曖昧さ回避
- 菱形を3つ三角形に並べたマーク。スリーダイヤ。
- 三菱鉛筆。三菱マークを企業ロゴに使用。
- 熊本市の「弘乳舎」が販売していた炭酸飲料「三菱サイダー」。三菱マークをブランド・ロゴに使用していた。
- 三菱タクシー。三菱マークを企業ロゴに使用していた大阪のタクシー会社。
- 三菱グループ。各社が三菱マークを企業ロゴに使用。本稿で解説。
三菱グループ
戦前は日本経済において大きな勢力をなした財閥であり、三井、住友とともに三大財閥に数えられる。
三井や住友が江戸時代からの古い歴史を持つのに対し、こちらは明治時代に創業された比較的新しい財閥。
土佐藩出身で低い身分に生まれた岩崎弥太郎が商才を発揮してのし上がり、明治維新後に九十九商会後継の三菱商会の社主となり、海運や鉱山経営などに進出。持ち前のリーダーシップで、徒手空拳からたった一代で財閥の基礎を作り上げた。
三菱マークは前身の九十九商会が船旗号として採用した三角菱が原型。これは岩崎家の家紋「三階菱」と土佐山内家の家紋「三ツ柏」に由来し、後に社名を三菱と定める機縁となった。
初期の三角菱は三ツ柏に寄せたデザインだった。土佐藩の後継企業であることをアピールする必要があり(当然ながら、三菱にブランドとしての価値はまだ無かった)、そもそも山内家に仕える身で「恐れ多くも主君の家紋を足して二で割るというような発想をするだろうか」というのが三菱史料館・成田誠一の考察である。
しかし、1871年の廃藩置県で土佐藩が消滅し、岩崎弥太郎が名実ともに経営者となると、三階菱は菱の角度が太くなり(約30度→45度→60度)、現行のスリーダイヤのデザインに代わっていった。つまり、山内家の家臣では無くなったために、初めて自家の家紋と足して二で割ることが出来るようになったと云うことになる。
1873年(明治6年)にはほぼ現行のデザインの三菱マークを弥太郎は弟・弥之助への手紙に書いており、1875年から企業として使用するようになった。
1945年の第二次世界大戦敗戦後、GHQの財閥解体により岩崎家と切り離され、三菱商標も7年間の禁止令が出たが(実際に一部の三菱グループは社名変更した)、三井グループ・住友グループと共闘して1952年の占領終了まで施行させずに乗り切った。
その後は、岩崎家から独立した企業集団となり、一度解体された企業も多くは再結集している。その中でも、中心となる26社の社長・会長による「金曜会」が三菱グループとしての事実上の意志決定機関になっているという(三菱UFJフィナンシャル・グループ、三菱商事、三菱重工業を最上位の「御三家」とするなど、さらに細かな序列がある)。
構成企業はいずれも一流で業種も幅広い。
個人消費レベルでも、例えば…
「明治安田の生命保険に入ったあるサラリーマンの通勤のアシは東京海上の自動車保険を掛けたeKワゴン。仕事帰りにはENEOSで給油しDCカードでお支払い。家に帰ったらビーバーエアコンの備え付けられたお部屋でローソンで買った一番搾り片手にREALでレッズの試合を観て、バーベイタムのBD-Rに録画する。休みの日、お出かけ先ではCoolpixで記念撮影。」
…日本中どこの家庭にあってもおかしくない光景である。
つまり日本で暮らす以上三菱から逃れることは不可能といって過言ではない。
キリンやニコン、東京海上、旧DCカード、日本郵船、JXやローソンなどのように他系列とくっついたり何らかの経緯でグループ入りしたりするなど三菱ブランドを冠さないグループ企業もある。
pixiv上では自動車メーカーの三菱自動車または三菱ふそうを指すタグとしての使用が多い。
政商から世界有数の巨大コングロマリットとなり、軍需産業にも深く関わっていたため死の商人扱いされる事もあった。(→三菱重工爆破事件)
デジタル関連のグループ企業
