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伊地知正治

いじちまさはる

伊知地正治とは、江戸時代末期~明治時代の人物。薩摩藩士であり、稀代稀に見る天才軍学者として有名である

概要編集

正治は1828年に薩摩藩に仕える武士の子として生まれ、3歳にして字を読み「千石の神童」と呼ばれるが、大病で片目・片足が不自由になる後遺症が残る。

上記の後遺症が残った上に身長も150㎝程度と体格にも恵まれていなかったが、薬丸示現流合伝流兵学を修め、藩校の教授になる。


1862年には島津久光の上洛に従った功績で軍奉行になり、翌年の薩英戦争では大砲を率いる長として参加、窮地に立たされる中大砲の上で平然と采配を下している


正治の兵学は少数精鋭の果断且つ迅速な火力主義であり、禁門の変長州征伐戊辰戦争では大功を立てた。

中でも、白河口の戦いでは手勢700対旧幕府軍2500という兵力差がある中、正治は囮部隊を餌にして旧幕府軍を誘導し周辺の山に大軍がいるかのように偽装。その結果、兵力優位で押し込み方位しようとした旧幕府軍を動揺させ、高所からの集中砲火で相手に700名近くの死傷者と主要な幹部陣を複数戦死させる大損害を与えて大勝した。


明治維新後は新政府と対立して下野することもあったが、国家の繁栄と薩摩の復興に努める。

1886年に死去。享年59

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