術の日産」と並び称された。トヨタには販売台数では負けていたが、当時の車好きからは日産のほうがいい車を作っているという評判で、国内レースでもトヨタを圧倒する場面が多く見られた。


1980年代に「インフィニティ」ブランドの立ち上げまでして推進した海外進出が不調に陥る。さらに「技術の日産」を推し進めるべくブチあげた「901運動」もバブル崩壊と被って採算が取れなくなり、経営危機に陥った。


こうしたことから1999年にフランスのルノーとアライアンスを結び、株持ち合いではあるがフランス会社法上ではルノーの連結子会社となった(ルノーが日産の44%、日産がルノーの15%〔フランス政府が第二次世界大戦後の「対ドイツ協力企業賠償」の名残で保有する15%を除くと実質17%〕の株式を保有)。ルノーが送りこんだカルロス・ゴーンCEOによって2万人のリストラや伝統ある村山工場の閉鎖を断行、数値目標を重視する「コミットメント」を徹底させることで驚異的な回復を見せ、2兆円あまりあった負債を完済し、一時国内シェア第2位の座を奪還した。


しかしゴーンが断行したリストラの代償は大きく、この時期にすぐに収益に結びつかない新技術の開発(ハイブリッドカーなど)を止めてしまったことに加え、過度のコミットメント重視は「技術の日産」を空洞化させる結果をもたらした。さらにセドリックグロリア)、ローレルブルーバードサニーと言った伝統のある車名をことごとく廃止した上、 パトカー教習車と言った特殊車両の生産からも撤退してしまったことから、古くからの日産党からは嘆きと不満の声が漏れた。


2010年ごろから日産は、成長性が頭打ちの国内市場を避けて伸び代のある海外市場にばかり注力するようになった。かつて日産のラインアップのボトムラインを担ったマーチは2010年のK13型からタイ生産の逆輸入車に切り替えられ、ティーダは2011年のC12型からは国内販売されなかった。2010年代は車種削減ばかりで国内での新車投入やフルモデルチェンジがあまりなく、キューブは12年にわたってモデルチェンジされないまま2020年に廃止された。こうして日産はズルズルと売り上げを落とし続け、軽自動車を得意とするダイハツスズキに抜かれ国内シェアは5位にまで転落した。


これに対抗するため、2006年にスズキからのOEM供給を受けて軽自動車に進出。さらに2011年には三菱自動車からスピンオフした軽自動車開発専門のジョイントベンチャーNMKVに出資し、三菱と共同開発した軽自動車を販売している。


2016年には三菱自動車の1/3超の株式を取得し、ルノー・日産・三菱アライアンスを結成した。


2018年には長年トップに君臨したカルロス・ゴーンが横領や特別背任など複数の罪状で逮捕され、会長を解任された。本件はフランスとの摩擦を生み、更に2019年末には保釈中のゴーンがレバノンに密出国・逃亡するという前代未聞の事件が発生した。また残された日産側も、ゴーンに代わった西川社長が同様の社費不正使用が発覚して辞任した上、それに代わって『トロイカ』と呼ばれる新たなスリートップ体制を形成しても、うち一人が他社に引き抜かれて一年しないうちに辞任するなどの混乱が続いた。


こうしたお家騒動や日本国内での新型車投入ペースの遅さから、日産のニュースに明るい話題は多いとは言えないが、日本国内においても依然としてクーペセダンや商用車まで幅広いラインナップを堅持しており、数少なくなったフルラインナップメーカーの一つではあり続けている。


今も日産に期待する声は大きいことや、日本国内における新車投入が少ないことの裏返しで、日産が新車を投入すると話題が集中することが多い。最近は電動化を積極的に推し進めている。特に「新しい電気自動車のカタチ」と銘打ったシリーズ式ハイブリッドのe-POWERは市場で高く評価されており、これを原動力にノートが2017年登録車販売台数1位を勝ち取った。ノートは2021年にe-POWER専用エンジンを携えてフルモデルチェンジし、国内2大カー・オブ・ザ・イヤー(日本とRJC)の両方を勝ち取るという快挙を達成している。


2023年2月、ルノー・三菱自動車とアライアンスの再編で合意。ルノーの日産への出資率を、日産からルノーへの出資率と同等の15%にまで引き下げ、悲願であったルノーとの関係対等化を成し遂げた。アライアンス結成から25年目にして日産は事実上のルノー傘下から離脱し、独立した経営権を取り戻した。


2024年3月、ホンダに対し協業に向けてアプローチしている事が報じられ、15日に両社提携検討に入り、そして8月、三菱自動車も協業に加わり、販売台数800万台を超える陣営が誕生した。余談だが2020年には政府によってホンダとの合併が提案された事がある。


しかし不振は相変わらずで、2024年11月に発表した9月期連結決算では純利益が90%減という衝撃的な決算を発表。特に米中での不振が目立っており、中国市場では電気自動車の価格競争に対応できず、米国市場ではハイブリッドカー人気が再燃している状況に対応できなかったことが響いたとのこと。販売奨励金による値引き販売でブランド価値が下がっている(これ自体は他の会社も行っているが、日産ではゴーン時代から販売奨励金依存による安売りが問題になっていた)問題も解決できておらず、利益を押し下げている。今後、生産能力の削減や9000人の人員削減を行って事業の再構築を目指すとのことであるが、2024年度中にホンダとの経営統合の計画が進められており、もし経営統合が実現した場合、自動車業界の再編となり、トヨタグループ、フォルクスワーゲングループに次ぐ第3位の自動車グループの誕生となる。


