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曖昧さ回避


自動車メーカーの「マツダ」

広島県安芸郡府中町を本拠地とする、日本の自動車メーカー。

府中町は広島市に周囲を囲まれており、広島市街地と一体化しているため、広島市が本拠と言われることもある。


現在のキャッチコピーは"Be a driver."(2013年より)。一時期は"ZOOM-ZOOM"(2002年より。日本における「ブーブー(=自動車の幼児語)」の意味)でも知られていたが、高級路線に進んでからは用いられなくなった。


歴史

1920年に清谷商会というコルク業者を会社組織に改組する形で「東洋コルク工業株式会社」として創業された。翌1921年に取締役の一人であった松田重次郎が二代目社長(事実上の創業者)として就任、事業を急拡大させる。1927年、過当競争となっていたコルク工業に見切りをつけ「東洋工業株式会社」へ改称し機械工業メーカーに転身する。当時は主に海軍関係の下請けで部品製造を行なっていた。


東洋工業は下請けにとどまらない独自の製品として自動車製造を企て、1930年にはオート三輪トラック製造へ進出。この分野でダイハツと共に名を馳せ、四輪車の試作も行なっていたが、戦争の拡大とともに独自の製品開発はほとんどできなくなっていった。太平洋戦争中、東洋工業は陸海軍共同管理下に置かれ九九式短小銃などの武器を生産する一大軍需工場だったが、郊外に立地したことから1945年8月6日の原子爆弾投下に当たっても工場施設そのものの被害はほとんどなかった。このため社屋には原爆で壊滅した広島県庁が入り、被災者の救護拠点として機能した。


戦後は三輪トラックの製造に復帰、戦後復興が軌道に乗るとともに需要が急拡大し、再び本格自動車メーカーへの転身を企てる。1951年に松田重次郎の長男の松田恒次が社長職を引き継ぎ、1958年に四輪トラックに本格進出。1960年には初の乗用車であるR360クーペを発売。1962年発売の軽乗用車キャロルが大ヒットし、1964年には本格的なファミリーカーのファミリアセダンを発売した。


三輪トラックの垢抜けないイメージから脱却するため、1960年ごろからロータリーエンジン(RE)に社運を賭け、1967年に第一弾のコスモスポーツを発売。1970年には「ロータリーのマツダ」を掲げRE専用の新工場を建設し北米への輸出を開始したが、REは燃費に劣ることからマツダは1973年のオイルショックの直撃を受けて大量の在庫を抱える羽目となり、アメリカのフォード・モーターに発行済み分の25%の株式を買収され傘下入り。松田家同族経営も終焉を迎えることとなった。


1978年発売のサバンナRX-7がアメリカで、1980年に発売した5代目ファミリアが日本国内でヒットし経営再建を成し遂げる。1984年には現行社名「マツダ株式会社」に改称。実質的な創業者である松田の姓に基づくブランド名「MAZDA」に合わせると共に、先述の電球同様アフラ・マズダーを文明のシンボルとして捉え、自動車産業の光明となるという意味が込められているという。これに先立つ1974年にオート三輪製造から撤退。またかつてのマツダは自動車製造用の工作機械を自社開発していたが、1989年に工作機械部門は子会社のトーヨーエイテックとして独立した。


オイルショック以降、トヨタ三菱自ホンダ富士重など国内の多くの自動車メーカーはアメリカへの輸出依存を強めていたが、これにより日本の自動車産業は1980年代中盤の円高ドル安で大打撃を受け、各メーカーの目を国内に向けさせることになった。マツダも例外ではなく「国内年間販売台数100万台」を掲げてマツダ、ユーノスアンフィニオートザムオートラマからなる「5チャンネル体制」のディーラーを展開するが、開発リソースに限りのあるマツダでは「車名の違う似たような車をチャンネル毎に乱立させる」という結果となり(「クロノスの悲劇」)、キャロルだけが売れていたオートザム、ロードスターのみが気を吐いたユーノスを筆頭に軒並み不振に陥り、バブル崩壊後、オートラマはフォード店に移行、残りは元のマツダ店に統一統合された。


バブル崩壊後の経営悪化時にフォードの出資比率を33%にまで引き上げられ、経営権を掌握される。社長以下役員もフォードから派遣されたアメリカ人に入れ替えられた。フォード傘下で開発費も削られ、フォードとのプラットフォームの共同開発・共有化を推進していたが、一方では「スポーティさ、走りの良さ」を打ち出すブランド戦略が立てられ、新生マツダへの動きが始まっていた。2003年には久々に生え抜きの日本人社長が就任、上記のブランド戦略の中で独自のエンジン、プラットフォームの開発を始め、2006年には「モノ造り革新」を打ち出してフォードからの独立性を強める。経営が悪化しつつあったフォードはマツダの経営への関心を失い、出資率を徐々に引き下げて2015年には全ての資本を引き上げた。フォードとの資本関係は消滅したものの、引き続き中国やタイにおいては生産合弁事業を展開するパートナーではある。