三菱ケミカルメディア(旧名称は三菱化学メディア)(アイ・オー・データ機器と販売代理店として契約している)
光ディスクなどのメディア、ストレージ製品はバーベイタムと言う自社ブランドで販売している。のちに2020年以降には販売権、自社の各種(ストレージメディアのみ)特許を株式会社バーベイタムに移管されバーベイタムブランドは独立した。
「三菱」の商標
鉛筆製造の三菱鉛筆、熊本県の弘乳舎が販売していた三菱サイダーは「三菱」の名前とロゴを使用しているが、三菱グループとは、一切の資本・人的関係がない。
これは、三菱グループが商標登録するよりも早くからこの商標を用いており(鉛筆が1903年、サイダーが1919年。商標取得者は松田工業で、弘乳舎に製造販売を委託していた)、三菱グループにはその使用を差し止める事が出来ないためである。
日本の商標登録は1884年に制度化されたが、登録は先願主義、つまり届出した順番に受け付けられる原則である。最初に考案したのが岩崎弥太郎という三菱グループの主張が正しいとしても、「先に届出をしなかったのが悪い」という事になる。
この間に、三菱グループ以外が取得した三菱商標は「鉛筆、ペン、文房具」(三菱鉛筆)、「調帯」(日本皮革→ニッピ)、「清酒」(よしのや)、「福神漬」(内田商店)、「名刺用紙」(三菱名刺)、「清涼飲料」(松田工業→マツダトータルソリューションズ)などがあり、いずれも正当な商標である。
三菱グループは、グループ外の商標を順次買い取っていったが(たとえば、三菱サイダーは2014年に三菱商事が商標買収したのち終売)、三菱鉛筆は今日でも「三菱グループとは無関係の三菱」として現役である。
なお、三菱グループではホームページ上で「三菱」が社名につく会社の一覧(外部リンク)を公開しており、この一覧表はグループ内で「三菱」がつく会社を、子会社・孫会社等・海外合弁会社にいたるまで漏れなく表示している。つまり、この表にない「三菱」がつく企業はグループ外である。
「城東交通株式会社」として設立された大阪府のタクシー会社は、三菱グループのブランド・イメージにタダ乗りする形で「三菱タクシー株式会社」に商号を変更して1960年に営業開始。1970年、「三菱ハイタク事業協同組合」を設立し、三菱タクシーグループを形成。
2010年、訴訟では争えないと判断した三菱グループが、三菱タクシーグループに社名変更の対価2億円(5億円とも)を支払い、「未来都タクシー」に社名変更した。
ちなみに、三菱鉛筆については、1971年には広報誌『みつびし』で広報担当者に「鉛筆もわれわれの三菱だと思ってくれることは、むしろわれわれにとってプラスです。子供の時から親しまれている。その子供が大きくなってと考えると、鉛筆の浸透力に便乗するということで、ただ、鉛筆にダウンされるとこちらにも被害がある(笑)」と言及されている。
三菱鉛筆が独自に発展した結果、単なるタダ乗りではなくなり、逆に三菱グループが三菱鉛筆に便乗させてもらう場面もあるという(三菱グループの不買運動で三菱鉛筆が被害を受けたりもしている)、持ちつ持たれつの関係になったといえる。
関連イラスト
関連タグ
キリンホールデングス(キリンビール/麒麟麦酒、キリンビバレッジ、協和発酵キリン)
三菱自動車(←三菱重工) - 浦和レッズ/浦和レッドダイヤモンズ
三菱ふそう(←三菱自工←三菱重工)
三菱東京UFJ銀行 三菱UFJニコス(旧DCカード・旧UFJニコス) 明治安田生命(旧明治生命)、東京海上日動火災保険(旧東京海上)
JXTGホールディングス(JXホールディングス←ENEOS←日石三菱←三菱石油)
三菱電機 ニコン(旧日本光学) アイ・オー・データ機器 ケンウッド(現在は、株式会社バーベイタムと販売契約) Verbatim(かつての三菱ブランド)