概要
江戸時代に、薩摩国 (鹿児島県)全域、大隅国 (鹿児島県)全域、日向国 (宮崎県)の一部を領した外様大藩。さらに奄美群島を支配し、琉球国を付庸国とした。藩主は島津氏で、藩庁は鹿児島(現在の鹿児島市)に置かれた。
戦国時代には猛将・島津義弘や島津豊久を擁し、勇名を轟かせた島津勢であるが、天下泰平の江戸時代に至っても「戦国乱世の遺風」を継いだ特異な風習(肉食、衆道など)で知られ、江戸市民らには良くも悪くも勇猛・野蛮な印象を与えていたようだ。近年のエンタメ作品においては誤チェストや妖怪首おいてけで知られる。
江戸時代最強であった薩摩武士団だが、その数もまた多かった。江戸時代の武士が人口に占める割合は、全国の平均で8%程度だったが、薩摩藩では25%~30%前後もあった。禄高が低い武士達の多くは農耕に従事していたが、多数の武士を支える税率は極めて高く、領民は貧困に喘いだ。しかし薩摩藩は半農の郷士や足軽を農村に置き、領民の生活や行動に目を光らせていたので、薩摩の庶民は一揆のような抵抗をほとんど起こせなかった。
幕末には長州藩と並ぶ雄藩の一つとして明治維新を主導し、維新後は出身者が「薩長土肥」として長州藩・佐賀藩・土佐藩出身者とともに明治政府の要職を寡占。政界、官界、海軍などに多くの人材を輩出した。
歴史
「薩摩藩」の歴史は、関ヶ原の戦い後に旧領を安堵されたことに始まるが、その支配体制は鎌倉時代の頃より薩摩を支配した島津氏の支配をそのまま引き継いだものであり、藩の気風に「戦国の遺風」を色濃く残すことになった。
前史
1185年、源頼朝の御家人であった忠久が島津荘の下司職に任命され、その後、大隅国・薩摩国・日向国の守護となり、島津(嶋津)左衛門尉と称する。
島津家は鎌倉幕府の御家人として当主は鎌倉に在住し、一族・家人に領地を差配させていたが、元寇を機に一族の在地化が進んだ。
後醍醐天皇による倒幕運動が始まるとこれに加わり、南北朝時代は北朝についた。
戦国時代には九州を制覇する勢いを見せていたが、豊臣秀吉の九州征伐により領地は薩隅2国と日向諸県(もろかた)1郡だけとなる。
関ヶ原の戦いでは西軍だったが旧領を安堵され、江戸幕府の開府により薩摩藩が成立し、島津家久が初代藩主となった。
1609年には創立当初の幕府に贈物を献上する勧めに応じなかったことや、琉球船漂着に対し乗員を保護して薩摩を通じ帰国させたが礼を欠いたという事情から、徳川家康の許しを得て琉球を征伐し影響下に置く。なお、島津家と琉球の関係は琉球王朝が発足した1430年頃からあったとされ、また史書には島津義久が本家を相続した際の祝いの遅延、及びその進物の内容がこれまでの通例と異なっていたのを島津側が琉球側に抗議したとする記録が残っており、遺恨めいたものはこの頃より生じていた可能性はある。また、琉球・奄美侵攻の際に豚を持ち帰っており、食用の畜産を行っていなかった当時の日本で唯一の養豚を行う藩となった。
石高73万石の大藩だったが、実際の収入は半分程度で財政は逼迫し、領民からの収奪は過酷を極めた。江戸時代の各藩の年貢は五公五民(50%)が平均的だったが、薩摩では八公二民(80%)ととんでもない税率が設定されていた。八公二民は水戸藩、高崎藩と並んで最悪の部類である。苦しい暮らしを強いられた薩摩領の庶民たちであるが、勇猛で鳴らし、しかも数が圧倒的に多い藩士たちに逆らえるはずがない。薩摩藩は百姓一揆のなかった藩と言われ、わずかに加世田一揆と犬田布騒動が知られるだけである。
なお『掟十五条』により薩摩が琉球の貿易を独占していたことから、琉球からの収奪が厳しく住民から怨嗟の的となったと言われるが、薩摩は琉球から年貢をほとんど取り立てておらず、琉球の庶民が苦しんだのは薩摩のせいではなく、琉球士族の横暴によるものが大きい。しかし、薩摩が事実上の直轄下に置いた奄美群島では稲作を禁止して黒砂糖を年貢として納めさせたことから、奄美の人々は自分たちの食料も作れずに困窮。「砂糖地獄」と呼ばれる圧政は今なお語り継がれている。
幕末の1851年に11代藩主となった島津斉彬は開明派で、日本初の西洋型帆船やガラス、火薬など複数の分野で洋式の工場を建設し、富国強兵に努めた。
斉彬没後は、異母弟の島津久光が藩の実権を握り、公武合体運動を展開したが、1863年に勃発した薩英戦争で鹿児島市街地に甚大な被害が生じる事となった(戦闘の勝敗については諸説あるが、一般的には痛み分けとされている)。
その後は西郷隆盛、大久保利通ら倒幕派が主導するようになり、長州藩と薩長同盟を結んで討幕運動、明治維新をリードした。
西郷・大久保のほか、黒田清隆、松方正義、森有礼など、薩摩藩が輩出した有力な人材は明治新政府の中心となって活躍した。
1871年の廃藩置県をもって、薩摩藩領は鹿児島県、宮崎県に編入された。
歴代藩主
- 島津家久:島津家18代目当主。島津義弘の三男。
- 島津光久:家久の次男
- 島津綱貴:光久の長男・綱久の長男
- 島津吉貴:綱貴の長男
- 島津継豊:吉貴の長男
- 島津宗信:継豊の長男
- 島津重年:継豊の次男
- 島津重豪:重年の長男
- 島津斉宣:重豪の長男
- 島津斉興:斉宣の長男
- 島津斉彬:斉興の長男
- 島津忠義:斉彬の弟・久光の長男