モータースポーツ活動編集

センシティブな作品

1960~80年代にはモータースポーツにも力を入れてきた。国内レースでは「打倒ポルシェ」を目指して作られた「R-38X」シリーズやGT-RシルエットフォーミュラでのBMW勢との仁義なき戦い、グループCでのポルシェ・トヨタとの死闘などはファンの間で語り継がれているが、何よりグループA時代のR32型スカイラインGT-RのJTC(全日本ツーリングカー選手権)49連勝は圧巻である。

海外レースでは、日本車メーカーとして初めてWRCサファリラリー)、WEC(WEC-JAPAN)でイベント優勝を飾った。他にも世界三大耐久の2つ(スパ24時間、デイトナ24時間)を制し、北米IMSA-GTPではポルシェ勢を破ってタイトルを3連覇している。そうした活躍とは裏腹に世界選手権でのタイトル経験は長らく無かったが、2010年FIA-GT世界選手権でようやく達成した。00年代にはパリダカにもワークス参戦したが、こちらはいいところ無く撤退している。


現在は日本最高峰のSUPERGTを中心に活動し、GT500クラスではトヨタ・ホンダとともに3強の一角を形成している。また最初はルノーからの看板の架替えという形ではあったが、「電気自動車F1」ことフォーミュラEにも参戦中である。


その他編集

刑事ドラマと言えば日産。

大都会』シリーズ・『西部警察』シリーズ・『特捜最前線』・『あぶない刑事』・『相棒シリーズ』シリーズなど、古くから多数の刑事ドラマにスポンサリング、車輌を提供している。

『西部警察』の日本縦断ロケでは当地の日産ディーラー社長がカメオ出演していたということもある。


他、当時の社長が時代劇好き故に立ち上げられた作品が『大江戸捜査網』であり、当然の事ながら一社提供で放送された。現在でもこの時間帯の番組『出没!アド街ック天国』は筆頭スポンサーとして協賛している。


自動車据え置き型無線電話(自動車電話)から発展して携帯電話が登場したという経緯もあった事から、日産もかつては携帯電話事業に携わっていた。三大都市圏では京セラなどとの共同出資でツーカー(現在のauの源流のひとつ)を、それ以外の地域では日本テレコムとの合弁でデジタルツーカー(現在のソフトバンク))をそれぞれ立ち上げていた。しかし前述の通り日産本体が1990年代に経営悪化した事もあり、1999年にはどちらからも資本を引き揚げている。


最近の話題として、俳優伊藤かずえが所有しているシーマのレストアを行っている。2017年より、子会社のニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社(俗にNISMOと呼ばれる)がスカイラインGT-R(R32、R33、R34)の製造廃止となっていた純正部品の復刻販売を開始、2020年末よりレストアも開始した。


和歌山県高野山企業墓(物故従業員慰霊碑)を構えている事でも知られる。日産の企業墓はそのものズバリ工員の姿を彫り上げた彫像であり、その特異性から新明和工業ヤクルトUCCに並ぶ観光名所のひとつと化している。ただし名所ではあるが墓(慰霊碑)であるのは間違いない(周囲には一般の家の「普通のお墓」もいっぱいある)ので礼儀礼節を守り、騒ぐことなく、謙虚な態度で接する事が望ましい。


フォートナイトロケットリーグにも日産の一部のスポーツカーがコラボした。

また、フォートナイトのゲーム内にて、「JAPAN MOBILITY SHOW 2023」に向けた限定マップも公開された。


関連イラスト編集

Be-1グループB仕様フェアレディZ


記念日編集

毎年11月23日(イイニッサン)


関連項目編集

自動車 NISSAN ProPILOT e-POWER

インフィニティ

 欧米メインで展開している高級車ブランド。

ニスモ

モータースポーツ部門を手がける子会社。

ダットサン

 1981年まで国内外で使用されていたブランド。2012年以降は新興市場向け専用ブランドとなっている。

プリンス自動車

 1965年に吸収合併し、スカイライングロリアの商標を引き継いでいる。

横浜F・マリノス

 Jリーグクラブ

横浜国際総合競技場

 施設命名権を保有し、「日産スタジアム」と命名

CM関連編集


著名な元在籍者編集

川越英隆 押本健彦 梵英心 青木高広 高崎健太郎 野上亮磨 熊代聖人

 日産自動車硬式野球部出身。※野球部は2010年から休部したが、2025年より活動再開予定。

藤井将雄

 日産自動車九州硬式野球部出身。※2010年から休部に伴いクラブチームの『苅田ビクトリーズ』に引き継がれたが2024年に部に昇格し活動再開予定。

長谷川健太

 日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)出身。


その他編集

IMPUL

 アフターパーツを手掛ける。日産との直接のつながりこそないが、ここの商品は(原則)日産の販売店で取り扱っている。主に北米専売の日産車の逆輸入と日本国内法規対応、販売も手がけている。


これまでに販売された主な車種編集

軽自動車編集

※元々専門でなかった事から、量産車はほぼ全てが他社工場での生産である。


スズキ


三菱


NMKV(日産と三菱自動車の合弁会社)製


~1500cc編集


1500~2000cc編集

2000~3500cc編集

OVER 3500cc編集

電気自動車編集

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