他方、近年はトヨタと株を持ち合って提携しており、トヨタハイブリッドシステムの供与、EV開発の合弁会社やアメリカ工場の共同設立、相互に車種のOEMをするなど、グループ傘下にこそ入ってないものの関係を大きく強化している。


ロータリーエンジン

マツダと言えばロータリーエンジン(以下RE)の存在なくて語れないだろう。ピストンの代わりとしてローターを用いるエンジンで、ドイツの技術者フェリクス・ヴァンケルが発明したエンジンである。このエンジンの特徴としては小型でありながら高出力を誇り、燃料を選ばないものの、低速時燃費が芳しくない、オイルが混じったり不完全燃焼したりで排気がクリーンではないなどの欠点も多い。


このエンジンの開発は山本健一氏(のちの社長)をはじめとする47人で行われた(そのため、ロータリー四十七士と呼ばれたといわれている)。REそのものはマツダの発明ではなく、基礎設計は西ドイツ・NSU社(現在はアウディの一部)などから導入したものであるが、実際に渡されたエンジンは実際には自動車の部品として使えるようなものではなかった。開発されたREは初代コスモスポーツに搭載された10Aから2012年6月まで販売されたRX-8の13B-MSPにいたるまで、ルーチェ・ロータリークーペに搭載された13Aを唯一の例外として基礎設計はほとんど変わっておらず、多少の改造は必要なものの、積み木状に連結することができるのもREの特徴である。(ワンローターの6.5B、12Aのハウジングを使用した24Aなどが存在する) 幾度もの排ガス規制を生き残ってきたが、2012年のRX-8の生産終了をもってついにマツダのラインナップからは消滅した。


上記のような事情から、普通のガソリンエンジン車としては生き残るのは難しいと考えられており、マツダでも電動と組み合わせての復活が模索されている。具体的にはレシプロエンジンと比較して水素との相性も良いことから、水素REの研究開発も進められている(13B-RENESIS水素ロータリー)。また、新世代REとして発表された16Xや、コンセプトモデルである風籟(ふうらい)に搭載されたバイオエタノール(化石燃料以外の生物由来のエタノール)を燃料とするR20Bなどもある。最近メディアで騒がれているのは、シリーズ式ハイブリッド(エンジンを発電機としてのみ用いるハイブリッドカー、日産のe-powerが例)のレンジエクステンダーとしての開発研究だが、いずれも市販化には至っていない。

そしてマツダのラインナップからロータリーエンジンが姿を消して11年後の2023年に MX-30 PHEV(プラグインハイブリッド)モデルの新エンジンで開発した発電機とロータリーエンジンを搭載することが明らかになり、11年ぶりにマツダのロータリーエンジン搭載車が市販されることになると共に、翌24年2月にはロータリーエンジン開発チームの立ち上げを宣言するなど、「 MAZDA = RE 」というアイコンに再び火を灯し始めている。


SKYACTIV

2010年に発表された、マツダの技術群の総称であり、ロータリーに代わる代名詞。現代の自動車業界では一般的になったプラットフォームのモジュール化により、大幅なコスト削減と品質向上を可能とした。一般的には以下のパワートレイン技術で知られる。


SKYACTIV-D

高圧縮比が常識であったディーゼルを低圧縮比にすることにより、北米の厳しい排ガス基準を通過した数少ない会社となった。

通常のディーゼルと違い触媒や尿素SCRを用いず、DPF再生により煤を焼くのも特徴である。


2022年現在、マツダは日本国内で唯一ディーゼルエンジンのコンパクトカーを販売するメーカーである。


また2022年には乗用車向け国産直列6気筒をディーゼルで復活させている。


SKYACTIV-X

ディーゼルの自然発火の発想をガソリンも応用し、スパークプラグを使用しないのがSKYACTIV-Xである。4代目MAZDA3で実用化・量産化に成功し、世界を驚かせた。ただしスーパーチャージャーとマイルドハイブリッドを組み合わせてやっと売り出せたということ、ガソリン車に対して大幅に値段が高い(日本では+80万円)こと、大して燃費が良くない割にハイオク推奨であることなど課題はまだ多い。


