概要
三菱重工業を祖に持つ自動車メーカー。日産・仏ルノーとアライアンス(同盟)を組む。
かつては高級車からスポーツカー、大型トラックまでなんでも揃えていたと言っても過言ではない総合自動車メーカーであったが、かつての黒歴史の渦中で商用車部門が三菱ふそうに分社化されたり、スポーツカー・中〜高級セダン市場から撤退したりと、だいぶ製品の幅は狭くなっている。
実は三菱自工として三菱重工から独立したのは1970年と遅めであり、ギャランやミニカが世に出るよりも後であった。この際米国クライスラーから出資を受け、2009年までクライスラーと提携関係にあった。また1970年代から1990年代まで韓国ヒュンダイに技術提供を行っていたため、三菱の技術が同社の礎となっている。
2016年軽自動車の燃費偽装が露見したことがきっかけで、以前から提携関係にあった日産傘下に入り、ルノー・日産・三菱アライアンスを形成した。ただこの件、問題の車種は日産との合弁企業であるNMKVで開発していた。それだけに「ニューモデル開発のためのデータ取りでわかったって言うけどそもそも日産も何で3年間も気づかなかったんだ!?」と言う者もおり、果ては陰謀論を囁く者までいる。ただし、依然有力法人株主に三菱商事と三菱重工業がおり、ことに三菱商事は20%を現在も保有し2位の立場にいることから三菱グループを離れた、とは言い難い。
メーカーとしての特徴
日本の自動車メーカーの中でも特に海外市場の比重が大きい点、多くの海外メーカーにエンジンを供給している点、SUVや電気自動車を得意としている点など、提携している日産との共通点が多い。
かつてはトヨタ・日産に次ぐ国内3番目の自動車メーカーであった時代もあるが、2000年代以降は不祥事を連発してブランドイメージが失墜。リストラに次ぐリストラを繰り返して販売網も縮小し、今や国内シェアは(光岡自動車を除くと)最下位、1%台にまで落ち込んでいる。日本国内向けのラインアップは日産との共同開発やOEM、スズキからのOEM供給に置き換えられていき、2021年のパジェロ撤退以降の自社開発・国内生産車種はクロスオーバーSUV(アウトランダー、エクリプスクロス、RVR)とミニバン(デリカD:5)だけになってしまった。みんカラ内blogなどでは(昔の「フルラインターボ」を捩って)「フルラインOEM」などと揶揄される始末である。
2020年の三菱の国内販売は軽自動車とアウトランダーしか売れていないという悲惨なことになっており、売り上げの海外比率が9割以上になっている。三菱が主戦場とする中国や東南アジアや北米では、ギャラン、パジェロスポーツ、トライトンなど国内では販売されていない三菱車が多く見かけられる。また、中国では多くの自動車会社にエンジンを供給しており、東風汽車や長城汽車など中国資本のメーカーの車には三菱自動車製のエンジンを搭載した車種が多い。
2021年以降の国内のラインナップは日本で売れ筋のクロスオーバーSUVとミニバン、コンパクトカー、軽乗用車、軽商用車のみ(しかもコンパクトカーのミラージュはタイからの逆輸入車、デリカD:2と軽商用車はいずれもスズキのOEM)と、非常に徹底した「選択と集中」が行われている。国内モデルの改良やモデルチェンジのペースは親会社の日産と同じかそれ以上に遅く、パジェロのようにかつては一世を風靡したような車種であっても、テコ入れを怠ってひっそり国内撤退するというパターンも目立った。その中にあってデリカD:5は他に例のないオフロード志向のミニバンとして根強い支持があり、パジェロなき後の三菱車のイメージリーダーとなっている。デリカD:5の兄弟車として2023年5月に発売されたデリカミニは、同年上半期の受注台数が2万台を超え、三菱にとって久々のヒット作となった。
三菱車の特徴
全体的な傾向としてデザインは武骨で垢抜けないものが多いが、一方中身は堅実な構成でしっかり作る傾向がある。現在は四輪駆動とハイテク(電子)制御が得意で、電動自動車(プラグインハイブリッド車含む)に強いメーカーというイメージが一般的にはある。昔は「(三菱重工から卸してもらえるから)鉄が良くて長持ち」という都市伝説があったようである。
長期にわたって生産されるモデルも少なくないが、モデルサイクル中にエンジンを積み替えてしまうケースも多々ある。エンジン単体で見ても4G63や3G83のように、長い歴史の中で形式以外まるで別物(4G63に至っては逆回転化まで行われている)になってしまったケースもある。
