概要
1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いの功績により遠江掛川城主だった山内一豊が土佐1国を与えられたのが始まり。以来明治維新までの約270年間山内氏が治めることになった。
石高は当初9万8千石で、1605(慶長10)年に検地して20万2600石に高直しした。さらに1615(元和元)年には25万7千石への高直しを幕府に申請するも却下された。これは阿波徳島藩に対抗した措置(大坂の陣の功で阿波7万石を加増され25万7千石になった)で、四国一の大名であろうとした見栄とされる。
維新後は侯爵に叙された。
「長曾我部旧臣は疎外され低く扱われた」とよく言われるが、実際は長曾我部旧臣でも上士として扱われたものもいる(吉田東洋の吉田氏、谷干城の谷氏など)。これは山内氏の入部の際に、長曾我部旧臣(特に一領具足などの下級武士)による反発が強かったこととそれに影響された司馬史観の存在が大きいとされる。
歴代藩主
- 山内一豊
- 山内忠義:一豊の弟・康豊の長男
- 山内忠豊:忠義の長男
- 山内豊昌:忠豊の長男
- 山内豊房:忠義の弟・一唯(旗本)の孫
- 山内豊隆:豊房の弟
- 山内豊常:豊隆の次男
- 山内豊敷:忠義の弟・深尾重昌(土佐藩家老)の玄孫
- 山内豊雍:豊敷の四男
- 山内豊策:豊雍の長男
- 山内豊興:豊策の長男
- 山内豊資:豊策の次男
- 山内豊熈:豊資の長男
- 山内豊惇:豊資の次男
- 山内豊信:豊策の四男・豊著の長男
- 山内豊範:豊資の11男
関連タグ
坂本龍馬 中岡慎太郎 武市半平太 岡田以蔵…著名な郷士(下級藩士)
岩崎弥太郎 …郷士よりも格下の身分の出(地下浪人)だった。