SKYACTIV-G

ディーゼルの影に隠れがちだが、ガソリンエンジンも低圧縮比+ミラーサイクル+直噴の組み合わせで低燃費と気持ちの良い加速の両立を実現しており、評価が高い。


SKYACTIV-HYBRID

トヨタ・プリウスのハイブリッドシステム『THS-Ⅱ』のライセンス供給を受け、独自にチューニングを施したもので、3代目アクセラ(国内仕様)のみ販売。評判自体は悪くなかったものの、ストロングハイブリッド自体がマツダユーザーの嗜好に合わなかったらしく、ほとんど売れず消滅。


デザイン

2000年代以降、欧州テイストのグラマラスなデザインに傾倒(バブル期のユーノスブランドからその傾向があったが)。特にSKYACTIV発表以降、『魂動』と呼ばれるロングノーズの統一デザインを採用し、全ての車種のデザインを意図的に揃えている。近年は他の日本車メーカー(スズキ除く)も共通グリルを採用するなどしてデザインの統一感を持たせる傾向があるが、ここまで徹底的にデザインを統一するメーカーは他にない。


デザインの完成度自体は高く、細部の質感も高い。2020年にはMAZDA3がワールドカーデザインオブザイヤーを受賞する快挙を達成するなど評価は高いが、あまりにも統一感のあるデザインなので、車種ごとの個性が薄れたとして嫌う向きもある。また外見を重視するあまり、見切り・取り回しが犠牲になっている面もある。


内装にも力を入れており、カラーヘッドアップディスプレイやディスプレイオーディオといった新奇なインターフェイスを積極的に採用している。外装以上に質感向上が著しく、スイッチやパネルの触感にもこだわっている。日本車においてこの分野は長年トヨタのお家芸であったが、MAZDA3やCX-30の内装はレクサスにも引けを取らないとして絶賛されている。


『人馬一体』

 1989年以来生産しているロードスターにおける「人馬一体」のキーワードは初代から引き継がれ、デザインや走りにおいては欧州でオープンカーブームの火付け役となった。4代目NDは、その歴史と更に磨かれた美しさにより、世界カーオブザイヤーと世界カーデザインオブザイヤーの2冠に輝くという快挙を果たした。


「人馬一体」は他のマツダ車でも掲げられており、RX-8のようなスポーツカーを作れなくなった今でもマツダにスポーティーなイメージを根付かせている。


その思想から、アクセル・ブレーキはオルガン式ペダルを採用している。ブレーキの効きは欧州車のようにしっとりと効く、いわゆる「カックンブレーキ」ではないタイプだが、一般的な日本車と効き方が違うので「ブレーキが全然効かない!」と不安になる人もいる。


モータースポーツ

トヨタや日産同様、ラリー耐久レースを中心に参戦する。


WRCでは1987年にファミリアで、グループA規定下としては日本車初の総合優勝を記録し、その後も合わせて3勝をマークした。

ル・マン24時間ではグループC規定下で、1991年に787Bが日本車として初、RE車としては空前絶後の総合優勝により、伝説となっている。しかし1993年をもってバブル崩壊による業績悪化からどちらからも撤退し、それ以降は長期に渡ってワークス参戦と呼べる活動は行っていなかった。


最近までマツダの北米法人は積極的なモータースポーツ活動を行っており、ロード・トゥ・インディ(インディカーの下位カテゴリ)の運営・全面的バックアップや、IMSA(アメリカのスポーツカーレース)への本格参戦などを行っていたが、こちらも2021年をもって完全に撤退。


一方の本国・日本では国内ラリーやロードスターのワンメイクレースの主催をしている程度に留まっていたが、2021年に「MAZDA SPIRIT RACING」としてバイオ燃料を使用したマツダ・デミオを用いてスーパー耐久に参戦。

以降もデミオからスイッチしたMAZDA3とバイオガソリン仕様のロードスター、パーティーレース成績優秀者の選抜チームなど精力的な活動を続け、2024年初頭に1999年にマツダ本社に吸収統合されたマツダスピード以来25年ぶりの「『ファクトリーモータースポーツ部門』としてのサブブランド化」を実現することとなった。


プロスポーツとの関わり

Jリーグサンフレッチェ広島はマツダのサッカー部が独立したもの。現在ではエディオンが筆頭株主になっているものの、現在もマツダが2割弱の株を持っている。


市民球団として発足した経緯のあるプロ野球広島東洋カープは、1968年以降マツダがメインスポンサーを務める。筆頭株主は広島県内のマツダディーラーや広島エフエムの経営を行うマツダ創業家の松田家が受け持っており、マツダ本体も株を持つものの経営介入はほとんどしていない。


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広島市民球場(マツダスタジアム)


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