1990年代の三菱車の特徴として、シートスライド用のレバーが側面にある(リクライニング調整レバーの隣)と言う点がある。「靴で蹴ってしまいレバーが汚れる可能性が低い」「自然なポジションでシートの調整ができる」などの美点(これ自体は執筆者の体験談であるが、実際問題として操作系の位置の自由度が高いパワーシート装備車はメーカー問わずこのポジションであることが多い。操作系がここにある方が使いやすいと言うことは各社とも認識しているものと思われる)があるのだが、2000年前後からのモデルではなぜかシート前方に戻ってしまった。
1996年には独自で開発した直噴エンジン「GDIエンジン」をレグナム、ギャランなどに搭載。低燃費かつ高出力、環境にも優しい車として売り出されたことにより、カー・オブ・ザ・イヤーを受賞されるなど世界で高い評価を受けた。しかし、GDIエンジンはエンジン内のカーボンが溜まりやすいなど見逃せない欠点も数多く存在し、実燃費もGDI搭載前と殆ど変わっていないことも判明。最終的にGDIエンジンは三菱自動車のリコール隠しによって信頼ガタ落ちの影響を受け、2007年に敢えなく廃止された。
呼称などについて
他の三菱系の会社との区別が必要でない場合、単に「三菱」と呼ばれることが多い。また、「三菱自工」と表記されることもよくある。
一時期はエンブレム等での英字表記をMMCとするが、同じ三菱グループの三菱マテリアル、あるいはTopGear収録中に毎回決まってピアノがどこかのバカのミスで落ちてくる不運な英国のメーカーに限らず「MMCと言う略称の持つ意味があまりにも多すぎる」ためか、現在ではまず使われない。
ちなみに、それ以前に使われていたMを象ったエンブレムは・・・
2000年からはCM上での表記が「三菱自動車」から「MITSUBISHI MOTORS」に変更された。
ラリーと四駆
以前はモータースポーツ活動に積極的で、パジェロはパリ-ダカールラリー(パリダカ)、ランエボはWRCで世界を幾度も制した。特にパリダカでの総合優勝12回は、全自動車メーカー中でもトップの金字塔である。しかし不正発覚やリーマンショックによる業績悪化以降は撤退し、今では最もモータースポーツに消極的な国内メーカーの一つとなってしまった。
2005年から2020年まで実質的な経営責任者(社長・会長)であった益子修氏は、古巣・三菱商事からの支援を取り付けてリーマンショックから立て直した手腕こそ評価されているものの、三菱がモータースポーツでブランドを築き上げてきた車種たちを廃止し後継も出さないなど、自動車好きたちからの評判はすこぶる悪かった。これは益子氏が根っからのビジネスマンで運転免許を持っていなかったため、利益率ばかり重視していたからだと言われている。メディアでは「ランエボを復活させたい」と夢を語っており、その重要性は認識していたようだが、結局"夢"を実現することはなかった。
ランエボに関してはプライベーターの参戦車両として現在も人気を誇る他、他社ワークスもコースの下見(レッキ)のために用いることがある。これは無改造のままWRカーに近い速度で走行可能なスポーツ4WDが他社に存在しないことが多いためである。しかしWRX STIや新興GRヤリスの登場もあって、今後見られる機会は一層減るだろう。
主な車種
※トラック/バスについては三菱ふそうの項目を参照。
~660cc(軽自動車)
~1600cc
~2000cc
- ランサー/(ランサーエボリューション)/ギャランフォルティス
- RVR
- FTO
- スタリオン(GX~GSR-VR)
- エクリプスクロス
~3000cc
OVER 3000cc
電気自動車
関連項目
:元々は当社のサッカー部が発展したチームであり、チーム名も「赤い菱」からである。
横浜F・マリノスの親会社である日産との提携が決まった際、Jリーグの規定に抵触する事から三菱重工にレッズの運営会社を譲渡した。
谷佳知、竹原直隆、中野拓夢・・・三菱自動車岡崎硬式野球部出身。
伊藤智仁・・・三菱自動車京都ダイヤフェニックス(旧・三菱自動車京都硬式野球部)出身。
入来智、廣畑敦也・・・三菱自動車倉敷オーシャンズ(旧・三菱自動車水島硬式野球部)出身。
帆足和幸・・・九州三菱自動車硬式野球部(ディーラーの九州三菱自動車販売が運営、現・KMGホールディングス硬式野球部)出身。
竹下慎太郎・・・三菱自動車川崎硬式野球部(のち、三菱ふそう川崎硬式野球部、2003年に分社化された「三菱ふそうトラック・バス」の野球部となるがのち休部。2013年解散)出身。大分硬式野球倶楽部(現・日本製鉄大分)経由でプロ野球入り。